幕間

第15話 失われた温もり

「料理は愛の形であり、それは目に見える形で表現される」

- ジュリア・チャイルド



 朝は味噌汁と決めている。出汁は昆布と煮干しを使う。煮干しは乾煎りし、昆布と一緒に水を入れた鍋に夜のうちに入れておき、翌朝煮だす。


 クッキングポーションを使った時期もある。精密に分析されて再現された味は、プロの料理人が作るものと変わらない。栄養に関してもバランスよく配合されている。


 最初はその便利さに感動していた。技術の進歩で、料理の手間が省けるのは素晴らしいと思っていた。でも、次第にその便利さが私の心を蝕んでいった。ポーションを使うたびに感じる不安と苛立ち。それがいつから始まったのか、よく覚えていない。ただ、ある日突然、ポーションの味に対して強い違和感を覚えたのだ。


 ポーションを開けると、何かが見えるような気がする。目には見えないけれど、私にははっきりと感じられる不自然さ。それは、液体の中に何かが潜んでいるような感覚。自分の中に生まれた不安と疑念は、日に日に大きくなっていった。


 ポーションの容器を目にするだけで心拍数が上がり、冷や汗が出るようになった。もう耐えられなかった。私はポーションを避け、自分の手で料理をすることにした。出汁をとるために昆布と煮干しを用意し、じっくりと煮出すその過程に、不思議な安堵感を覚えた。素材の香りが広がる台所は、私にとっての癒しの空間となった。


 夫と娘は、最初は私の変化を面白がっていた。家族のために時間をかけて料理をする私を見て、「ポーションを使えばいいのに」と笑っていた。


 しかし、次第に私の行動が異常だと感じるようになった。ポーションの容器を見るだけで震えたり、叫んだりする私を見て、彼らの目には恐怖が浮かび始めた。


「大丈夫?」夫は心配そうに聞いてくる。でも私は答えられなかった。ただ、ポーションが怖いとしか言えなかった。


 彼らは次第に私を避けるようになり、家の中には冷たい空気が流れ始めた。


 ある日、市場で新鮮な野菜を買い込み、帰宅すると、キッチンに置かれたポーションの容器が目に入った。それはかつての私が便利だと思って使っていたもの。今や私にとっては恐怖の対象だった。


 ポーションの容器を見つめると、急に息が苦しくなり、手が震え始めた。その容器をつかみ、力任せに床に叩きつけた。容器は粉々に割れ、液体が床に広がった。


 その晩、夫と娘は帰ってこなかった。彼らが去った後、家は静寂に包まれた。


 私は一人で台所に立ち、自分の手で料理を作り続けた。出汁をとり、野菜を切り、丁寧に調理するその過程が、私にとっての唯一の現実だった。


 料理は愛の形だ。私の料理には愛が込められている。時間をかけ、心を込めて作る料理には、ポーションでは決して得られない温もりがある。ポーションは便利かもしれない。でも、そこには愛がない。ただの無機質な液体にすぎない。


 私の手で作る料理は、私の愛の証だ。


 家族がいなくなっても、私には料理がある。


 私の愛はここにある。ポーションには決して奪えない、私の愛が。


 私は今もなお、自分の手で料理を作り続けている。


 私にとって、唯一の現実。


 今日は誰が私の愛を受け止めてくれるのかと考えると、自然と心が躍った。

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