序章―除籍と絶縁―#3


 意気揚々とイルノラド公爵家を出た私は、人気のない所まで進むと、立ち止まった。


「ネロ…」


 体内をめぐる魔力を喉元まで引き寄せ、声に混ぜながら、呟く。すると、次の瞬間には、私の目の前に黒猫がどこからともなく現れた。


 前世で目にしたことのある猫より耳がちょっと細長く、琥珀色の大きな切れ長の眼は周囲を漂う魔素に反応してキラキラと煌いている。


「呼ンダ?」

「うん。来てくれてありがとう。あのね、お願いがあるの。シェリアに今から行っていいか、聞いてきて欲しいの」

「イイヨ」


 片言でそう応えると、ネロは姿を消した。


 ネロは───“精霊獣”という存在だ。冒険者として受けた依頼で訪れた、とある森で出会った。


 魔獣に襲われているところを助け、私の魔力をあげたら懐いてくれて、こうして呼べば来てくれる。



「シェリア、来テモ、イイッテ」


 ほどなくして、ネロがまた忽然と現れた。


「ありがとう」


 お礼を言って、右手を近づけるとネロが掌を舐め始めたので、魔力を掌へと集める。


「リゼノ魔力、イツモ、オイシイ」

「ふふ、そう?それなら、良かった」



◇◇◇



 貴族街の中でもっとも皇城に近い場所に構えることを許され、皇宮に次いで豪奢な大邸宅である───ロウェルダ公爵邸。


 私が訪れることを知らされていたらしい門番に快く迎え入れられ、待ち構えていた家令のロドムさんに案内されて応接室に踏み入ると、豊かな金髪とそれより明るめの金眼を持つ美女───シェリアが待っていた。


