白昼夜夢

紺埜るあ

白昼夜夢

 チチチ。チチチ。


 枕元に置いた携帯端末から鳴る季節感のないさえずりで目を覚ます。


 まだ頭がぼんやりとしている。


 今朝はなにやら夢を見ていたような気がする。夢を見ていたということはわかるけど、それがどんな内容だったのかまではまるで思い出せない。怖い思いをしたとか温かい気持ちになったとか、そういったことすらも。

 夢なんてそんなものだったっけ、いつぶりに見たのかもわからないくらいだからすっかり忘れてるや、なんてことを考えながら支度をする。


 リビングでひとりの朝食を終えて自室に戻り、パジャマから黒のセーラー服へと着替えようとしたところで、普段とは違うものを目にした。左の前腕に緑色の数字が並んでいる。6825。なに、なんなの、これ。マジックペンで書かれたように見えたのでとりあえず擦ってみるも変化なし。水性だといいなと一縷の望みを持って洗面所にごー。洗ってみるも効果なし。

 そうこうしているうちに時間が迫っていることに気づき、少し慌てて着替えを済ませる。幸いまだ夏ではないので前腕なら袖で隠れてくれる。なんの数字かもわからないしお風呂で洗えば落とせるのかもわからないけどひとまず考えるのは帰ってきてからの自分に任せることにして家を出た。


 最寄り駅でいつも一緒に通学している幼馴染と合流し高校最寄りまで1時間ほどかかる電車に乗り、電車の時間ギリギリに来たことに「今日来ないのかと思った!ずっと電話もメッセもしてるのに出ないし!既読にもなんないし!」と言われてはじめてスマホを忘れて来たことに気づく。慌てるとほんとにいいことがない。「いっつも暇さえあればTwitter見てるくせにどうした?大丈夫か??」なんて心配されているのか煽られているのかわからない――十中八九後者である――お言葉を頂戴したのでわき腹を軽く小突いてやった。当たり所が悪かったのか思ったより痛そうにしていたので謝り、そしてやり返されつつ疑問に思う。Twitterなんてやってたっけ。


 明日の朝には忘れてるようなくだらない話をしているうちに気づけば学校に着いていた。クラスの違う幼馴染と教室の前で別れ、そこから一日授業を受け昼ごはんを食べまた授業を受ける至って平凡な、特筆すべきこともない高校生の日常を過ごした。本当に普通の一日……のはずなのに、些細な違和感、違和感という言葉にするほどでもないほどの自分と世界とのピントのズレみたいなものがいくつもあった。

 いつもと同じはずなのにずっと机に向かっていることがやけに辛く感じたこと、友達やクラスメイトに一度や二度じゃなく何度もふとした瞬間に若いな~と思っていたこと、極めつけはトイレの前で毎回男女どっちか迷ってしまうこと。おかしい。自分が自分でないような、まるで今日生まれたかのような、そんな気さえしてくる。腕の数字はなにか関係があるのだろうか。この6825という数字は、私がアンドロイドであった場合の製造番号とかだったりするのだろうか。こわい。


 私が悩んでいるのが気になったのか、幼馴染が「帰りにタピオカ飲みいかん?」と誘ってくれたため、お店の前の列に並んでいる。タピオカのブームもとうに落ちつき以前のような長蛇の列ではない。前に一組後ろに三組ほどだ。そもそもブームの前はほとんど並んだことなんてなかったんだけど。あれ。タピオカ飲んだことあるんだっけか。自分たちの番が来たので注文して受け取り、近くのベンチに腰掛け話をする前にまずは一口と二人とも考えていることが何も言わずとも通じ合ったので「「いただきます」」と声を合わせて言う。幼馴染と二人でいることで気が楽になったのかテンションが上がったのか思わず勢いよく吸ってしまった。


