聖女は世界平和を維持したい 〜聖女ですが訳あってイケメン勇者から逃げています〜
@miura_maki
序章 聖女が逃げる理由
彼に追い詰められてさらに後ずさると、背に壁がついた。思わず横を向くと、逃げ道を塞ぐように彼が両手を壁につく。
「ねえ。さすがに理由も言わずに振られるのは、納得できないんだけど」
「ええと、ええとですね」
「今必死に頭を回転させて、僕を振るもっともらしい理由を探してる?」
図星を突かれて、ティアリスは息をのむ。
彼が首をかしげるようにして顔を覗き込んできた。
「僕が嫌い?」
「そんな!」
滅相もない。幼馴染でいつも頼りがいがあって、顔が良くて声が良くて、優しくて。嫌いになれる要素があるなら教えてほしいくらいだ。
(だって……圧倒的に顔がいいし!)
つややかな金髪に、青い瞳。肌がキレイで鼻筋が通っていて、なぜか口元に色気を感じるほくろまでがある。それでいて、甘く優しい、落ち着いた声音で話すのだ。どんな時も、彼が余裕をなくすことはない。
「なら、どうして僕とは結婚できないの? ティア」
(いやー、それが言えたらいいんですけどねー)
契約内容を口にするのも、契約違反だ。
「その……私実は、男性を愛せない体でして」
「それなのにこの間は見合いをしてたね」
「あれは家計の支えになるかと」
「家計の支えが必要なら、僕と結婚すればいい。功績を認められて土地をもらった。今や侯爵だ」
(大出世ですよねー!)
心の中で叫びつつうつむくと、彼がティアリスの顎に指先をあてて、上を向かせた。目が合うと、辛さを押し殺すような、せつなげなまなざしがティアリスをとらえる。
「僕のただ唯一の願いだ。君が僕との結婚を承諾してくれるなら、君のどんな願いでも叶えると誓う」
(すごい殺し文句……!)
「ねえ。本当に……理由くらいは教えてくれ。でないと、苛立ちで世界を滅ぼしそうなんだ」
世界を救った勇者が、何かを言っている。
ティアリスは途方にくれて天井を見上げた。
なぜ、こんなことになったのか――時は二ヶ月前に遡る。
「勇者様!」
ダンジョンの最下層。自分を庇って倒れたカイザスに駆け寄り、ティアリスは膝をついた。
腹部に深い切り傷を負い、意識を失っている。ティアリスは聖魔法を使い、彼の傷を癒やし始めた。
だが、それを許さない存在が、ティアリスの横に立つ。
「どけ。死にたいか?」
剣を片手にこちらを見下ろすのは魔王だ。長い黒髪を後ろで束ね、赤い瞳でティアリスたちを見下ろしている。彼の腹部には、勇者カイザスがつけた深い傷があったが、治癒能力まで規格外なのか、その傷がどんどんと塞がっていく。
「あ、あの……あのですね。本当に申し訳ないのですが……見逃していただくことはできないでしょうか?」
「ふざけるな。生かして返せばそいつは俺を殺す。お前の目にどう映っているか知らんが、俺は確かに致命傷を負った」
確かに、傷自体は塞がっていっているものの、さきほどまで強く感じられた禍々しい魔力が薄れている。カイザスが持っていた剣は、勇者だけが扱うことのできる、破魔の剣だ。
「ええと、ええとですね」
(考えろ……考えろ私!)
カイザスを回復しながら、必死で考える。
後ろにはカイザスより先に気を失った魔法使いとアーチャー。今ここで意識があり、口を開けるのは自分だけだ。
「もう……勇者様にはここへ来ないよう説得します」
「どうやって?」
「ど……どうにかこうにか」
「話にならんな」
(ですよねー!)
