勇者トドオカと四人の花嫁

アスノウズキ

第1話 勇者トドオカと最も恐ろしい罠

『勇者』と呼ばれるようになってから随分と経ったが、今でもその呼び名は好きになれなかった。


 どんな言葉で飾ったところで、探索者は所詮は迷宮に踏み入ってそこに遺された遺物を持ち出す盗掘者でしかない。

 魔物を殺し、時に殺され、暗い迷宮を、ただただ降っていく。


 自分の性に合った仕事ではある。

 ただ自分の納得という点においては。


 少なくとも彼は──『勇者』トドオカはそのように考えている。


「トドオカ殿!」


 巨大な火竜が爪を振るうと、前衛の聖騎士パラディンが吹き飛んだ。

 竜の攻撃を防ぐ、戦術の要となる男だった。

 あらゆる戦術支援バフと回復を集中させて、最後まで立たせる必要のあるユニットだった。


「蘇生の準備を!」


 聖騎士パラディンが倒れたならば、誰かが竜の注意を引き、攻撃を引き受けなくてはならない。

 蘇生の準備を命じながら、前線に上がる。

 自分が竜の攻撃を引き受けて回避を続けながら、前衛を蘇生して戦線を建て直すリソースを捻出しなくてはならない。


(黒竜か)


 迷宮での不確定要素は常に存在する。

 だがそれでも尚、勝てない相手ではない。

 例え相手が竜種の中においてもなお強大な黒竜であったとしても。


(思ったより面倒な仕事になってきたな)


 そのように思考する。

 トドオカは弓を引き絞り、黒竜の眼球を狙った一矢を放つ。

 黒竜は首を微かに逸らしてその矢を回避する。トドオカの矢は、僅かに鱗を削ぐにとどまった。


 トドオカは攻防の隙に、僅かに後衛に注意を向ける。

 聖騎士の蘇生は、未だ間に合わない。


(対応が遅い!)


 此度の迷宮行は、当初から竜の討伐を目的としてのものだった。

 それ故に、今回同行するメンバーもまた、トドオカ自身が竜を討つ為に用意したメンバーであった。


(なんだ、これは)


 違和感。

 自身の想定と、現実の間に無視できないズレがある。


(何故──)


 竜の攻撃を引き付け続けるトドオカが疲労のために足を止めた、その一呼吸にも満たぬ刹那。

 火竜は翼を打ち振って迷宮の天蓋の下を飛翔した。


「──ブレスだ!」


 誰かが叫んだ。

 最も警戒すべき竜の攻撃行動──当初の想定であれば、祝福を受けた聖騎士の大楯でそれを防ぐはずだった。

 そして、ブレスを吐き切って隙を晒した竜の逆鱗を、戦士の持つアダマントの剣、あるいはトドオカのアダマントの鏃で射抜く。

 そのような戦闘が想定されていた。


 だが、聖騎士の素性が間に合わぬならば、ブレスを吐く前にそれを止めるしかない。

 相棒の不在を埋めるために、戦士が竜に向けて吶喊する。


「────下がれ! ブラフだ!」


 トドオカの歴戦のカンが、それを察知させた。

 ブレスを吐くかに見えた竜は、寸前でその予備動作を止め、棘を備えた尾を振るって戦士を弾き飛ばした。

 鎧ごと潰されて、戦士は虫のように死んだ。


(クソっ)


 蘇生すべき前衛が二名になった。その間の戦線を、本来後衛職であるトドオカが支えなくてはならない。

 攻撃に回ることができない。用意していた策が発動しない。有限のリソースは出血し続ける。


(なんだ、これは)


 再び竜が飛翔する。

 大きく息を吸い込む。

 縦に裂かれたようなその瞳孔が、悪意に歪むかのように見えた。

 不可避にして必死の予備動作──今度こそブレスが来る。


 竜の顎門あぎとが開く。

 その奥に秘められた殺戮の生体機構が顕になる。

 滅殺の吐息ブレス──不可避の敗着。


「トドオカさん! 転移術を使います! こちらへ──」


 火竜の息は、岩をも溶かす灼熱の吐息となる。

 地獄が地上へ溢れるような光景──背後に迫る炎から逃れる為に、走る。


(何故だ、何故──)


 療術師ヒーラーが発動させた転移術の光の中。

 トドオカは、ただ自らにそう問い続けていた。


(何故、負ける?)




