第30話 ユニークモンスター

 ◇◇◇◇


 光が収束し、悠真の足が地を踏む。

 65階層、情報では平原地帯。

 穏やかな風、安定した気候、見通しのいい地形。

 すべてを想定し、すべてを準備したはずだった。


 しかし、目の前に広がっていたのは、まるで別世界だった。

 黒雲が空を覆い、稲妻が地平を裂く。

 豪雨が叩きつけるように降り注ぎ、足元の土を泥に変えていた。

 風が唸り、耳を裂く。

 雷鳴が轟くたびに、ダンジョン全体が軋むように震えた。


「……情報と違うな」


 悠真は眉をひそめる。

 視界を遮る雨、吹きつける風。

 転送直後の違和感が確信に変わるまでに時間はかからなかった。


 一度撤退を試みて、転送陣の起動を試みる。

 何も起きない。

 もう一度やってみるが反応しない。


「……転送不能?」


 背筋を冷たいものが這い上がった。

 ダンジョンにおける転送障害はただ一つの現象を意味する。


 ユニークの出現。


 イレギュラーは想定外の侵入種。

 本来いない階層の魔物が何らかの要因で入り込む現象。

 しかし、ユニークは違う。


 まだ誰も観測したことのない存在。


 ダンジョンそのものが形を変え、法則を狂わせる。

 その中心に何かが生まれたという証だ。


 悠真はメイスを構え、周囲を警戒する。

 雨が頬を叩き、雷鳴が世界を震わせる。

 空の奥で何かが蠢いた。


 轟音と共に稲妻が奔る。

 その中から翼。


 まばゆい雷光を纏いながら、黒い影が雲を切り裂いて降り立つ。

 泥の地を踏み砕き、稲光が四方に散る。

 全身に雷の紋様を刻み、瞳の奥には電流が走る。

 その体躯は65階層にいると言われているボルトリザードをはるかに上回る巨躯。

 そして、その存在感だけでダンジョン全体がざわめくように震えていた。


「……やっぱり、ユニークか」


 悠真の口元がわずかに歪む。

 恐怖よりも昂ぶりの方が勝っていた。


「この階層で、これを出すかよ……」


 メイスを構え直し、足を前に出す。

 稲妻が走り、風が唸り、空が割れる。


 稲妻が走り、轟音が空を裂く。

 モモの手が震えた。

 カメラ越しに見えるのは黒雲の下で構える悠真の姿。

 雷光が一瞬ごとに世界を白く染めては消す。


「うそ……これ、ユニーク……?」


 息が詰まる。

 通信ノイズが走り、音声が途切れがちになる。

 映像の向こう、悠真が雷の奔流に立ち向かう姿がかろうじて映った。

 コメント欄が爆発的に流れ始める。


 :モモちゃん逃げろ!!

 :転送しろ!! 早く!!

 :いや、転送できねえ!?

 :ギルドに通報だ!!

 :これもう放送事故レベル!!

 :ご主人様……死ぬなよ……!


 モモは震える指で端末を操作し、緊急連絡を送信した。

 だが、すでに通報は殺到していた。


 ギルド本部、緊急対策室。

 支部長が端末を握り、険しい表情で映像を見つめる。

 画面には途切れ途切れの映像。

 稲妻の中、悠真が立ち尽くし、ユニークと対峙していた。


「……確認、65階層でユニーク発生。転送陣、反応なし」

「救援部隊を出せ!」

「駄目です! 転送座標が……ロックされています!」


 室内に焦燥が走る。

 誰もが理解していた。

 ユニーク発生時の封鎖現象。

 階層全体が結界のように閉じ、内部への干渉を遮断する。

 解除条件は、片方の消滅。


 悠真が死ぬか、ユニークが倒されるか。

 それ以外に出口はない。


「……あの馬鹿、また一人で……」


 支部長が歯を噛み締めた。

 画面の端でモモの声がかすかに響く。

 通信がノイズに飲まれ、途切れた。

 室内に残るのは稲妻の閃光と轟音だけ。


 そして、別のダンジョン。

 澪は戦闘の最中、端末に届いた警報を見て動きを止めた。

 そこに映る名を見て、目が見開かれる。


「悠真……?」


 周囲の探索者が驚く間もなく、彼女は通信端末を強く握りしめた。

 画面の向こう、嵐の中で戦う悠真の姿。

 稲妻の光の中、彼の輪郭がかろうじて見える。


「……無事でいてよ、お願いだから」


 握った拳が震えた。

 彼女は走り出したかった。

 だが、わかっている。

 今は、どうすることもできない。


 外の世界は止まっていた。

 嵐の中、悠真だけが生きている戦場の中心に立っている。


 空が裂けた。

 閃光が大地を貫き、耳を裂くような轟音が世界を叩く。

 悠真の手が震えている。

 それを押し殺すようにバトルメイスを握り締める。

 指の関節が白く軋み、掌の皮が裂ける。


 逃げたい、生きたい、死にたくない

 だが、退路はない。


 転送陣は沈黙し、空間は封じられた。

 この戦場に存在できる命は二つ。

 どちらかが潰えるまで、この檻は解けない。


 稲妻の明滅が空を染め、ユニークがゆっくりと姿を現す。

 黒い鱗、黄金の眼。

 翼の縁からは雷光が滲み、空気を焼いている。


 風が鳴き、地面が鳴く。

 世界そのものが、この存在の鼓動で震えていた。


 悠真は深く息を吸い、胸の奥に溜まる恐怖を呑み込む。

 喉が焼け、肺が悲鳴を上げる。

 それでも一歩を踏み出した。


「……俺が死ぬか、お前が死ぬか」


 低く、短く、吐き出すように言う。

 雨が叩き、風が押し返す。

 声はかき消えたが決意だけが空気を震わせた。


「勝負といこうじゃねえかっ!!」


 踏み込むと同時に雷鳴が爆ぜる。

 ユニークモンスターが咆哮を上げた。


 地が砕け、空が裂ける。

 雷が二つの影を照らし、瞬間ぶつかった。


 轟音と光が世界を包み込む。

 土砂が舞い上がり、金属の悲鳴が聞こえてくる。


 悠真の一撃が雷の壁に弾かれる。

 空気が爆ぜ、視界が白に飲まれた。


 :見えねぇ!!

 :雷光でカメラ真っ白!!

 :モモちゃん、何が起きてる!?

 :ユニークの動き早すぎ!!


「っぐ……くそっ!」


 悠真の叫び。

 爆煙を突き抜け、雷の尾が背を掠めた。

 皮膚が焼け、神経が軋む。

 それでも倒れない。


 雷と肉体がぶつかる。

 咆哮と心音が重なる。


 雨は止まない。

 風は泣き止まない。

 モモは震えるカメラを握り、叫ぶ。


「ご主人様ぁっ!!!」


 画面が閃光に包まれ、音が途切れた。


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