第13話 俺たちの永遠
ベッドの上でまた唇を触れあわせる。舌先を入れると、誠司さんも舌先でこたえてくれた。
俺の腕が誠司さんの背中に、誠司さんの腕が俺の背中に回される。重なりあった下腹はこの前と違ってはっきりと反応している。
「ねえ、愛してみて、健、君の愛し方で」
「いいの? ほんとうにいいの?」
「君が学んだ愛を俺に教えて」
「そんな――だめだよ。できないよ。だってこのあと帰るんでしょ。あいつとするんでしょ」
「愛することを君が知ったのなら、俺から卒業して。愛する人を見つけるんだ」
「いやだよ」
抱きしめた。
「離れたくない。離れないで。誠司さん、好きだ、愛してる。ねえ、職場の同僚としてなんていやだよ、もっと俺といて。俺に愛することをもっと教えて」
「健」
誠司さんが厳しく言った。
「俺は君に愛することを伝えようとしている。聡から俺は愛することを学んだ。君を見ていると、聡に出会う前の俺と似てるんだ。自分のことさえ理解していなくて、ただ流されるままに相手と、『恋人』がするであろうことをただなぞるだけで。だから俺は君に惹かれた。正直で自分の欲望に忠実な君のように俺もなりたかったから」
口調は厳しいのにまなざしは優しい。
「でもこのままでは君はその純粋さまっすぐさのために傷ついて傷ついて、愛し方を知らないまま生きてしまうかもしれないんだ。君はそうなっていい人間じゃない」
その言葉は俺の脳を刺しつらぬいた。俺はシーツの上にあお向けになった誠司さんの頬に恐る恐る右手を添わせる。
正直に告白する。前戯なんてまともにしたことがない。まして相手を喜ばせようとして触れたことなんてまったくない。なぜって、セックスすることそのものが目的だったのだから。セックスしたらそこで関係を解消してきたのだから。
でも、誠司さんは別だ。俺の大切な人。生まれて初めて好きになった人。愛することを知ってから初めて触れた人。
なめらかで傷ひとつない肌に、引き締まった体に慎重に触れる。体の形を確かめるように撫でる。それだけでは足りない気がして、キスをする。
「誠司さん……気持ちいい?」
「うん……気持ちいいよ……」
「ここ……さわってもいい?」
「いいよ……」
汗がにじむ。体温が上がる。誠司さんは眉と眉をきつく寄せて時おりこらえていた息と共に声を漏らす。苦しそうでもあり、感じているようでもあり、そのどちらかなのか、誠司さんから学んだ愛を誠司さんに示すことで精一杯になっている俺には判別できない。
「ねえ……」
「……なに……」
「伝わる? 伝わってる? 俺の愛」
誠司さんの腕が優しく俺を抱く。胸と腹が密着し、俺の五感が一斉に目覚めた。
「誠司さん……」
「伝わってるよ、健」
俺は唐突に思い出した。
ああ、潤滑剤を忘れた。インターネットの通信販売で注文して、昨日届いたばかりだったのに。ゴムならこの部屋にあるけど、潤滑剤とセットで使わなければ意味がない。
「ごめんなさい――潤滑剤忘れた」
泣きそうになる俺に誠司さんがほほえむ。
「いいんだよ」
「でも――」
「大丈夫」
「ごめん……」
また、生暖かいものが目から垂れる。
「バカだね、俺。フィニッシュまでいかないや」
「上出来だよ、健」
誠司さんが上体を起こし、頭を撫でてくれる。
「これで晴れて卒業だね」
「どうして? あいつがいるから? あいつがいるから俺のこと捨てるの?」
「違うよ。健にはもっとふさわしい相手がいる」
「そんなの出会わないかもしれないじゃん。ねえ、どうして? どうして俺から離れようとするの? そんなにあいつがいいの? 俺よりもあいつがいいの?」
誠司さんが俺をしっかりと抱きしめる。
「健」
俺も誠司さんを抱く。
「誠司さん……」
俺の頭を撫で、誠司さんがささやいた。
「健。ありがとう。こんなにたくさん俺を愛してくれて」
「離れないで。ねえ、俺を捨てないで」
「君には俺は重すぎるんだ。俺は背負ってるものがありすぎる」
「そんなことないよ。聡さんのこと? そんなの普通じゃん。誰にだって忘れられない人くらいいるでしょ。俺、誠司さんのこと守るよ。支えるよ。だから離れないで」
「こんな気持ちになったの、初めてでしょ」
はっとした。誠司さんを見る。
誠司さんは切なそうにほほえんでいた。
「その気持ちを忘れないで」
「誠司さん……」
「離れないで、捨てないでと相手に叫びたくなる気持ち、今までいだいたこと、なかったでしょ」
「……うん……」
「好きだ、愛してる、そう叫んだこともなかったでしょ」
温かい腕の中でこくりと首を縦に振る。涙は出るのに言葉は出ない。
「守りたい、支えたい、そんな気持ちになったことも初めてでしょ」
「せいじ……さん……」
嗚咽まじりの情けない声で俺は言った。
「もう、十分です……」
これ以上この人をひきとめてはいけない。だからそう言った。
この人は俺のために、愛する人がいるのにその体を俺に与えてくれた。そんなことをしたってこの人には得なんてないのに。
この人は愛する人が待つ部屋に帰って、俺と過ごした数時間の記憶を隠し持ったまま、愛する人の腕にその体をおさめるのかもしれない。
俺はいつまで誠司さんの記憶に残るのだろう。思い出したくない記憶として残るのだろうか。それとも、いい思い出として残るのだろうか。
誠司さんは俺の唇にキスをした。
