僕の恋人が殺された

秋田 優

 僕の恋人が殺された。

 その一報を受けたのはテレビのニュースだった。

 数日前から連絡が取れず、どうしたものかと悩んでいた矢先の出来事だ。


 -「一昨日未明、神奈川県川崎市内のマンションで女性が殺害されました。被害者は二六歳女性の大森圭子おおもりけいこさん。遺体には複数の深い刺し傷があり、刃物により殺害されたと見られています。女性に強い恨みを持った者による犯行と見られています。」

 圭子が殺された。彼女は天真爛漫で、誰からも恨みを買うような人間じゃなかったのに。むしろ、どんな人間とも仲良くできるようなそんな性格だった。なぜそんな彼女が。それもよりによって、包丁で滅多刺しだなんて。

 ニュースを見た直後から視界が揺れ続けており、何も考えれなくなってしまった。

 圭子はもういない。せめて最期に顔を見たい。葬儀はいつ執り行われるのだろうか。

 一番早いのは圭子の両親とコンタクトを取ることだが、圭子の両親と僕は面識がなかった。彼女が頑なに会わせようとしてくれなかったのだ。しかし、いくらなんでも圭子の身にこんなことがあったなら調べて僕に連絡をくれればよかったのに。せめて圭子の葬儀には参列させてもらいたい。そう思って手がかりを探すために彼女のSNSを確認してみた。


 -「このアカウントの持ち主であった圭子ですが、報道の通り、事件に巻き込まれ亡くなりました。つきましては、下記日程で葬儀及び告別式を執り行います。」

 そこには彼女の葬儀についての情報が書かれていた。僕はすぐさま職場にしばらく欠勤する旨を伝え、参列する準備を始めた。


 彼女と出会ったのは前職の会社だった。僕は中途採用で入った身で、彼女は新卒で入社して働いていた。僕より歳は四つ下だが、その時の職場では一応は先輩という関係だった。彼女はその会社でのやり方を教えてくれ、僕は今までの経験を活かしてより良い提案をする。お互いに擦り合わせを行い、仕事を上手く進めていった。そのように信頼関係を構築していき、次第に異性としても惹かれあった。僕が社内の人間関係が原因でその会社を辞めた後も、交際は続いていた。



 一週間後、僕は「大森家葬儀」と書かれた看板の前に立っていた。警察による捜査が入っていた関係で通常より葬儀までに時間がかかったようだ。

 受付を済ませ、式場に入る。すぐ目の前に僕の愛した圭子の遺影が飾れていた。それを見た瞬間に胸が締め付けられる感覚があった。

 会場の前方には圭子の両親と兄と見られる若い男が座っているのが見えた。

 兄がいるとは聞いたことがなかった。

 僕はひとまずご両親に挨拶をしようと、夫婦の前に立つ。

「この度は御愁傷様でした。」

 ご両親はこちらを見ずに深々と頭を下げる。

 二人とも白髪まじりでシワが多く、かなり老けて見えた。圭子の年齢から言えばまだ五十代のはずだが、悲惨な事件で娘を亡くしたことでこんな痛々しい姿になってしまったのだろう。

「恐縮ですが、圭子とはどのような関係で?」圭子の兄と見られる男が尋ねてきた。

「申し遅れました、圭子さんと交際していた城田裕司しろたゆうじと申します。」

 僕がそう言った瞬間に三人の目が一斉にこちらを見る。

 何かまずいことを言っただろうか。圭子は僕のことを家族に一切話していなかったのか。

「あの・・・。何か?」目を見開いたまま硬直している三人に尋ねる。

 途端、圭子の兄が怒りを滲ませて僕に詰め寄る。

「あんた、ふざけているのか。こんな場でそんな冗談を言うのはやめてくれ。」

 予想外の反応にたじろぐ。

「ふざけてなんかいません。僕は彼女と二年前から交際していたんです。」

「なんだって?あんた城田って言ったな。まさか・・・。」

 それを聞いて両親もハッとしたように立ち上がる。

「どういう了見だ。こんな場所にまで来て、どうするつもりなんだ。」彼女の父も僕に詰め寄って来る。

「どうするも何も、僕は彼女を弔いに来たんですよ。なぜそんなことを言われないといけないんですか。」

 僕は最愛の人を失い、最期に弔いに来たのに、なんでこんな扱いを受けるんだ。履ふつと怒りが込み上げてくる。

「出ていってくれ。圭子と会わせるわけにいかない。」僕の腕を圭子の父と兄が掴み、式場の外に力づくで連れ出された。そして、そのままの勢いで道端の植え込みに突き倒される。