「リゼ」


 彼女はこのロウェルダ公爵家の息女で、シェリア=アス・ネ・ロウェルダといい、2歳年上ではあるが、私にとって唯一の親友だ。


 誘拐されたシェリアを私が偶々助けて以来、ずっと交流を続けている。


「首尾は上手くいったの?」

「うん。除籍届も絶縁状も書かせた。でも、ちょっと想定外の事態になってね…」


 シェリアにルガレド殿下の親衛騎士の件を話すと、案の定、シェリアは、すっと表情を落とした。これは───激怒している証拠だ。


「イルノラド公爵は呪われればいいわね」


 涼しい顔をして、シェリアが怖いことを宣う。まあ───私も同じ気持ちだけれども。


「それでも、絶縁できたのは良かったわ。───それで、親衛騎士の件、どうするつもりなの?」

「引き受けようと思ってる」

「やっぱり…。はぁ、リゼにはわたくしの護衛になって欲しかったのだけれど…、仕方ないわね」


 私としても、身分や立場だけでなく───その美貌からも狙われることの多いシェリアを護りたい気持ちはある。


 けれど───シェリアにはその身を心配してくれる家族や、忠誠を誓ってくれている使用人たちがいる。


「ごめんね。何て言うか────ルガレド殿下のことは放っておけない気がして…」

「謝ることはないわ。それでこそリゼですもの。残念だけれどね」


 シェリアはそこで溜息を一ついて、湯気を立てるティーカップを優美に持ち上げ、お茶を一口含んだ。


「儀式で着る礼服を用意しないといけないわね」

「うん。それをシェリアに相談したいと思っていたの」

「1週間後ですもの、急がないと。───カエラ、至急使いを遣って、ラナを連れて来てちょうだい」

「かしこまりました」


 シェリア専属の侍女であるカエラさんが、すぐさま応接室を出て行った。



◇◇◇



「ラナ、よく来てくれたわ」

「お招きにあずかり、参上いたしました」


 ラナと呼ばれたこの女性は、フリーのお針子だ。


 実は───彼女は私が幼い頃助けられた孤児院の出身で、私にとっては姉のような存在だった。


 ちょっと痩せ気味だが、柔らかい栗色の髪と緑色の眼をした可愛らしい女性である。


「今日はどういったご用件で呼ばれたのでしょう?」

「実はね…」


 ラナ姉さんの質問に、私が答える。


 すると、私を妹分として可愛がってくれているラナ姉さんが、思わずといったように叫んだ。


「っ何よそれ!…っと、失礼いたしました」

「いいのよ、ラナ。その気持ち、わたくしも同じですもの」


 今年19歳になるラナ姉さんは、口調や立場は崩さないものの、シェリアと結構気が合うようで意気投合することが多い。


 シェリアもラナ姉さんを気に入っていて、それを許している。


 私すら置いてけぼりにされることもあるので、二人を引き合わせた身としては、時々寂しくなることもあるけど。


「それでね、礼服が必要なの」

「1週間しかないから、既製品を手直しするしかないのだけれど、その既製品を探す手間すら惜しいわ。今回は、シルムのものを使いましょう」


 シルムとは、14歳になるシェリアの弟だ。シェリアと同じ金髪金眼を持つ可愛らしい男の子で、私にも懐いてくれている。


「でも───」

「1着くらい大丈夫よ。シルムには、後で新しいものをあつらえればいいのだから。それより、一刻も惜しいわ。早速、試着に取り掛かりましょう」


 カエラさんの先導で、気持ち急ぎ足で、衣裳部屋へと向かう。


 “デパート”のワンフロアと錯覚するような衣裳部屋に私は一瞬気後れをして足を止めたが、シェリアはもう目星を付けているらしく、迷うことなく進んでいく。


「さて、と。わたくしは、これが良いと思うのだけれど」


 そう言ってシェリアが手にしたのは、深青色のコートだ。繊細なパイピングと刺繍が豪奢だが、派手さはなく上品な印象だ。


「それから、このベスト」


 シェリアに手渡されたベストを見る。ベストは濃いグレイの色合いで、コートと揃いであつらえたものらしく、同じ意匠の刺繍が施されていて、これまた上品な逸品だ。


「タイはこれ。シャツはわたくしのものの方が良いわね。…さあ、着てみて」


 次々に手渡され、言われるがまま着替える。


「悪くはない───悪くはないんだけれど…」


 ラナ姉さんが唸るように呟く。


「似合っている───似合ってはいるのよ…。だけどねぇ…」


 シェリアが残念そうに溜息をく。


 シルムは私より少し身長が低いくらいなので、着丈は問題ない。が、やはり男と女では体形が違う。そう、胸が邪魔をして、ベストもコートも閉まらないのだ。────決して太っているわけではない。本当だよ?


「っく、わたしより3つも年下なのに…っ。羨ましい……」


 ラナ姉さんが、暗い表情で何か嘆いている。


「シルムのでは駄目そうね…。お父様のでは大き過ぎるし、わたくしはドレスしか持っていないし…」


 何か───何かいい方法はないかな…。

 あ───そうだ。


「ねえ、シェリア。コートって絶対に閉めてないといけないの?」

「…いいえ。ベストやタイを豪華にして、わざと開けて見せている人もいるわ」


「それなら───こういうのはどうかな。ベストの前部分だけ切り取って、コートの内側に縫い付けて一体化させちゃうの」



◇◇◇



「やあ、リゼ。首尾は上手くいったそうだね。話はシェリアから聞いたよ」


 建国記念日までの一週間、ロウェルダ公爵邸に世話になることになり、一度街に出て幾つかの所用を済ませてから、また公爵邸へ戻ると、シェリアの父親であるロウェルダ公爵が帰宅していた。


