第一章―契約の儀―#2


「それじゃ、みんな、本当にありがとう」


 エントランスホールに、シェリア、ラナ姉さん、それにシェリアの弟であるシルム、そして、シェリアの母親であり公爵夫人であるミレアおば様が───私を見送るために集まってくれた。


 おじ様は、すでに出仕している。


「リゼちゃん、わたくしたちも儀式を見に行きますからね。頑張ってね」

「ええ、ありがとう、おば様。…それでは行ってきます!」


 ロウェルダ公爵邸の広大なアプローチを抜けて、一応周囲に人がいないか確認して門から外へ出る。


 実は、イルノラド公爵邸はロウェルダ公爵邸の裏手にあり、配置的には近い。


 けれど、どの邸も貴族の邸宅なだけあって、一軒の敷地がかなりの広さなので距離的には結構離れており、徒歩だと時間がかかった。



 ようやくイルノラド公爵邸に辿り着き、門番に名前を告げると、あっさりと通された。一悶着あるかなと思ったけれど、さすがに杞憂だったようだ。


 エントランスに馬車が2台停車しており、家令のバセドと公爵の側近が側に立っている。


「おはようございます、リゼラ様」

「…おはようございます」


 側近の方が挨拶してきたので一応返しておく。バセドの方は何も言ってこないので、無視だ。


 そこへ、玄関扉が開いて、公爵一家が現れた。


 一瞬、公爵たちの視線が私に集まる。


 公爵は何か言いたげな表情で、公子はどういうわけか心底驚いたような表情になった。夫人は苦虫を噛んだような表情で、公女は何故か勝ち誇ったような表情。


 しかし───夫人も公女も、格好が派手過ぎない?


 特に公女。金ピカとしか言いようがない、光沢があり過ぎる金色のコートに、揃いの金ピカのベスト。


 フリルを階段状に重ねたタイに、拳大の緑柱石エメラルドのブローチをつけている。それから、タイと同じフリルが階段状に重なった白のミニスカート。


 そして、白い革のニーハイブーツ。サイドのボタンで留めるタイプで、高めのピンヒールになっている。フリルのついた靴下を履いているらしく、ブーツからこれまた何重にも重なったフリルが覗いていた。


 その上、髪型はただのポニーテールなのだが、ゴールドの台座に大きな金剛石ダイヤモンドをあしらったティアラで留めている。


 極めつけに、ティアラとお揃いなのか、ゴールドの台座にティアラよりも大きい金剛石ダイヤモンドの、滴型のピアス。耳痛くないのかな。


 公女は、量が多くウネウネと波打つ赤髪に、燃えるような紅い眼をした、かなり目立つ容貌なので、何て言うかインパクトが物凄いことになっている。


 夫人と公女は私から視線を外して、さっさと馬車の中に入っていった。公子もそれに続く。


 公爵は私に向かって口を開きかけたが思い直したようで、側近の男に振り向いた。


「…頼んだぞ」


 側近が頷くと、公爵も馬車に乗り込んでいった。御者らしき使用人が馬車の扉を閉める。


 よかった。私は、公爵一家とは別の馬車に乗るようだ。


「それでは、リゼラ様、こちらへ」


 側近の男に促され馬車に乗ると、側近の男も続いて乗り込んできた。一緒に行くらしい。




「……リゼラ様」


 馬車が走り出し、黙って窓の外を眺めていると、側近の男が口を開いた。


「どうか、こちらをお受け取り下さい」


 モコモコに膨らんだ、高価な布地で出来た袋を渡される。


 中に入っているものは簡単に予想がつく。相当量のお金だ。


「何ですか───これ」


 思ったよりも冷たい声が出た。


「ご不快になるのは解ります。ですが───話を聞いていただけませんか」


「……」


「イルノラド公爵家はおそらく零落を免れない状況となりますので、このまま絶縁することがリゼラ様へのせめてもの詫びになると、旦那様は考えておられます。

本来なら、旦那様より謝罪をさせていただくのが筋ではございますが、リゼラ様はそんなことをされてもご不快になるだけだろうと存じますので、旦那様の自己満足のためだけに謝罪をすることはしたくないとの仰せです」


