五話 昔と今

月曜の朝、目が覚めた私はなんだか無性に学校を休みたい気持ちだった。

身体はいたって健康そのもの、だが学校に行く支度をしようとすると頭が痛くなって拒否反応が出る。


学校に行かなければならないのに、どうしよう。

私は困った感情のせいか頭痛のせいかわからないまま頭を抱えた。


あの日は結局、最終下校時刻までトイレに籠って、その後誰にも会わないように人目をはばかって家に帰った。


家に着いた後もしばらくの間はベッドに顔を突っ伏していた気がする。


親が帰ってくる深夜には一旦気持ちも収まり、その後の土日は普通に過ごせていた。

でも、週始めの月曜日になってまたあの日の嫌な記憶が蘇ってきたのだ。


あの三人組の嘲笑している笑い声が耳にこびりついて離れない。

廊下を通る両親の床の軋みに至っては奴らの近づいてくる足音のように感じる。

目が覚めてからずっとこんな感じ。

自分で思っているよりもずっと精神がやられているようだ。


「はぁ……学校、行きたくないな……」


自分でもびっくりするほど大きな溜息を吐いて思考する。


正直、一日くらい休んでもいいと思う。

休めば頭痛の元凶である三人組に合わなくて済むし。

休んだところで誰にも迷惑は掛からない。

むしろ私がいない方がクラスメイトにとってはいいのかも……


学校に行きたくない理由は流れる川の水のように出てきて止まらない。

今日休んで体調を整えて明日からまた学校に行けばいい。

そんな考えが頭の中を支配し始める。


まるであの時と同ような感覚だな……

私はしまっておいた過去の記憶を呼び起こした。




あれは中学生の時。

あの頃、私は不登校になっていた時期がある。


今と同じ、私の服装や言葉遣いに対して酷い嫌がらせがあったからだ。


高校での嫌がらせは陰湿なものが多いが中学ではもっと直接的なものだった。

持ち物を隠されたり、集団で仲間外れにされたり。

その人数は今よりも多い。

学校に通わなくなるには十分すぎる内容だ。


私は耐えられなくなって、ある日学校を休みました。


病気以外の理由で初めて休んだその日を境に学校に行かなくなったのは今でも鮮明に覚えている。

私を蝕んでいた存在からの解放、その感覚は私を家に、安全地帯に留まるように促してきて、私はその感情に流されずるずると長い期間学校を休み続けた。


親が心配しだし先生が家に家庭訪問してくる頃になってようやく私は学校に行けるようになった。

行けると言っても保健室登校だったが……

それでも行けるようになったこと自体が奇跡だと私は思う。


結局卒業まで保健室に登校して私の中学校生活は終わった。




思い返せば嫌な事しか浮かんでこない。正直こうも酷かったから高校なんて行きたくはなかった。


でも、高校に行かないとなると中卒で働くかニートの二択だ。

働くとしても職種はあまり選べないだろうし非現実的、ニートの方はなったあともう戻ってこれない気がする……

私は結局高校を選んだ。


あの時の選択は後悔していないと言えば噓になるが正解だったとは思う。


中学よりは今の高校の方がまだましだし。

たまたま先週言われたことが私にクリティカルしただけだし。

今日一日だけ頑張ればまたいつも通りのつまらん日々が戻ってくるはずだ。


何も期待しなくていい、このまま卒業を迎えればそれでいい。

それ以上は何も望まなくていい。


とりあえずは今日一日、絶対に登校をすること。

これは達成しないといけない目標だ。

一日休むとどうなるかを私は知っているから絶対同じ過ちを繰り返してはいけない。


これだけは絶対守れよ私……


「ふぅ……………すぅ……………」


大きく深呼吸をしてみる。

頭が少しすっきりしたような気がした。


「よし……」


私は支度をするために部屋から出た。


気持ちを切り替えたはずなのに私の足は重く、私の歩こうとする意志を跳ね飛ばす。

朝の廊下の冷たい床から足の裏を通して負の感情が染み込んでくる。


学校に行くこと自体がこんなに難しいなんて他の人たちは知らないだろう。

能天気に暮らしている奴らだ、きっと何も考えずに登校しているに違いない。

今日だって週始めの月曜日だとしか考えていないんじゃないか?


私は肥大化するよくない思考を隅へ押しやった。

いけないいけない、ネガティブ思考はよそう。

なるべくいいことを考えよう、そうしないと潰れそうだ。


顔を洗って軽めの朝食をとる。

寝巻から高校の制服に着替え髪を梳かす。


学校に行くと決めたが、行きたくはないので準備はのろのろと進んだ。

普段の教室に一番乗りするために家を出る時間になっても私は支度が終わらぬままいた。


だらだらと時間が過ぎて行きもうそろそろ出ないと遅刻になる頃、私は家を出た。


駅に向かい電車に乗る。

中学の同級生がいない高校を選んだから通学は遠い。


私はドア付近の壁に寄りかかり、電車に揺られながら窓を見る。

外の景色が見たかったのだが、目に映ったのは反射した私の顔だった。

いつにもまして自信のなさそうな不安げな顔がこちらを覗いている。


月渓くんならもっと公然とした顔をしているのかな。


私は悄然とした自分の顔を見ながら思った。

なんで今月渓くんのことを考え考えたんだろう……


電車が駅で止まり反対側のドアが開く。

学校最寄りまでまだ三つほど乗るので私は下りないが、なんとなくドアの方を向く。


堅苦しいスーツに身を包んだサラリーマンと五十歳ほどのおじさんが乗り込んできて、その後ろから見慣れた制服の男子生徒がするりと車内に入ってきた。


その男子生徒は今乗ってきたおじさんよりも、割と背の高いサラリーよりも長身で、つり革ではなくそのつり革が付いている鉄パイプを苦も無く掴んでいる。


私は見上げるほど高いところにある顔を視界に入れた。

電車が動き出し、耳に付いたピアスがゆらゆらと揺れる。

朝の陽ざしが窓から入り、その金髪を照らし上げる……


あぁ、なんてこった……


月渓くんが私と同じ電車に乗ってきた……!

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