カクヨムざまぁ~小説投稿サイト執筆遍歴メモリー~

楠本恵士

年代は黒歴史なので、探らないように……

第1話・ここからスタートしました

 さて、何から話したら良いものやら。

 就職の履歴書と同じように、十指を越える転職遍歴があると「次はどの職種だったのか?」わからなくなってくるので。

 作品執筆遍歴も、順番があやふやになっている記憶部分があるので、ご了承を。


  ☆☆☆☆☆☆


 まず、記憶に残っている限りの、最初に小説コンテストに作品を郵送したのは。

『富士見書房〔KADOKAWA〕が当時は紙媒体で発行していた月一回発行の小説誌【ドラゴンマガジン】』だったと思う。


 あの当時は、自分の作風に合うノベル系の小説誌でコンテストをしていたのは、その一社しか無かったと記憶しています(SFマガジンはハードルが高すぎる)


 確かドラゴンマガジンが主催した『第二回小説コンテスト』に生まれて初めての長編拙作を、手書き原稿用紙二百五十枚くらいを半年以上かけて書き上げて郵送しました。

 その時、どんな作品を送ったのかは記憶の彼方。

〈ちなみに、第一回目の受賞者は『神坂一』だったのは鮮明に覚えている〉


 当時は、ネットコンテストの募集と異なり、一年に一回の募集のみ……さらに他の人がどんな作品で参加しているとか、参加作品数がどのくらいあるのかは募集期間中の把握は不可能。

 誤字脱字が、郵送した分厚い小説の中にあっても直しは不可能の時代。


 初の長編小説コンテスト参加……未熟な拙作なので、当然結果は落選。

 それでも「よし、次は頑張ろう!」と、一年に一度のチャレンジを続け……二回目、三回目くらいまでは、まだ希望と夢が残っていました。


 四回、五回と落選が続き(実際、何回書いて送ったのか定かではない)

 気持ちも萎えてしまって、もうドラゴンマガジンの結果を確認するのも面倒くさくなってしまって「受賞したら連絡が来るから分かるだろう」程度の感覚になっていました。


 そして、何回目に送った作品の結果を久しぶりに確認するために、ドラゴンマガジンをめくって結果のぺージを見たわたしは、愕然がくぜんとしました。

 いつの間にか募集要項に『年齢制限』が追加されていました。

 頭をハンマーで殴られたようなショック。

 つまり、いつからかはわかりませんでしたが、郵送した時点で【落選】は決まっていたワケですね(当時は参加作品に年齢の記入が条件でした)


 いつの間にか、年齢制限ありの募集項目にショックを受けたわたしは、次のコンテストには作品参加しなかった。

 執筆意欲が萎えて別の作品も、書かなかったかも知れない。


  ★★★★★★


 そして、一年後……募集要項のぺージを見た瞬間、わたしの頭の中に再び衝撃の閃光が広がって、頭の中が真っ白になって。

 心の中で、何かがバキッと折れる音を聞きました。

(心は折れた時に、本当に音がします)


 年齢制限ありが、わたしが作品を送らなかった一年後には、元の年齢制限は関係なくなっていました。

 激しい怒りと絶望感──それから一年間、一文も小説が、ショックのあまり書けなかった。


 その時に、怒り心頭した、わたしが心の中で富士見書房につけた名称が【腐れ外道の富士見書房】


 それから、ドラゴンと名のつくレーベルには激しい嫌悪感が、どうしてもつきまとうコトになってしまいました。


【腐れ外道の富士見書房】

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