「ゴッ、ガ、グッ、ゴホッゲッホ」


 タピオカが喉に詰まり苦しみ悶えるなかで「大丈夫!?」と慌てふためく幼馴染の声が……聞こえない。隣で幸せそうな顔して飲んでる。というかそもそも私が咳き込んでもいない。間違いなく喉に詰まった感じがあったのに。……喉に詰まった感じがあっただけだ。何も苦しくなかった。おかしい。これは絶対におかしい。

 多分、これは夢なんだ。よくほっぺをつねられても痛くなかったら夢というような判別方式が用いられているが、痛みも肉体的な苦しみも同じなんだろう。念のため幼馴染にほっぺをつねってくれないか頼んだら今日見た限りではいちばんの困惑の表情を浮かべたものの引き受けてくれた。カウントダウン、3、2、1。……痛くない。こういうので本当に夢だったときどうしたらいいのか知らないよ。


 夢だとわかると途端にすべてがどうでもよくなるもので、「タピオカ飲んだら元気になった」とあながち嘘でもないにせよかなり適当な理由をつけて解散した。

 ひとりになった帰路で考えるのは、この夢から覚める方法だ。やっぱり鍵はこの腕に書かれた6825という数字だろう。明らかに不自然だし。


 「6825……ろくはちにぃごぉ……ろくせんはっぴゃくにじゅうご……」


 何を表す数字なのか心当たりが全くないためブツブツ唱えながら考えていた。語呂合わせやその逆でなにかの語に由来して付けられたものなのか、またはやっぱり製造番号みたいに識別したり総数を数えたりするためのものなのか……。


「6825番……6825人……6825体…………6825日……6825回、終わり!わかr」


 わからん!!!って叫ぼうとしたら、というか叫び始めてから言い終わるまでの間に目の前が真っ暗になった。




 

 


 チチチ。チチチ。


 枕元に置いた携帯端末から鳴る季節感のないさえずりで目を覚ます。


 まだ頭がぼんやりとしている。


 今朝はなにやら夢を見ていたような気がする。夢を見ていたということはわかるけど、それがどんな内容だったのかまではまるで思い出せない。怖い思いをしたとか温かい気持ちになったとか、そういったことすらも。

 夢なんてそんなものだったっけ、いつぶりに見たのかもわからないくらいだからすっかり忘れてるや、なんてことを考えながら支度をする。


 リビングでひとりの朝食を終えて自室に戻り、パジャマから黒のセーラー服へと着替えようとしたところで、普段とは違うものを目にした。左の前腕に緑色の数字が並んでいる。6826。







「変わり映えしない日常ですみませんねえ」


 巨大な筒状の水槽に向かってまるで悪いと思っていない様子で謝っている彼は、研究者もしくは医者か。白衣――と呼ぶには薄汚れ黄ばんでしまっているものを着ていた。水槽、正確にはその中で浸けられている脳みそに、行儀のよい言葉遣いに似合わない、愛しい我が子を相手にしているかのような声色でずっと話しかけている。


 「タピオカ、好きでしょおう」

 「毎回失敗したと思わされる……幼馴染じゃなくてクラスメイト程度にしておけば」

 「俺の……トドオカさんは俺が……」


 トドオカ、というのは水槽の中の脳みそのことである。正確にはその持ち主を指す。

 トドオカは極東日本において20世紀末から21世紀中頃までその名を轟かせていた指定暴力団トドオカ組を前身組織とする巨大犯罪シンジケート、トドオカ・カンパニーの長であった。(有力な情報源によると改名の際トドオカは「マフィアとか外人サンらがファミリーって名乗りよんの嫌いやねん」「家族と一緒に働くのなんか気持ち悪うてしゃあないわ」「仕事は会社でするもんや、せやんなあ?」などと言っていたらしい。)

 暴力団時代から組長であるトドオカ自身の戦闘力は広く知られていたが、カンパニーになってからはその名と力を知らない者は知能を持たない生物のみであるとさえ言われるようになっていた。

