2 なつのひ

 いよいよ夏到来、どころか連日、「今年に入っての最高気温更新」なんてニュースで言ってる土曜の昼下がり。

「おじゃまします」

「どうぞ」

 いつもと変わらず、ご丁寧に小さく頭を下げてハニーは私の部屋へ入る。別に無言だろうが靴を脱ぎ散らかしてあがろうが一向に私は構わないけど、彼女は脱いだ靴をちゃんとそろえて、さらに脱ぎ散らかした私の靴までもそろえてくれる。ついでに言ってしまうと、彼女の美点はさらにその先にある。ハニーは自分のポリシーを人に押し付けないのだ。靴ぐらいそろえたら?なんて一度も言われたことがない。無言のプレッシャーと言えばそうなのかもしれないけど……ま、しかし靴ぐらいはそろえるべきだとは思う、自分よ。二十歳ハタチを過ぎた女が一人暮らしとはいえ、玄関の靴があちこちに飛んでいるのはかなりマズいだろう……。

 締め切っていた部屋はやはり一瞬息がつまるほど暑い。

 私たちはハニーの大学の近くにある小洒落た洋食屋でランチを食べてきた帰り。今日は二人とも一日中空いているので「とりあえずウチくる?」という運びで今に至る。私が、家でごろごろしたかったというのは多分にある。お腹いっぱいだし。

 私はレースカーテンを開けるといっぱいに窓を開けた。玄関横のキッチンの小窓はさっき開けておいたから、途端すーっと涼しい風が目の前を通り抜ける。

「あ、気持ちいいね」

 ちょうど窓と窓の直線上にいたハニーの麻のスカートが上品にゆれる。微笑む顔にちょっとどきり。少し栗色がかった長い髪を触りたくなったけど、なったけど、アイスコーヒーぐらいいれよう。

 私は窓から離れるとハニーの前を過ぎて冷蔵庫を開けた。

「あれ? クーラー入れないの?」

 そう、いつもなら速攻クーラーのリモコンのスイッチをオンにしているのだけど。

「今年の夏は電力不足とか言うからさ、だから夜になるまでつけないでおこうかなって」

「そっか。電気代も浮くしね」

 うんうんと彼女はうなずくと、足の短い丸テーブルに腰をおろした。

 暑くないといえばウソになるけど、自然の風も悪くはないし、グラスに入れた氷の音がなんとも涼しげに感じたり。

「ありがとう」

 よし、アイスコーヒーも入れた、ハニーも一口飲んだ。準備OK?

「えーっと……いい?」

 二人の間だけに通じる言葉、というのが世の中にはある。今がそう。ステディな関係カテゴリな言葉。

 ……そろそろ抱っこしてごろごろしたいんだもん。

 まったりとした顔で窓の外を眺めていた彼女がはたとこちらを見る。

「ダメ」

「ええっ!?」

 その顔は微笑んでいて。

 今まで断られたことあったっけ? あったっけ? あったっけぇええええええ????

 ショックでぐわんぐわんと頭がゆれた。

「窓開いてる」

 ぽつりと一言。

 あ。

「声とか聞こえたら恥ずかしいもん」

「あ……」

 かすかに赤らめる顔も魅力的で。

 じゃなくて、確かにそうだ。

「じゃあクーラーつける」

「夜までつけないって言ったでしょう?」

「え、いや、うん、だけど」

「有言実行」

 ま、窓閉めるか……昔の夏の四畳半みたいな感じで汗まみれとか……いや、そんな風情なんか爆発してしまえなほどに部屋の温度は上昇して下手したら二人とも病院行きだ、多分。

「……夜までがまんします」

 何を、とは訊かないで。

「うん、じゃ行こっか」

 と言って飲み干したグラスを手に立ち上がるハニー。

「へ? どこに?」

「本屋さん行こう、あそこ涼しいし疲れたら併設のカフェで夕飯まで時間つぶせるし。地下フロアの文房具コーナーで買いたいものがあるの」

「あ、うん……」

 来たばっかりなのに。

 とぼとぼとしょぼくれて立ち上がると、すでに彼女はサンダルを履いていた。

「だって、ここにいたらしたくなるでしょ? でもクーラーないし、声聞こえちゃうし。私もがまんする」

 えっ。

「おんなじこと思ってるから、大丈夫」

 背中越しにそう言って、ハニーは部屋を出た。

 ……どんな顔してたのかな。

 夜に見せてもらおうっと。


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