彼の冷たい赤い瞳に泣きたくなる。魔王を倒した後は、こつこつ稼いだお金でとクルーズチケットを買ったけれど、それも無駄になりそうだ。
「ゆ、勇者様をここへ来させないと約束できれば、見逃してくれますか?」
「その勇者が来なくても人間は来る。こちらは攻め込んでもないのに……」
「それは、魔物に町を襲わせるからじゃないですか!」
「? ああ……いや、逆だ。以前は障壁で魔物を人里へ行かないよう抑えていた。だが、最近は親戚がなくなって墓参りをしてたんだ。で、そのまま忘れた」
(は……墓参り……?)
呆然として、思わず回復の手が止まりそうになった。あわてて回復を優先させる。
「な、なら、もう一度その障壁とやらで、魔物たちを抑えていただくことはできないでしょうか」
「……そうだな。それで人間どもがダンジョンに乗り込まなくなるなら、それもありだ。ただ――」
怒りのこもった瞳で、カイザスを見下ろす。
「そいつは許せん。この俺の魔力をここまで削った罪は重い」
「い、命だけはどうか……!」
(いや命だけじゃなくて、手足を切り落とすとかも、できればやめて――!)
心の中で全力で祈っていると、男は思いついたというようにニヤッと笑った。
「お前が、そいつのモノにならないと約束するなら、見逃してやってもいい」
「モノ……? とは?」
「人間にあるだろ? 恋人だとか結婚だとか」
「はあ……え? それをしないだけでいいんですか?」
ティアリスとカイザスは、もともと恋人関係でもなんでもない。幼馴染で昔からの知り合いではあるが、一方的にティアリスがカイザスを頼り、尊敬してきただけで、色恋沙汰のある関係では決してなかった。
(大体、カイザスは帰ったら王女様と結婚するのに)
そのために、王女は一時、このパーティーの中にいたのだ。ティアリスほどではないが傷を回復する力を持っていた彼女は、ずいぶんと献身的にカイザスのサポートをしていた。
「ああ。それだけだ。キスも抱かれるのもなしならいい」
「抱っ……な、ないですよ! そんなの。え? じゃあ、ええと……本当にそれだけでいいんですね」
「それだけと言うか。……戦闘中にあんな顔をさせておいて」
「?」
魔王の言葉に首をかしげる。ティアリスが転んだ時、いつもは冷静なカイザスが、めずらしく青ざめて取り乱して見えた。その後、ティアリスを庇って大怪我を負ったが、その時のことを言っているのだろうか。
(カイザスは、昔っからみんなに優しいんだけど……)
どうも、何か魔王は誤解をしているのかもしれない。この契約がカイザスへの嫌がらせのつもりなら、かなり的はずれな気がして、むしろティアリスは同情の気持ちが湧いてきた。
「ああ、あと、この契約は勇者には話すな」
「わかりました」
「あとは……そうだな。俺は勇者に討伐されたことにしろ。これ以上人間の相手はしたくない」
「いいんですか?」
致命傷を負わされたとカイザスに腹立ちを見せるわりに、手柄は彼にくれるらしい。
「ああ。言っておくと、もしお前が契約を破ったら、障壁は二度と設けないし、町も襲わせる。これまでされたことは、けっこう頭にきてるからな」
「ご……ごめんなさい」
単なる誤解だったというなら、人間がここへ乗り込んできたことは、彼にとっておもしろくないことだっただろう。
「まあ、お前たちは魔物を傷つけなかったようだから。特別にそれだけで見逃してやる」
「!」
見逃してくれるのは、もしかしたらそっちが本当の理由だったのかもしれない。
ティアリスは、なぜか小さな魔物に好かれる体質で、彼らを殺すことを嫌がった。それに気づいたカイザスが、大変な労力を払いながらも、魔物を殺さずにみんなをここまで連れてきてくれたのだ。
「なんか……いろいろありがとうございます」
カイザスの傷がふさがったのを確認すると、ティアリスは立ち上がって、魔王にお辞儀をした。
「礼を言われる筋合いはない。これは契約だ。これからおもしろいものを見せてもらうためのな」
魔王がそう言ってニヤついたのを見て、期待はずれになるのが申し訳ないな、と思いつつも、ティアリスは魔王が気が変わることのないよう、「ありがとうございます」と丁寧に感謝の気持ちを伝えた。
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