 その頃トドオカは他者への興味を失ったとされている。彼がその嗅覚の次なる対象としたのは、あらゆる相手を葬り去ってきた他ならぬ自分自身の身体だった。彼の肉体は人類史上類を見ないほどに恵まれた最高の、今では彼の血に塗れた生涯にあわせて変化した最恐の肉体であった。



 トドオカさんは知っていた


 自分の体の最適にして最大威力を出せる扱い方を


 トドオカさんは知っていた


 相手の心も体も砕き壊し支配し殺す、力を示す方法を


 トドオカさんは知らなかった


 まだそれだけは知らなかった


 自分を殺す方法だけは、まだ知らなかった


 それに気づいたトドオカさんは幾度も自死を試みたが、しかし何度やっても死ぬことは出来なかった。彼のモットーは「最後まできっちりとやる」というものだった。彼が最後に最後まできっちりとやると決めたことは、自分を殺すことだった。


 認めない。俺は絶対に認めない。

 トドオカさんを殺すのは俺だ。俺でなくてはならない。

 相手にならなくとも、相手にされなくとも、どんな手を使ってでも俺が殺す。


 同じように彼を殺そうと狙っているやつなんぞごまんといる。彼らの大半が親兄弟夫婦子孫恋人を殺された復讐心で、次に多いのが上司たるそれぞれのボスの命令。一昔前なら正義のためなんて奴の方が多かったか。

 俺はそのどれでもない。

 俺は彼を尊敬している。敬愛している。故にこそ俺が殺すのだ。

 俺はあの人が失敗するところを見たことがない。何かに本気になるところも見たことがない。長年機会を狙って来たがそれでもだ。あの人はただでさえ人間離れした体だ。そのうえその恵まれた体のせいで頂点でただ一人孤独に過ごしてきたせいで中身までもが人間離れしてしまっている。

 だから俺はまず彼のモットーである「最後まできっちりとやる」を否定することにした。最後まできっちりと出来ないように、その「最後」をなくす。消し去る。

 そうして俺が彼を人間にする。


 彼は自分で自分を殺す方法を見つけることができなかった。「最後まできっちりとやる」ために彼は老衰病気事故その他自分以外の死因となり得るものを避けるため(ここに他者に殺されることが入ってないあたりが彼らしい)合理的な手段として部下たちにあらゆる方法を考えさせ自身はコールドスリープに入ることを決め、それを実行した。10年だか20年だか前の話だ。

 俺は失望し、絶望した。トドオカさんはそんな軟弱な選択をしない。トドオカさんは自分が死ぬ方法を他者に任せて眠るなんてことはしない。俺は護衛についていた彼の部下たちを鏖殺し眠っている彼を奪い去ってやった。しかし眠りについた状態の彼を殺すことになんの価値もない。彼のモットーを砕くため、脳を取り出し同じ夢を10000回見せることにした。意識の中での同じ日をループさせて「最後」を消す。夢の中では間違っても現実での自分を思い出して目覚めることがないよう自認が女子高生となる情報を脳に与え、同じ夢を繰り返し見ているさまを記録。10000回を終えたあかつきにはたたき起こしそれを見せつけ彼を人間にする。


 薄汚れた白衣の男は眼前の水槽から目を離し、数歩先にある経過記録用コンピュータがモニタに映し出している脳波パターンを確認した。先ほど終えた6825周目においてこれまでで最も大きな定常パターンとのズレを観測していたことまで確認すると、次の6826周目で定常パターンとのズレがより大きくなるようであれば計画の見直しが必要だと認識し原点を思い返したこととあわせて気合を入れ直した。


 モニタの画面最上部ではとある文字列が激しく主張することもなく、ただ誰か他の者が万が一にでも見ることがあればまず間違いなく怪しいと感じるであろう様子で存在していた。




"Never-End" Experiments for Todooka

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白昼夜夢 紺埜るあ @luas

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