第5章 …大学3年生 前期…

26.彼のいない春

 そしてまた春が来て、楓花は大学三年生になった。履修必須の科目も減り、それぞれが専攻を決めてゼミに入って、自分の研究テーマを決めて卒業論文に向けて考え始める時期だ。楓花はアルバイトの関係で外国人観光客とのコミュニケーションに興味があったけれど、晴大と付き合い始めてからはビジネスコミュニケーションにも興味を持ち始めた。楓花には経営のことはさっぱり分からないので、どうしてもコミュニケーションが先に出てしまう。

 三月の下旬に晴大はアメリカへ行ってしまった。楓花は空港まで見送りに行って、翌日の午後にワシントン州にあるABC Universityの寮に着いたと連絡があった。日本では昼間だったけれど、ワシントンとの時差は十四時間あるので晴大の時計は前日の夜中だ。フライト時間もおよそ十三時間なので、晴大は飛行機に乗ったときの時間に戻ってしまっている。時差を考えているとややこしくなってくるし、晴大は疲れているはずなので休んでほしいと伝えた。

「ごめーん遅くなった……あっ、楓花ちゃん、また見とぉな」

 彩里と一緒に授業に出る日も減り、昼休みにカフェで待ち合わせることが増えた。ゼミのことを考えてもいるけれど、手に持っているスマホの画面には晴大の写真だ。さすがに楓花も恥ずかしかったので待ち受けにはせず、自分で撮った彼の写真を集めて成人式のものと一緒に〝晴大フォルダ〟を作った。

 楓花がいま見ていたのは、アメリカから送られてきた最新の晴大だ。寮で一緒になった学生と一緒にキャンパスで撮ったらしい。緑が多い広い敷地にレンガの建物が綺麗に映えている。男性ばかり十人ほどの中に日本人は約半分だ。

「渡利君どれ? あっ、──周りこれアメリカ人かなぁ? 外国の男の人って格好良く見えるけど、渡利君が負けてないのは何なんやろ……」

「やっぱりそう見える? 良かった、私だけ目おかしいかと思った」

 外国人、特に欧米人は顔のほりが日本人より深いので、だいたいが美男美女に見えてしまう。晴大はイケメンではあるけれど特に特徴的な部分はなく、笑い方によってはまだ二十歳なのもあって幼く見えたこともある。それでも彩里から見ても晴大が劣らずイケメンに見えるのは、よっぽど自信に溢れているのだろうか。

「なんかさ……楓花ちゃんに怒られるけど、渡利君のあの噂は違ったみたいやし、せめてもう一年早く生まれてくれてたら良かった、って思うわ」

「早く? 彩里ちゃんか遅れるんじゃなくて?」

「だって、私が遅れたところで渡利君は楓花ちゃんに出会うから変わらんやん?」

「ああ……なるほどね」

 楓花が晴大から聞いたことはだいたい彩里にも伝えた。晴大はなにも言わなかったけれど、誤解されたまま渡米するのは嫌だったはずだ。翔琉がどうかは分からないけれど、楓花が晴大を選んだことでクラスメイトたちからの誤解も解けたし、何より楓花が毎日のように着けているペンダントが、決して色は目立ってはいないけれど、周りからは存在感たっぷりに見えた。

「長瀬さん、渡利君から連絡あるん?」

 珍しく友人たちが何人も揃ったある日の教室で、近くに座る一人が聞いてきた。

「うん、たまに……時差あるから電話は無理やけど、ときどき起きたらLINEきてる」

「時差どれくらい?」

「マイナス十四時間やから……昼と夜が逆。いまは、向こうは昨日の夜中」

「寝てるなぁ」

 もしも寂しくなりすぎたら、大学をサボってアメリカへ遊びに行くのも有りだ、とクラスメイトは笑う。

「楓花ちゃん……渡利おらんしさぁ、たまには遊ぼうよ。二人で」

「──ごめん、それは無理」

 頬を膨らませるのは翔琉だ。彼は事故を起こしてから真面目になった時期があったけれど、今はまた以前と同じ外見に戻ってしまっていた。

「良いやん、遊ぼうよ」

「無理。晴大とも約束してるし」

「どうせ見てないやん? 半年も寂しいやろ? アメリカでまた美女でも捕まえてんちゃうん?」

「──やめて! 晴大がそんなわけない!」

 楓花の声は教室に響き、全員に注目されてしまった。晴大の噂がほとんど嘘だったことを、翔琉は信じていないというより信じるつもりがないらしい。

 ちょうど時間になったので先生たちが入ってきて、教室はしんとなった。この時間は就職活動の説明会だったので、クラスメイトどころか同じ学科の全員が集まっていた。説明会の間は全員が静かに聞いていたけれど、終わった瞬間に『さっきの叫びは何?』という話があちこちから聞こえた。

「楓花ちゃん……渡利君からは、連絡あるんよなぁ?」

「……あるよ。たまにやけど」

 初めは毎日来ていたものが、アメリカで授業が始まってから少し減った。ネイティブの英語に囲まれていることはもちろん、得意ではない経営の話を聞いているので、疲れがなかなか取れないのだろうとは心配していた。一ヶ月が経ったいまは、晴大からの連絡は一週間に一度ほどになった。

「寂しいけど晴大は頑張ってるし、邪魔したくないし」

「楓花ちゃん、何となくやけど渡利君に似てきたよなぁ?」

「え……そう?」

「うん。ほんまに何となくな。一人で孤独に戦ってる感じする」

「えっ、別に一人になろうとはしてないけど」

「だから何となくな。前はさぁ、何でも私とか翔琉君に合わせてくれてたけど、あ、私は今も不満はないんやで? でも、自分の考えとかちゃんと言うようになったやん?」

「そう、かなぁ……」

 楓花も心当たりがないことはない。今までは友人を傷つけない選択をしてきたけれど、大学で晴大と再会してから、特に付き合うようになってからは自分の意見をちゃんと言うようになった。正直になって、人には流されず、正しいと信じた道を歩いていきたかった。だから翔琉の誘いに乗るつもりはないと伝えたし、晴大を悪く言われて腹が立った。

 彩里と一緒に教室を出ると、廊下で翔琉が待っていた。楓花はそのまま行くつもりだったけれど、翔琉に呼び止められた。

「さっきはごめん、言いすぎた」

「……もう良いよ」

「俺はただ、楓花ちゃんが寂しくないんかなと思って……あんまり、連絡ないんやろ?」

「寂しいけど、私は晴大を信じてるから。いろんなこと話したけど、浮気するような人じゃない。わざわざ私を捕まえてまで留学──」

 話しながら考えていると、楓花は一つの仮説にたどり着いた。それはまだ、誰にも言うことができなかった。

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