***





「──さん、……オカさん、トドオカさん!」


 少女の声が、トドオカの不穏な眠りを破った。

 目を開くと、転移術を発動させた療術師ヒーラーの少女が今にも泣きそうに自分を見下ろす表情が視界を埋め尽くした。


「ここは……」


 迷宮の淀んだ空気は周囲にはなく、陽光が感じられた。

 迷宮の外。転移術は成功していた。


「トドオカさん……ああ、よかった……私、本当に……」


 視界を埋め尽くす少女の表情がくしゃくしゃに崩れ、翡翠色の瞳が涙に濡れてきらきらと光った。

 少女はやがてトドオカの胸に顔を埋めて、肩を振るわせて泣き出した。


「状況を」

「うぅ……トドオカさん……心配しました……トドオカさんに死なれてしまったら……私……私は……っ」


 美しい少女だった。

 磁器のようにシミ一つない白皙の面と溶けるような金色の髪はまさしく深雪に秘された宝石を思わせる北方美人のそれだった。


 そんな少女が自分に縋り付いて泣いている様を、トドオカはまるで虫か何かを見るような目で見返す。


「状況を、教えていただけますか」


 トドオカは、少女の金色のつむじに向けてそう言った。

 なんの感情も伺えない、乾ききった言葉だった。


「アッハイ」


 少女は正気を取り戻したかのようにパッと顔を上げて、トドオカの何の感情も浮かべない無の表情を見た。


「ええと……転移術は成功しましたが、生き残ったのは私たちだけで……」

「そうですか」

「でも……大丈夫です! 私、二人きりでも必ずトドオカさんのことを支えますから! 私は──」

「おおい、トドオカ殿〜!」


 少女の声を遮るように声を上げて、男が駆け寄ってくる。

 少女の顔から凍りついたように表情が消える。


「ご無事でしたか!」

「ええ、なんとか。そちらもご無事のようで」


 刀を帯びた、若い剣士だった。

 剣士は敗走と転移酔いに疲弊した顔に気の弱そうな笑みを浮かべて、トドオカの隣に腰を下ろした。


「あとの二人は、戦闘中の死亡が確認されました」

「拙者も、最後のブレスが二人の亡骸を焼くのを見ました。あの損壊では……蘇生は難しいやもしれません」

「ええ、まず蘇生はできないと判断すべきでしょう」


 迷宮は人間に魔術の恩恵を与え、時として生死の理すら詐欺ペテンにかける。

 肉体が損壊を免れていたならば蘇生すらも可能とするのが魔術というものであったが、竜の息を受けて炭化してしまった死体を甦らせられるかどうかは、少なくとも分の良い賭けではない。


「では、あと二名の前衛を揃えて再度迷宮へ潜りましょう」

「も、もう行かれるのですか? もう少し休んだほうが……」

「依頼の期日から考えて、猶予はありません。場合によっては我々三人での再戦も視野に入れるべきでしょう」

「そ、そんな……」

「私と彼女の二人ならばそれも不可能でしたが、三人ならばまだ手はあります。それも含めて検討を──」


 トドオカが立ち上がる。

 療術師ヒーラーの少女は、その場に座り込んだまま動かない。


「……アスノ殿?」


 剣士の男が少女の名を呼ぶ。


「……んで」


 少女は答えるでもなく、呟くように言葉を漏らした。

 ぞっとするような、冷たい声だった。


「なんで、あなたが生きてるの?」


 翡翠の宝玉を思わせるような瞳が、暗い憎悪を湛えて男を見た。

 男の青白い顔から、さらに血の気が失せていく。


「な、なにを……?」

「あなたが生きてたら、意味ないじゃない……!」


 少女の言葉は、呪いめいていた。

 薔薇の蕾のような可憐な唇からは、呪詛がこぼれ続けていた。


「私は、! なんで死んでないのよ! これじゃ意味がないじゃない!」

「そ、そんな……!」


 男はもはや紙のように白くなった顔色のまま、うめくように言う。


「あ、あなたが……あなたが、あの二人に言い寄られて思い悩んでいると聞いて、拙者は……」


 トドオカは、二人のやり取りを黙って見ている。

 虫か何かを見るように、ただ見ている。


(違和感の正体は、これか)


 竜と戦っている間、療術師ヒーラーの回復はトドオカの想定したよりも常にワンテンポ遅かった。

 。竜との戦闘のどさくさで、関係のこじれた仲間を始末しようとしていた。


「拙者は……あ、あなたのために……」


 そして、間抜けな前衛をもう一人共犯者に仕立て上げ、諸共に葬り去るつもりだった。


 トドオカは、彼女が自分に好意を向けている事には気付いていた。

 普段ならばその時点でパーティーを追放し、別の人材を求めるところだったが、今回の火竜討伐には期限が設けられており、再雇用の時間は無かった。

 だから、リスクを承知でそのまま行くしか無かった。

 その結果が、これだ。


(それにしても、まさかこれほど愚かな真似をするとはな)


 ロンガリア大迷宮。

 神代の時代に造られたとされるこの迷宮には、様々な危険が秘められている。

 致死のトラップ。無数無類にして残虐なる魔物。

 人の欲望を呑み、糧とする悪意の生命体の如き迷宮。


(本当に、馬鹿なのか? こいつらは)


 その中にあって、トドオカが最も忌み嫌うトラップこそが、これだった。


(人間関係のもつれを命のやり取りの場に持ち込むな……!)