「愛してるよ、健」
唇が離れたと同時に俺は言った。
「……愛してる、誠司さん……」
「健、また俺を『誠司さん』と呼んでくれる? これからも君の力になりたいんだ」
誠司さんの胸で俺は泣きじゃくる。
「呼ぶよ……。呼ぶよ……。そしたらさ、俺のことも『健』って呼んでくれる? 誠司さんも俺に相談してね? 約束だよ?」
「ああ、約束する」
どちらからともなく手を握りあう。
俺たちはひと言も口にしなかった。けれど肌をとおして交換する言葉にならない言葉があると感じた。
俺の中にある空虚が満たされてゆく。誠司さんからもらった愛で満たされる。これまでの人生でしたセックスの快感と、今、俺の空虚を満たしている快感は、似ているけどどこか違う。
この愛を俺は、誰に流すのだろう。誠司さんが俺にしてくれたように、俺はその誰かを愛することができるのだろうか。
部屋の中を見渡す。大きな鏡がついたデスクの上に電気ケトルがあった。机には戸棚がついている。
「何か飲む?」
俺が聞くと、誠司さんが優しく答えた。
「そうだね。ケトルがあるから、お湯、沸かそうか」
「俺、沸かしてくる。誠司さん、待ってて」
「じゃあ、もう、服を着ようか?」
「うん」
小さな冷蔵庫を開けるとミネラルウォーターがあった。ペットボトルからケトルに注いで電源を入れる。
戸棚にはコーヒーのドリップパックが二つ、スティックシュガーとクリーミングパウダーがそれぞれ二本ずつある。他にはティーバッグの緑茶が二つ置いてある。
誠司さんが俺のそばに来た。
「淹れようか」
「飲みたい」
「どっちがいい?」
「コーヒーがいい」
「砂糖もミルクもあるよ」
「ブラックがいい」
誠司さんが笑いながら尋ねる。
「飲めるの?」
俺はむきになって答えた。
「飲む」
誠司さんが慣れた手つきでドリップパックをカップに装着し、沸いたばかりのお湯を丁寧に注ぐ。
「上手だね」
「淹れるの、好きなんだ」
「おいしそう」
「口に合うといいけど」
「合うよ」
ベッドに並んで腰かけて飲む。
やはり苦い。そして酸味が強い。大好きな誠司さんといるのに甘く感じない。
でも砂糖は入れない。ミルクも入れない。誠司さんと同じコーヒーを飲みたいから我慢する。
「無理しないで」
「大丈夫」
なんとか半分まで飲んだ。
誠司さんが自分が飲んでいるカップを両手で包む。
「俺、間をあければよかった」
「どういうこと?」
「聡との思い出が落ち着いた頃に、次の愛する誰かと関係を始めればよかった」
余田の名前を出さないように配慮してくれていることがわかる。でも俺は素直に喜べない。それは誠司さんが余田の待つ部屋に帰ることを決定づけることだからだ。
俺は選ばれなかった。少なくとも誠司さんにとっての余田のように、共に人生を歩むパートナーとしては。
「俺は誠司さんにとって、何だったの」
俺の手の中でコーヒーが冷めつつある。誠司さんが俺に近づいた。
「ごめん。悲しい思いをさせた?」
「気にしないで。少しだけだから」
「大切に思ってるよ」
「俺が、大切なの」
「そうだよ。だから君に愛することを知ってほしかった」
「放っておいてもよかったのに。愛することなんて知らなくても生きていける。俺だってバイセクシャルだけど、そういう人っていざ結婚するとなったら結婚相手以外とはつきあいをやめる人多いみたいだし、俺もいずれそうなると思う」
「俺ね、母親が二回離婚してるんだ。だから小学生の頃から、夫婦って永遠じゃないんだ、絶対じゃないんだって感じてた。だから誰かと愛しあうことを避けてたし、いつも人との間に壁を作ってた。それが簡単に崩れたのが、聡と出会ってからだったんだ」
「だから今でも聡さんからもらった愛を大切にとっておいてあるんだね」
「そうだよ。だけど君は誰かを大切にできる。俺にはすぐにわかったよ。今まで君はそのことを知らなかっただけなんだ」
「どうしてそう思ったの」
「俺に興味をもってくれたでしょ。それから俺に自分から踏み込んできてくれた。初めてだったんだ、そうされるのは。それに俺の反応を見て、近づいたり離れたりしてくれたでしょ。この子は相手の状況とかを踏まえた対応ができるんだって思った」
「あなたを振り向かせたかっただけだよ」
「君は感情に流されない。だから少なくとも俺みたいに、血迷ってゆきずりの相手と寝て、乱暴に扱われることなんてない。だから大丈夫」
「その経験も含めて俺はあなたを愛してる。無事でいてくれてよかった」
冷めてしまったコーヒーを二人で飲む。
「帰る?」
俺は尋ねた。
飲み終わったカップを見つめたまま、誠司さんがひと言で答える。
「帰る」
「部屋まで送るよ」
「駅まででいいよ」
「送らせて」
「君とのことを考えながら帰りたいんだ」
「車で考えても電車で考えても同じでしょ」
「一人で考えたい」
綺麗な目がまっすぐに俺を見る。優しく切ないほほえみが俺を包んだ。
「誠司さん」
「健」
「あいつに全部話すの?」
「コーヒーを飲みながら話したとだけ伝える」
「秘密にしてくれるの?」
「二人だけの秘密だよ」
「永遠に?」
誠司さんの笑みが少しだけ明るくなった。
「そう、永遠に」
今になって舌に残ったコーヒーが、甘く変わった。
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