ヲシリが征く

そうじ職人

第1話 プロローグ

昨今の夏は暑過ぎる、まさに酷暑と言うべきか。

連日の強い日差しで、心身ともに疲労困憊だ。


「くぅう…きっついなぁ」

そろそろ三十路を迎えようかというのに、賃貸マンションに独り身の生活。

食事も大抵は、コンビニ弁当のローテーションだ。

特にこれといった趣味もないので、こうした熱波のような日々のダメージはボディブローのように響いてくる。


これでもか!って程の強い日差しは、路面のアスファルトを溶かすように照らし付けていく。

路面はその激しい攻撃から身を守るかのように、浴び続ける熱を反射して、俺のスーツを焼き尽くすようだ。


「さすがに、それは言い過ぎか…」

俺は鞄からデオドラント効果のある清涼感のある、使い捨てのボディシートを取り出すと、顔と首筋を念入りに拭う。

ついでに、スポーツドリンクを一口、口に含んで喉を潤す。


いつもながら営業の外回りは、この苦痛に耐え忍びながら、一体何と戦ってるんだ?っと茫漠ぼうばくとした空虚感に襲われる。


しかしながら今日ばかりは、いつもながらの平凡な日常とは一味違うのだ。

今まで積み上げた商談が、今回の訪問で契約にまとまるかも知れないからだ。


いつもよりも多くの資料や契約書などで、ずっしりと重い鞄を手にしながら、それでも心持ちから、いつもよりは少しばかり街中を進む歩調も軽い。


アポイント先の会社も、もう直ぐそこだ、時間も十分にゆとりを持たせている。

再度自分に気合を入れると、一段と歩くスピードも速まっていく。


「おやっ?」

気が付くと、周囲の気温が2~3℃は下がったかと思った。

ふっと空を見上げるとダークグレーに染まった雲が、突き刺すような日差しを遮り始めていた。


「不味いなぁ、一足早目にお取引先に辿り着いたほうが良さそうだな」

などと独り言ちていると。


ザザザザザザ!ババババババ!!

急にシャワー…いやまさに滝のような雨が、路上を叩きつけ出した。


慌てて手に持っていたジャケットで鞄を包み、足早に目の前の公園の樹の下にもぐり込んだ。

「ふぅー、ひとまず鞄や中の書類は大丈夫そうだな」


全身水浸しだが大事な書類は死守できたと、ホッと胸を撫でおろしながら、ポケット内のスマホを取り出して、訪問先の企業のアドレスをスワイプして見つけて、電話番号をタッチした瞬間…。


眼前の風景一面が真っ白に包まれた。

それが光なんだ!と気づくとともに視界が奪われていく。


直後に。

バリバリバリバリバリバリ!ゴゴーン!!

頭上で何かが爆発したかの衝撃音が響いてきた。

耳でというよりは、まさに骨伝導…骨身から伝わってきた。

(あぁ、そうだ落雷の際には高い樹に近づくのは大変危険だ)


何かが焦げるような匂いが、嫌な予感と共に漂ってくる。

(確か高い樹からは、少なくとも周囲5~6mは距離をとるべきだった)


死の瞬間には走馬灯そうまとうのようなものが脳裏をぎる等と聞いたことがあったが、そんなものが特別にないことに、何故か不満もなかった。


ただ意識がブラックアウトしていく感覚が、これが『死』の間際まぎわというものなんだな…と妙に納得させられていく。


俺の手からはスマホがカラカラと音を立てて、回転しながら転がっていく。

どこか遠くから、俺に向かって呼びかけるような声が聞こえた気がした。


「はい、五友商事いつともしょうじでございます。お客様、お客さま…」


俺は漆黒の闇に包まれていった。


***********************************************************************************


…トンネルを抜けるとそこは…雪国…ではなく、河原だった…


本当にこのような空間を目にすると、思考停止状態になって、無意識の内に対岸へと歩みを進めてしまいそうになる。


俺は踏み出しかけた足元を見て、革靴どころか自分の足すら視界には映らないことに驚いた。

背後を振り返ろうかと思うが、選択肢に限りがあるように、振り返ることは出来なかった。


川の対岸は暖かな優しい風景が、遠目にも何故か分かる。

(きっと10人いたら10人が、まっすぐ歩みを進めるんだろうな)

そんな説得力のある光景が、眼前に広がっていた。


しかし、つい先程までの炎天下えんてんかを思い出すと、直ぐにあの暖かさに向かいたいという衝動も少しだけ薄れる。


選択肢は少ないようで、先程まで足元を見つめていたことを思い出した。

再度足元を見ると、割りと小さな石ころが河原一面に転がっていた。


それらの石のふちは、悠久の時を掛けて丸身を帯びている。

(…ということは、きっと河川の下流なんだろうな)


眼前の川の流れは緩やかで、いざとなれば泳ぎ切れそうな気もする。

(いや、この見た目に騙されてはいけない!自然は常に想像以上に危険をはらんでいるのだ)

川下はより川幅も広がり、水深も深くなっているに違いない。


俺は川上を見据えてみるが、ぼんやりとした薄暗がりが広がっている。

(ある程度進むことが出来れば、より渡りやすいポイントが見つかるかも知れない)

意を決して、川上に進むことにした。


どれほど進んだのだろうか?

自分でもビックリするほど、時間感覚が欠落していることに気が付いた。

先程、歩き出した気もするし、一昼夜いっちゅうや歩き続けていた気にもなる。


(そうだ!さっきと同じ要領で…)

改めて、足元に目をやるといつの間にか、河原に広がっている石は小さな丸石ではなくなっており、ゴツゴツとした岩が混じるようになっていることに気が付いた。


(結構、時間が経過してるはずなんだから、そろそろ良さげな場所に辿たどり着かないかな?)


しばらく、足元と対岸とを交互に見遣りながら進んで行くと、ようやく対岸に渡りやすそうな、足場が確認できるポイントまで辿たどり着いた。

(足場と言っても、足があるかも不明なんだが…)


まぁ、どこかで決断して対岸に渡らなければならないのだろう。

幸い対岸はより間近に視認できるし、暖かで優しい印象に変化はないようだ。


意を決して、ここで対岸に渡ることに決めた。

足元に注意を払う無意味さを自覚しつつ、慎重に対岸に向かって進んでいく。

ただ、ただ、足元と目の前の対岸を見据えて。


やがて、死の直前に浴びた光とは全く違う…。

(それでも、やっぱり光としか表現しようがないんだよなぁ)

俺は再び、光に包まれる感覚を味わった。

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