「……」


「旦那様には何も話すなと申しつけられておりますが、これだけは言わせていただきたいのです。

リゼラ様の神託についての旦那様の発言は、失言であったと私も思っております。ですが、旦那様は誓って、リゼラ様を冷遇するつもりも排斥するつもりもございませんでした。

今回の件も、最後まで迷っておられました。周囲に説得されてやっと決断したのです。旦那様は、リゼラ様が心を入れ替えてルガレド殿下に忠義を尽くされるようなら、援助なさるおつもりでした。

リゼラ様にしてみれば、虚言に惑わされたことこそがご不快だろうとは思いますが、旦那様がリゼラ様を疎んでいたわけではないのだということだけは、どうか知っておいていただきたいのです」


「……公爵閣下が私の排斥を指示したわけではないということは、この間の会話で解りました。国防に関わる公爵閣下が、忙しくてあまり邸に帰って来られなかったということも知っています。

でも───それでも…、気づいて欲しかった。10年もあったのに────」


 自分でも自覚がなかった本音が零れて、固く目を瞑る。


 イルノラド公爵家と縁を切ると決めた時、公爵の事情、夫人の生い立ち、すべて調べ上げた。こうなってしまった理由は何となく推測できる。


「それについては、私の落ち度でもあります。本当に…、申し訳ございません───」


 側近の男は、言ってから、はっとしたように一度口を噤んだ。


「このお金は、リゼラ様への援助金として用意していたものです。詫びでも許しを請うためのものでもございません。何卒、ルガレド殿下の親衛騎士をする上で、役立てていただけませんか」


 袋を差し出されて、受け取っていいものかどうか躊躇ためらう。


 だけど、ルガレド殿下の置かれている状況を考え────心を決めた。


「………ルガレド殿下のために使わせていただきます」



※※※



 控室に通されたルガレド=セス・オ・レーウェンエルダは、一緒に成人の儀を受ける異母弟のジェスレムが、すでに居座っているのを見て、込み上げる嫌悪感を呑み込んだ。


 ジェスレムは一見すると金髪緑眼の美青年だが、ルガレドには性根の汚さだけが目につく。


 これは比喩などでなく───本当に、汚く濁ったもやまとっているように見えるのだ。


 ルガレドの左眼は生まれつき、普通であれば目に見えないものも映してしまう。それは“神眼”と呼ばれるもので、人間が持つのは本当に珍しいことだった。


 それに加え、『英雄』などという神託を授かったために命を狙われる破目になり、7歳のとき襲撃されて左眼をえぐられた。


 幸いなことに、それで左眼は潰れてしまったと世間では信じられている。


 確かに眼球に傷がつき映像は拾えなくなったが、眼帯をしていても、それを通り越して人の心根みたいなものを捉えてしまうのだ。



「やあ、兄上。今日は成人の儀だというのに、ずいぶん酷い格好だね」


 ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべ、ジェスレムが話しかけてきた。


 酷い格好をしているという自覚はある。


 だけど、どうしようもなかったのだ。成人の儀及び契約の儀を控え、そのための礼服を手配しようとしたけれど、用意出来ないと回答されただけだった。


 仕方なく、以前式典に出席させられたときの礼服を着用するしかなかったのだが、これがまた酷いものだった。


 礼服は多少の流行はあるものの基本的な型はそう変わらないので、支給されたその礼服も型自体は別段後ろ指を指されるようなものではないが、生地が見るからにぼろぼろに傷んでいるのだ。


