即興小説

ささまる/齋藤あたる

第1話 生活

 生活がにじり寄って居た。僕は眠れもせず、温かく朧げな小さな光をつけて、カフカを読んでいた。

 ほとんど世捨て人の生活を送っていた。時々世間を思い出しては、ベッドで転がって泣くことがあった。カーテンは閉め切っていた。それでも足りないので。真っ黒な遮光カーテンを買って、元の遮光カーテンと二重にした。随分マシになった。だがまだ足りない。

 のっぴきならない事情で、僕は世間に出て行かなければならなくなった。人には会いたくなかった。人は好きだが、この上なく苦手だった。人とかかわった後の自分が苦手だった。なかなか自分に戻って来られなくなって、この部屋がこの部屋でなくなるのが苦手だった。

 図書館で借りたカフカ逸話集は、水濡れの形跡アリと裏にシールが貼ってある。僕がこれを手に取る前に、誰かが水をかけたか、水のある所にこれをおいたかしたのだ。僕も同じようなことをしたことがある。ラブクラフト全集第一巻だった。先週のことだ。

 そう言えばワーグナーの本を借りた時、本の最初のページに、貸し出しの際のレシートが挟まっていた。日付を見ると、六年前の先月だった。長い夏休みの始まりの頃だった。

 そのレシートは、そのワーグナーのホントは全く別の本のそれだった。どうしてそんなことをしたのか、分からなくて、私はレシート記載の本を次週に借りた。まだ読んでいない。謎は解けていない。

 またある時、図書館でプログラミングの本を読んでいた。ただの興味本位で、プログラムレシピとかなんとかそんな感じだった。どこかの女子大学で教科書として使われているらしかった。

 その本の半部にか無いくらいのページに、それも見開き三ページにまたがって、髪の毛が数本、挟まっていた。気持ち悪いとは思えなかった。ただ未知との遭遇に、心震えた。

 栞代わりに使うには、髪の毛数本は物足りない気がする。それに本を返却する時、髪の毛を抜いてもおかしくない気がする。あるいは、次に読む人が不思議に思うことを狙ったのかもしれない。悪魔が囁いたのかもしれない。謎は解けていない。本はつまらなかった。

 あと数時間で、僕は家を出て行く。手元のパンケーキは八枚の内一枚がまだ食べきれていない。もう食べたくない。コーヒーが良く進む。夜中の一時のことだ。

 カフカ逸話集は、今日の電車で読み切ろうと思う。

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