「ふざけるな!」僕は怒りに全身を震わせ叫んだ。

「それはこっちが言うことだ。あいつの・・・圭子の彼氏は俺だ。」

 圭子の兄と思っていた男が僕を見下ろしながら吐き捨てる。

「は・・・?」耳を疑う。この男は何を言っているのだろう。

「そうだ。圭子の交際相手は彼、恵次けいじくんで間違いない。それに君、城田と言ったな。」圭子の父も見下ろしながら言葉を続ける。

「圭子に付きまとってどういうつもりだったんだ。圭子は君に酷く怯えていた。」

「お義父さん、すぐに警察を呼んだ方がいいです。」男が口を挟む。

「・・・いや、よそう。葬式の日に安らかに過ごせないのは圭子が気の毒だ。」

「・・・。わかりました。」

 圭子の彼氏を名乗る男は僕を憎しみを込めた目で睨みつけ、圭子の父と共に式場へ戻っていった。

 また式場に戻るわけにもいかず、家に帰ることにした。

 帰り道、僕は混乱していた。

 圭子は紛れなく僕の彼女だったはずだ。

 ありえない。ありえない。ありえない。おかしい。おかしい。おかしい。

 ふざけるな。ふざけるな。どうして。どうして。

 記憶の中の僕の圭子が薄れていく。


 自宅のアパートの鍵を開けて部屋に入る。

 廊下に包丁が落ちている。時間が経ったせいで刃先に付いた血は乾き、黒ずんでしまっていた。僕はその包丁を拾い、血のついた部分を舐める。

 彼女の味がする。ああ、圭子。「殺されてしまった」僕の彼女。

 僕が幸せにするはずだったのに。でも、それを拒んだのも彼女だからこうなったのは仕方ない。当然の報いだろう。


 圭子の写真を眺め続けて数十時間が経っただろうか。きっともう彼女の遺体は焼かれて骨になってしまっただろう。華奢な彼女の骨はきっと小さな骨壷に収まってしまう。あの綺麗な顔がもうこの世にないと思うと涙が溢れた。

 写真の中の彼女は僕の方を向いていない。


 不意にインターフォンが鳴った。

 それと同時にアパートのドアが激しく叩かれる。

「城田裕司さん。出てきてください。」低く、威圧感のある声がドアの先から聞こえる。

 僕と圭子の時間を邪魔するのは誰だ。

 僕がドアを開けると同時に数名のスーツを着た男が部屋になだれ込んでくる。

「神奈川県警の鹿島といいます。大森圭子さん殺害の容疑であなたに逮捕状が出ています。ご同行願います。」先頭の険しい顔をした男が紙を眼前に掲げた。


 僕は咄嗟に血の付いた包丁を拾いあげ、男たちに向ける。

「来るな!僕は悪くない!」喉が張り裂けそうなくらい叫んだ。

「無駄な抵抗はやめろ!」鹿島と名乗った男が銃を構える。

 周りの男たちも銃を取り出し、僕に向ける。

「僕は悪くない!あいつが悪いんだ!」

「城田!」太い声が部屋に響き渡る。

「あああああ!」

 僕は持っていた包丁を自分の腹に突き刺した。

 刃の冷たさを感じた後に、激しい熱さに襲われる。ああ、きっと圭子はこんな熱さの中で命を落とし、しまいには身体を焼かれたんだろう。なんて可哀想なんだ。

 倒れた拍子に、さらに包丁が深く刺さる。

 この包丁を通して、僕は彼女とひとつになったのだ。


 -「川崎市内で起きた女性殺害事件に関する続報です。容疑者の男の身柄が確保されました。逮捕されたのは無職の城田裕司容疑者、三〇歳。被害者の大森圭子さんを殺害した容疑がかけられています。城田容疑者は大森さんの元同僚で、以前からストーカー行為を繰り返しており、大森さんは警察に数回に渡り相談をしていたと捜査関係者への取材で明らかになっています。城田容疑者は支離滅裂な言動を繰り返しており、責任能力の有無も含め、慎重に捜査が続けられているとのことです。」

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