 迷宮は巨大な密室であり、長い間閉所に閉じ込められると、人間は大なり小なりなる。

 過酷な状況下で発生したストレスは疲労を増大させ、時に些細な諍いを致命的な不和に変える。


(一番厄介なのが、これだ)


 パーティー内での色恋沙汰。

 なった人間の脳は、時として狭い場所に共に閉じ込められた異性の存在を実際以上に魅力的に脚色する。

 共に死線を潜り抜けた信頼がやがて恋というたわけた妄想に変質し、その信頼を一瞬にして瓦解させる。


 まさしくこれこそ、迷宮に仕掛けられた最も恐るべき罠だ。

 少なくとも、トドオカはそう考えている。


「アスノさん」


 トドオカは、少女の肩に手を置いてその名を呼んだ。

 自身を見返す少女の翡翠色の目を、トドオカは虫か何かを見るようにじっと見つめ返す。


追放クビです」

「えっ、なっ、あっ──」


 少女はそこで初めて、自分の企みが露呈している事に思い至ったかのような反応を見せた。

 極めて愚かだな、とトドオカは思った。


「そ、そんなっ、私……」

追放クビです。パーティー内ではやめてくださいと、最初に伝えたはずですね」

「────っ」


 トドオカの目に自分への些かの情も浮かんでいない事を悟って、少女は顔を歪めた。


「そ、そんな時間無いはずですっ! 今から深層に潜って、火竜と戦える力量レベルのヒーラーなんて、すぐに見つかりませんよね!? 私を使ってください! きっと役に──」

「仲間を死なせて仕事の邪魔をする役に立つ、と?」


 少女の言葉を遮って、トドオカは言った。

 自分がこの男に憎まれているのでも怒りを向けられているのでもなく、ただ拒絶されているのだとわかった。

 これ以上咎められる事もなく、そして何の興味を向けられる事もなく、二度と声をかけられる事も無いのだと、そうして悟った。

 この男は、

 少女はその場に崩れ落ちて、立ち上がることはなかった。


「では行きましょう、ウズキさん」


 トドオカは若い剣士の名を呼んだ。

 剣士は、その場に立ち尽くして、困惑と畏怖と……幾許かの怒りを込めてトドオカを見返していた。


(私が怒りを向けられる道理がどこにある?)


 推測はできる。

 この男は、あの女に気があったのだ。

 だから、女の提案した仲間殺しの計画に乗った。恐らくは、「あの二人にしつこく言い寄られて悩んでいる」とでも涙ながらに語られたのだろう。

 女に気のあったこの男は、まんまとその言葉でされて、頼られた事に気を良くして、その先の関係を期待して、犯行に加担した。

 自分が諸共に始末されようとしていると気づきもせず。


(馬鹿なのか?)


 トドオカは、悪意からではなくただ純粋な疑問としてそう考えている。

 何故その目を自分に向ける? 己をいいように利用して挙句殺そうとした女ではなく、何故自分を憎む?


(寝てもいない女を、その女と寝てもいない私に取られたとでも思っているのか?)


 一度寝ればその相手を所有できる、などというのは愚にもつかない妄想狂のたわごとだが、わかりやすい関係性の尺度の一つではある。

 それ以前の段階で勝手に一方的な所有欲を抱き、勝手にそれを挫かれ、挙句にその相手を憎む。

 トドオカには、全く理解の及ばない精神状態だった。

 極めて愚かだな、と思った。


「ウズキさん、私と一緒に来ますか?」

「…………っ」


 若い剣士は俯いて顔を逸らした。

 トドオカは踵を返して、かつての仲間に背を向けた。


「何処へ……?」

「新しい仲間を募って、竜を倒します」

「何故そこまでして……」


 おかしいのは、常に自分以外の人間だと思っていた。


 少なくとも、自分の色恋沙汰を危険な命のやり取りの場に持ち込み、挙句仲間を殺そうなどと考える人間よりは、よほどまともな人間だと思っていた。


 だが、少なくとも自分以外の人間にとっては一概にそうとも言えないらしいとずいぶん経って気付いた。


 色恋沙汰に生き死にをかけるような人間よりも、こなすべき仕事を最後までやり切ろうとするだけの自分の方がとされることがある。


 理解されたいとは思わなかった。

 ただ、時にどうしようもなく孤独を感じるだけだった。


「私はただ、私のやるべき事をやりたいだけですよ」


 トドオカは、それ以上振り返らずにその場を歩き去った。

 その背中に向けて、若い剣士は畏怖を込めて呟く。


「『勇者』め……!」


 『勇者』と呼ばれるようになってから随分と経ったが、今でもその呼び名は好きになれなかった。

 それが、自分をそうではないと思い込んだ誰かが、自分に対して「お前はなったのだ」と告げるための言葉だと知っていたからだ。


 最後には、誰もが忌々しげにその言葉を吐き捨てる。

 間違った事など、一つもしていないはずなのに。

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