 当時もさすがにこれはと思い、別のものを用意するよう依頼したが、ルガレドの予算に値するのはそれしかないと言われ断られたのだった。


「兄上も一応皇子の端くれなんだから、もっと皇族としての自覚を持った方がいいよ。そんな格好で、貴族たちの前に出るなんてみっともない」


 白々しくそう言って、ジェスレムは嘲笑う。


「しかも、その安っぽい剣。兄上の親衛騎士となる者は可哀そうだね」


 ルガレドが腰に提げている、契約の儀で授けるための剣を見て、ジェスレムは嘲りの笑みを深める。



 契約の儀で授ける剣は、宝物庫から選ぶ。


 宝物庫は複数あり───ルガレドが持ち出す許可を得られたのは、そのうちの一ヵ所、グレードの低いものばかりが保管されている宝物庫のみだった。


 武を尊ぶ国なだけあって、剣は相当数保管されていたが、価値の低いものしか収納されていない中で選べるものなど高が知れていた。


 親衛騎士候補者が女性に変更されたと知り───少しでも気に入ってくれればと、柄も鞘も白を基調としていて、随所にシルバーがあしらわれた細身の片手剣を選んだ。


 剣としてはなまくらだが───女性が好みそうな優美なものだ。



 対して、ジェスレムが用意したのは、古代魔術帝国の遺跡から見つかったという業物の両手剣だ。一説では、使い手によっては炎を纏わせることが出来るという。


 柄は漆黒で、鞘は赤を基調としていて、全体にゴールドの装飾が為されている。


 派手だし使い手を選ぶのではないかとルガレドは思ったが、もらう方は、剣士ならばジェスレムの携えた剣の方が嬉しいのかもしれない。


「ああ、でも、兄上の護衛騎士になるのは、我が儘で傲慢な剣も持ったことのない出来損ないなんだっけ。別にその剣でも構わないかもしれないな。何せ、剣の価値なんて判らないだろうからね。アハハハ」


 ジェスレムの言動は性根が滲み出ていて、本当に嫌な気分になる。



 ルガレドの親衛騎士になる人物のことは聞いていた。


 武門イルノラド公爵家の次女で、我が儘で傲慢だという。自分の思うような神託でなかったことに拗ね、16歳になるこの年まで、勉強も剣術の修行も社交も一切しなかったらしい。


 だが、ルガレドはその噂には懐疑的だった。


 何故なら、その噂を広めていたのが、イルノラド公爵家の長女───つまり本人の実の姉だったからだ。


 ルガレドは夜会でその現場を見たことがあるのだが、ジェスレムのような濁った靄を身に纏いながら、彼女は嬉々としてそれを言い触れ回っていた。


 そのときの彼女の表情は、ジェミナ皇妃やジェスレムがルガレドを貶めて愉しんでいる時の表情にそっくりだった。


 そもそも、普通なら、自家の醜聞を隠そうとするものではないだろうか。



 イルノラド公爵家の次女───リゼラは、もしかしたら、自分と同じような境遇に置かれているのかもしれない。


 そのせいで、公爵家から除籍されて、ルガレドの親衛騎士でなどという、損な役割を押し付けられてしまったのかもしれない。


 何にせよ───ルガレドはリゼラを出来る限り大切にしようと決めている。


 たとえ噂通りだったとしても────当の本人がルガレドを他の貴族同様に蔑視していようとも。




「お時間です。お二人とも、聖堂の方へおで願います」


 侍従の声に、ルガレドの意識が引き戻される。


 ルガレドは、ジェスレムに続いて、儀式の場となる聖堂へと歩み出た。


 半円形の舞台を囲うようにして、皇王、皇妃、第三皇子、宰相、大臣たち、そして主だった貴族たちが着席している。


 それから、その舞台の側に、二人の少女が佇んでいるのが目に入った。


 一人は、ルガレドも見たことのある少女───イルノラド公爵家の息女ファミラだ。以前と変わらず濁った靄を纏っている。


 そして────ファミラの陰に隠れていた、もう一人の少女の全身が見える位置まで来た瞬間────ルガレドは思わず足を止めて、その少女に見入ってしまった。


 視線を感じたのか───少女がこちらを向く。


 腰まである艶やかな黒髪に、整った細面の中でも印象的な澄んだ蒼い双眸。


 コートは開けておくタイプらしく───そのおかげで、女性らしい体形が見て取れた。その細い腰にベルトを巻き、後ろに短剣を2本交差させてくくりつけている。


 佇むその姿は隙がなく、剣を扱えないという噂は事実無根だと確信する。


 今まで逢ったことのあるどの女性よりも美しいと思える容姿も目を離せない要因ではあったが────何よりも、少女が身に纏うその輝きだ。


 少女は、きらきらと煌く光の粒のようなものを纏わせていた────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る