30.戸惑いと決意

 それからしばらく経って、予定どおり帰国が決まった、と晴大から連絡があった。そのことは単純に嬉しかったので、楓花はすぐに彩里に連絡した。既に夏休みに入っていたのですぐには返事はなかったけれど、夜になって電話がかかってきた。

『良かったやん。迎えに行くん?』

「ううん。夜遅いから、時差ボケもあるやろうし、何日かしてから会う予定」

『ふぅん。待ち遠しいやろぉ?』

「う……ん……」

『え? 楽しみじゃないん?』

「楽しみやけど、実は──」

 あれから晴大とは何度か連絡を取っていたけれど、彼の父親の会社のことには全く触れられなかった。楓花はもちろん悩んでいたけれど、どれだけ悩んでも答えは出なかった。そのことを彩里に打ち明けると、悩むのも分かる、と言ってくれた。

「どう話が来るんか、ちょっと怖くて」

『ほんまやなぁ。渡利君が留学してまで継ぐんやし、しょうもない仕事ではないと思うけどな』

「そうなんやけど……まだ二十歳やし、十年後のことも考えられへんし」

『確かに……。でも、たぶんやけど、渡利君は楓花ちゃんと別れる気は全くないと思うで。だって、もう、何年? 中学ときから好かれとったんやろ?』

 考えれば考えるほど分からなくなって、楓花はアルバイトにも集中できなかった。客の前ではさすがに気を引き締めたけれど、バックヤードに戻った途端にため息をつく日が続いていた。

 晴大のことは、好きだ。今すぐにでも会いたい。

 けれど、仕事をさせてもらうのは違う。

 そして、結婚が何なのか、いまは分からない。

(確かに早く結婚するほうが、いろいろ良いらしいけど……)

 ホテルの制服から私服に着替え、楓花はいつも通り裏口から外に出た。そして駅に向かって歩きながら、隣のレストランを見た。以前は晴大がアルバイトをしていたけれど、彼はもうここにはいない。彼がいた頃は何度か食事をしたけれど、いなくなってからは行かなくなってしまった。

「帰れへんの?」

 後ろから声をかけられた。聞き覚えのある声なので時間差で仕事を終えたホテルの従業員だと思い振り返ると、そこにいたのは──。

「え……はる、と?」

「どうした? 俺の顔、忘れた?」

 デートの予定は数日後だったので、全く想定していなかった。半年振りに会う晴大は、楓花の記憶よりもまた格好良くなっていた。笑顔で立つ彼に走り寄ると、その勢いで彼に抱きついた。

「会いたかった……。おかえり」

「ただいま。うん、やっぱ俺より小さいほうが可愛い」

 晴大は楓花を抱きしめながら、アメリカ人はみんな大きくて嫌だった、と笑った。

「……晴大、またモテてたんやろ?」

「えっ、なんで知って──」

「Emilyから聞いた。でも、ちゃんと断ってるって、褒めてた」

「──当たり前やろ。俺には楓花しかおらん」

 晴大の言葉に楓花が笑顔になると、晴大は楓花に割りと長めに触れるだけのキスをした。

「──ちょっ、晴大っ、こんなとこでっ」

「良いやん、したかったやろ? ……とりあえず乗れ、帰るんやろ?」

 晴大は数日前に帰国し、この日はアポ無しで長瀬家に行ったらしい。

「もともと予定してたの明後日やったよなぁ?」

「そう。でも、会いたかったから迎えに来た」

 中途半端な時間だったので食事には行かず、晴大はまっすぐ家のほうに車を走らせた。晴大が迎えに来てくれたことは楓花も嬉しいけれど、突然だったので言葉が出てこない。運転している手元を見て、進行方向を見る横顔を見て、安心してしまう。横顔を見続けて、やっぱり彼はイケメンだと思う。

「楓花、何か喋れ」

「……なんで同じ大学やったん?」

「今頃それ聞くか? まぁ良いか……。別に何もないで、ほんまに。たまたま一緒になっただけ」

「そうなん? 誰かに聞いたとか?」

「いや、ほんまに。だから見かけたとき嬉しかった。でも楓花は俺のこと避けてるし、桧田と仲良くしてるし……どうしようかと思ったわ」

 それでも晴大はなんとか平静を装って、翔琉のことをすぐに調べて、楓花との距離を少しずつ縮めてきた。そして──付き合うようになった。

「もし再会してなかったら、さすがに諦めた?」

「どうやろな。成人式があるからな。それまで待ったと思うわ」

 晴大は本当に、楓花のことがずっと好きだったらしい。楓花ももちろん好きだったけれど、高校の時に何人か恋人がいたので忘れてしまっていた時期もある。友人に紹介してもらってからの自然消滅が初めの頃に二回ほどあって、それから卒業するまではほとんど何もなかった。

「こないだの話──考えてくれた?」

 楓花の返事を聞く前に、晴大は車を近くのコンビニの駐車場に停めた。エンジンを止めて静かになったけれど、買い物をしたいわけではないらしい。

「いま話すことではない気もするんやけどな……。俺は、楓花のこと真剣に考えてる。楓花の気持ちを聞いときたい」

「──考えたけど、正直わからん。まだ学生やし、付き合い始めたとこやし、そもそも晴大のことも、家のこともちゃんと知らんのに……」

 楓花が知っている晴大のことは、格好良くて成績優秀で、バスケは得意でも音楽は苦手で、将来は父親の会社を継ぐ予定の正真正銘の男、というだけだ。楓花のことを好きでいてくれたのは本当に嬉しいけれど、将来のことを考えるには家のことも知りたい。

「晴大のことは好きやけど、あれもこれもしてもらうのは違う気するし。仕事したとして、もしも別れたら気まずいし」

「──ははっ、楓花、それ正解。……でも、仕事はどっちでも良いけど、その……俺、楓花と別れるつもりないから」

 言いながら楓花を見つめる晴大の目は真剣だった。

「楓花とは、卒業しても、ずっと一緒にいたい。……仕事のことは置いといて、単純に──。楓花は?」

 楓花を見つめる晴大の顔が、少しだけ赤くなった。彼は本当に、楓花との結婚を考えているらしい。

「私も、今のとこ……そう思ってる」

「俺──楓花にちゃんと家のこと話す。だから明後日、うちに来てもらえる? あ──親に会うと思うけど」

 晴大が緊張しているせいで、楓花もあまり動けなくなってしまっていた。呼吸がおかしくなってくるし、横を向くだけでもカクカクしてしまった。長めに息を吐いてから、楓花は口を開いた。

「──良いよ。家のこと聞いたら、晴大とのこと、もっとちゃんと考えてみる」

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