「おじ様、お仕事お疲れ様です。そして、お邪魔しています」


 ロウェルダ公爵───シュロム=アン・ロウェルダは、この国の宰相を務めている。血筋も、イルノラド公爵家などとは違い、臣下に下った皇族を始祖に持つ。


 シェリアにそっくりの金髪金眼を持ち、人目を惹く美貌の優男であるが、その柔らかな表情と口調とは裏腹に、一国の宰相に相応しい切れ者だ。


「そんな他人行儀な。いつでも来ていいんだよ」


 おじ様は────というよりこの公爵家の人々は、使用人たちも含めて、どうも私がシェリアを助けたことを恩に着ているらしく、皆私に優しくしてくれる───というか甘い。



「ところで───ルガレド皇子殿下の件も聞いたよ」

「おじ様はご存じなかったのですか?」


 おじ様には、イルノラド公爵家と絶縁する方法を直前まで相談していた。


 その際にルガレド殿下の親衛騎士の件を私に教えてくれなかったことを、ちょっと疑問に思っていたのだ。


「いや、ルガレド皇子殿下が今回で成人されることは知っていた。まあ、かなり急に決まったのだけれどね。だけど、ジェスレム皇子もルガレド皇子殿下も、別の者が親衛騎士となると聞いていたんだよ。

確か───ジェスレム皇子の方はベイラリオ侯爵家門の伯爵令息で、ルガレド皇子殿下の方はジェスレム皇子といさかいを起こした子爵令息だったはずだ」


「変更について、おじ様の方へ連絡は?」

「帰宅直前に連絡が来たよ。一応、リゼの返事待ちだったのかな。そうすると───変更を画策したのはイルノラド公爵率いる一派だね」


 各騎士団の上層部連中というわけか。


「ルガレド皇子殿下の最初の候補者は、実力があって将来を嘱望されている騎士だからね。彼らとしては、ルガレド皇子殿下の親衛騎士になどさせたくなかったんだろう。

それに、ジェスレム皇子の親衛騎士も、ベイラリオ侯爵の息のかかった者にしたくなかったんだろうな」


「なるほど。イルノラド公爵公女はジェスレム皇子の抑止にして、傲慢で我が儘な妹の方は───除籍すればルガレド殿下と共に将来を潰されても良いと考えたわけですね」

「そうだろうね。ファミラ嬢が抑止になるとは思えないけどねぇ。きっと面倒なことになるよ」


 今、イルノラド公爵が堕ちちゃったら困るんだけどなぁ────とおじ様はぼやいた。


「…ああ、そうだ。忘れないうちに、除籍届を預かるよ。私の方で受理しておくから」

「お願いします」


 例のナイロンみたいな素材の袋から除籍届を取り出して、おじ様に手渡す。


 この袋の中は、“異次元収納”になっている。そう、よくラノベやマンガで出てくる、“マジックバッグ”というやつである。


 ただ、大きさは3㎡ほどしかない。時間も止まらないので、ラノベなどで出てくるもののように万能ではないけれど。


 それでも、荷物が嵩張かさばらないというだけで、あると便利だ。


 B4サイズのそこまで大きくはない袋だけど、布地が驚くほど伸びて、口が大きく開くので結構大きめの物も入れることが出来るしね。


 これは古代魔術帝国の遺産で、現在の技術では造ることは難しいらしい。袋の素材すら不明とのこと。


 大変貴重なものであるのだが、数十年前に遺跡から大量に発掘されために、所有に制限はあるがこうして出回ってはいる。


 もちろん、私はSランカー冒険者という立場ゆえ手に入れることが出来た。



 袋を畳んで内ポケットにしまっていると───おじ様が、ふっと真剣な表情になった。


「…リゼ。ロウェルダ公爵家としては、今の段階では表立って後ろ盾になることは出来ないけれど、宰相として、それに私個人として───できるだけ力になりたいと思っている。だから、何かあったら遠慮せずに頼るんだよ。…いいね?」


