第二章―ルガレドの邸―#1


「ここが、俺のやしきだ」

 

 案内されたのは、皇子が住むには相応しいとは言えない、上級貴族の邸宅よりも小さい邸だった。下手をすれば裕福な下級貴族の邸宅よりも小さいかもしれない。


 まあ、それでも平民や前世の感覚からすれば、十分に豪邸と言える大きさだけれど。


 邸の形状としては、真ん中部分は三角屋根になっていて、その左右にそれより低めの四角い建物がくっついているような感じだ。


 アーチ形の簡素な格子窓がシンメトリーに配置されており、テラスやバルコニーなどの類は一切ついていない。


 唯一、玄関ポーチが張り出しているだけで───何て言うか、物凄く地味な印象を受ける。


 だけど、それらよりも、もう何年も手入れされていないらしく、まるで廃墟のようになってしまっていることの方が問題だ。


 屋根材や窓枠も所々朽ちているし、壁の石材は汚れてまだらになっている。


 そもそも立地も問題だった。


 この国では、皇王の妃になったらまず後宮に入り、子供が生まれたら邸を与えられることになっている。


 後宮よりもさらに奥まった場所がてられていて、そこは妃たちの邸街のようになっていた。


 だが───レド様のお邸は、その場所から外れた皇城の隅に建てられているのだ。


 皇城──この国では、城壁含め、その内部にある宮殿や庭園、すべてをひっくるめて皇城と呼ぶ──は菱形を成していて、皇都に面している側に、皇国の行政機関が集まった宮殿があり、続いて謁見の間や夜会などを行うホールなどを擁した皇国の顔ともいうべき宮殿が建っている。


 その宮殿に隣接して各コンセプトによって整えられた幾つもの庭園が続き、その庭園を抜けた先に皇王が住まう宮殿が建っている。


 そして、その宮殿の先に今度は後宮があり、さらに先に妃たちの邸街があるわけだ。その邸街の情景を担うために、また庭園があるのだけど、レド様のお邸はその庭園を抜けた先に建てられている。


 邸のすぐ後ろには、邸より遥かに高い城壁があり、情景も何もない。



「……あまりにも酷くて驚いたか?」


 レド様が恥じ入るように言う。


「補修をしたいんだが、許可が下りないんだ。予算がないといつも断られる。それなら、少しずつと思って提案してみても、許可されない」


 実は私は事前に、懇意にしている情報屋に頼んで、レド様の状況を調べてもらっていた。


 レド様には、皇子として生活費や経費の予算が、確かに割り当てられている。お金が動いている形跡はあるが、どうもレド様に行き渡ってはいないようなのだ。


 これは、すぐにでも改善しないといけない案件だ。


「自分で出来ることはやるようにしているんだが───これ以上はどうしようもない…」


 レド様は悔し気に、溜息をいた。


「私の知人に大工を生業としている人がいるので、補修の仕方を教えてもらいましょう。二人で少しずつ綺麗にしていけばいいですよ」


 私がそう言うと、レド様は少し驚いた顔をして、それから微笑んだ。


 レド様は、こんな風に笑うんだ。笑うと目尻が下がり、雰囲気がとても柔らかくなって───何て言うか…、可愛い。


「ありがとう。────とにかく、中へ入ろうか」


 レド様に促されて、玄関ポーチに立った瞬間───また、あの声が響いた。



拠点セーフティベース】を認識───登録します───完了

最適化オプティマイズ】を開始します…



「「!?」」


 足元に魔術陣が瞬時に広がり、あの時のような光が迸る。そして、あの時よりも大量に魔力が流れ出ていく。あまりにも烈しい魔力の奔流と、大量の魔力が抜けていく感覚に、眩暈がした。



───────【最適化オプティマイズ】が完了しました

 


 光が消える。一気に大量の魔力を抜かれたせいか、身体がだるい。


「大丈夫か、リゼ」


 よろめいた私を、レド様が支えてくれる。


 レド様が覗き込むように顔を近づけたので、私は、そんな場合ではないのに、顔が熱くなるのを感じた。胸がドキドキと鳴っているような気がする。


「……ぁ、悪い」


 赤くなった私に気づいたのだろう。レド様が慌てて離れた。私は安堵したような───少し残念なような、何だか複雑な気持ちになる。


 ふと見ると、レド様の耳がほんのり赤くなっていた。レド様も照れているんだと思うと、ちょっとこそばゆくなる。


 私の視線から逃れるように顔を逸らしたレド様が、不意に目を見開いた。


「……邸が、綺麗になっている…?」


 私たちは弾かれたように、玄関ポーチから出て、再び邸を見上げる。


 窓枠も屋根も朽ちていた箇所は跡形もなく消えている。壁も洗い流したかのように元の色を取り戻していた。まるで、たった今建て終わったばかりの邸のようだ。


「これも、魔術なのか…?」

「おそらく…」


 古代魔術帝国の威力を思い知った気分だ。何故───こんな力を持ちながら、古代魔術帝国は滅びてしまったのだろう。


 古代魔術帝国の崩壊の理由は諸説あって、はっきりとは解っていない。


「…それより、かなり光ってましたよね。気づかれたでしょうか?」

「どうだろうな。庭園が目隠しになっていたと思いたいが…。まあ、考えても仕方がない。今度こそ中に入ろう」

「はい」


 そうして、二人で再び玄関ポーチに立った時だった。また足元に魔術陣がぱっと広がる。


 さっきとは違い、淡い光がゆらりと浮き上がってきて、光は私たちの全身を優しく包んだ後、空気に溶けるように消えてしまった。


「今のは何だ?」


 レド様は、警戒というより困惑しているようだ。


「…あ、これ、もしかして、浄化というか、洗浄?の魔術ではないですか?」

「洗浄?」

「はい。ほら、靴の汚れが消えています」


 ここに来る途中、庭園を突っ切った際、土が柔らかい箇所があって、靴が汚れてしまったのだ。その汚れが綺麗に消えてしまっていた。


「なるほど。邸に入る前に綺麗にしてくれるというわけか。…すごいな」

「本当に」


 レド様が観音開きの大きな玄関扉の取っ手に触れると、扉の真ん中に魔術陣が現れた。カチリと音が響く。


「今度は何だろうな」

「おそらく、鍵が開いたのではないですか?」

「鍵は壊れていて、かけていなかったのだが…」

「改善されたのだと思います。それに先程レド様が触っただけで開錠されたことから考えて、もしかしたら、決められた人にしか開けられないようになったのかもしれません」


 古代魔術帝国の魔術なら、それくらいのハイテクでもおかしくない。


「それが本当なら…、凄すぎないか?」

「ふふ。でも、こうなると、このお邸にどんな魔術が施されているのか、楽しみになってきませんか?」


 古代魔術帝国の魔術を施されたハイテク邸────考えるだけでワクワクしてくる。


「ああ…、そうだな」


 レド様は私の言葉に、口元に笑みを浮かべて頷いた。

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