 シェリアも、ラナ姉さんも、おじ様も───みんな本当に優しい。


 実の両親や兄姉には恵まれなかったけど、こうして心を砕いてくれる人がいて───私は幸せ者だ。


 私は溢れる気持ちのまま、微笑んだ。自然とお礼が口から零れる。


「ありがとうございます、おじ様」



※※※



「私は…、この10年───いや、レミラに引き合わされた時からか…、一体何を見ていたんだろうな…」


 ダズロ=アン・イルノラドが、執務室に戻るなり椅子に深く座り込み、疲れた表情で自嘲気味に呟いた。



 まだ一部のみのものだが調査結果は───予想以上に最悪だった。


 この10年のリゼラへの虐待ともいうべき対応は勿論、貴族間での『傲慢で我が儘』というリゼラの評判も、レミラとファミラが積極的に流したものだと判明した。


 ダズロもセロムも、リゼラの態度や行いから、自然に噂されるようになったのだとずっと思っていたが、考えてみればそれはありえないことだ。


 リゼラは、社交の場には一度も出たことがないのだから。



 特にファミラは、口ではリゼラの傲慢さを心配しながら、嬉々として悪評をばらまいていたそうだ。


 そんなことをしながら、ファミラ自身、相手の身分が伯爵家以下だと横柄な態度で接していたようで───下級貴族の間では、『妹が傲慢で我が儘なのも、ファミラと血が繋がっているなら頷ける』と、姉妹諸共の悪評が出回っているとのことだった。


 そして、先程、この調査結果を手にセロムを伴い、レミラと話をするために赴いたのだが────


『…うふふ。4日後には皇子様の親衛騎士になれるなんて、夢みたい』

『あら、貴女の実力なら、当然のことよ。本当に誇らしいわ。貴女を生んだことは、わたくしの誉れよ』


 そこにはファミラがいた。二人は、ダズロとセロムが扉の前にいることに気づかず、話し続ける。


『あの出来損ないが足を引っ張らないといいけど』

『大丈夫よ、アレはもう籍を外されて平民に落とされたのだから。貴女がアレに煩わされることは、もうないわ』

『やっといなくなって、清々したわ。お茶会や夜会でアレのことを訊かれる度、嫌な思いをしたもの』

『…アレを生んだことは、わたくしにとって汚点だったわ。アレに比べ、貴女は優秀だもの。次期皇王の親衛騎士よ。きっと歴史に名を残す騎士となるでしょうね』


 二人の会話に、愕然とした。結局、あの二人と向き合う気力はなく、静かにそこを離れた。



「ファミラがいつ、リゼラにわずらわされたというのだろうな。ほとんど会っていないのに」


 リゼラは、城下街では有名だったのですぐに調べがついた。幼い頃から毎日街に下りて、食い扶持ぶちを稼いでいたというのは事実だった。


「それに───『次期皇王の親衛騎士』だと?『夢みたい』?あいつらは、一体何を言っているんだ?」


 皇妃の浅慮な振る舞いのせいで、この国が今どんなに大変なのか───平民ですら解っている。


 それなのにあの二人は、皇妃がただの権力者で、ファミラの実力が認められて取り立ててもらったと考えているようだった。



 半月前───ファミラにジェスレム皇子の親衛騎士の件を打診した時、ダズロもセロムもファミラが事の重大さを当然理解しているものと思っていた。


『ジェスレム殿下は、ジェミナ皇妃の実子だ。大変な任務になるが───出来るな?』


 ダズロがそう訊くと、ファミラは神妙に頷いた。


『はい。任せてください。必ずやり遂げてみせます』


 ファミラのこの返事に、セロムでさえも、ダズロの意図は伝わったものと思い込んでしまったのだが────それをあのように解釈していたとは、思いもしなかった。


「大体、手柄を立てるどころか、実戦を経験したこともないのに、いつ実力を認められたというんだ?」


 驚いたことに、ファミラは実戦は未経験とのことだった。


 レミラはファミラを可愛がるあまり、実戦に出ることを許さなかったという。獣一匹とすら、対峙したことがないのだ。


「はは…、私は本当に馬鹿だ。あの子の言う通りだった…。せめて一度だけでも───ちゃんとレミラや子供たちと接していれば───」


 ダズロはそこで言葉を切り、弱々しく顔を両手で覆った。


「ダズロ…」


 セロムは、思わず立場を忘れて親友の名を呼んだが、かける言葉は見つからなかった。



 しばらくして、ダズロが顔を上げ、鈍い動作で立ち上がった。


「……こうしてはいられない。ウォレムに相談しなければ────」

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