【アップ】男山教会 2023年3月5日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】男山教会 2023年3月5日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=bfXdI0xqGlE&feature=youtu.be


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12793353445.html

(讃美歌や聖書の内容を閲覧できます)



前奏

招詞 詩編65編2~6節

頌 栄

たたえよ、主の民[讃21-24,こども改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り

十戒・祈祷

子ども説教

子どもと親のカテキズム問25

「罪人の救い主」

こどもさんびか

わたしたちのつみのため[旧38(1節)]

牧 会 祈祷

讃 美 歌 284番(1,2節)

聖書

使徒言行録15章12~21節(新約P243)

アモス書9章11~15節(旧約P1441)

説 教

「昔から知らされていたこと

~主の預言と実現を見て」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 284番(3,4節)

使 徒 信条

聖餐式

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄  540番

祝 祷

報 告



讃美歌~♬


讃美歌284番(歌詞付)54年版「主のとうときみ言葉は」2

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=TFIWwaptF6s


1 主のとうとき みことばは

  わが生命(いのち)の もといなり

  たよるわれは 安けしや

  世にまたなき みことばよ


2 ただ我のみ汝(な)が神ぞ

  おそれず行け ためらわで

  力つよき 我が腕(かいな)

  なれにそいて はなれじ


3 なやみの火は燃え上がり

  なげきの河 あふるとも

  めぐみの手に すがりなば

  つねに勝ちて あまりあらん


4 老いの坂を のぼりゆき

  かしらの雪 積もるとも

  変わらぬ 我が愛におり

  安けくあれ 我が民よ


頌栄集 讃美歌539・540・541・542・543・544番 メドレー

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=6lHQPiZILD0

(ブログを見て下さると歌詞も閲覧できます)



2023年3月5日 礼拝説教 中心聖句


「それは、…人々のうちの残った者が、わたしの名で呼ばれている異邦人が皆、主を求めるようになるためだ。」

使徒言行録15章17-18節


その日には わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し その破れを修復し、廃墟を復興して昔の日のように建て直す。

アモス書9章11節


はじめに

主の晩餐(聖餐)に備え、聖霊の臨在による礼拝の恵みを分かち合う。

「すると全会衆は静かになり」とは、エルサレムの教会における使徒たちの証言を長老たちのみならず、多くの兄弟姉妹(信徒)たちが聞いていたことを物語る。しかも、ペトロの証言は、異論をはさむ余地のないものであり、「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われる」という、ただ一つの罪人を救う恵みの教理である。それは、万民に共通であり、「彼ら異邦人も同じこと」。一度は、「激しい意見の対立と論争が生じ」ながら、全会衆に聴く用意が与えられた時、「バルナバとパウロが、自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いた」。ここに、福音の言葉は、第一に、神の御業の証言の伝達であることを知る。語る者聴く者に求められていることは、その事実を認め、キリストと神に立ち帰り、自分も同じく「主イエスの恵みによって救われた」と告白すること。ここに、神の御前にある、すべての人生と教会と世界における、諸問題の解決(もろもろの罪における神との和解:罪の赦し)のただ一つの道がある。

「二人が話を終えると、ヤコブが答えた。『兄弟たち聞いてください』」とは、ナザレの人イエスの肉の弟でありながら、十字架と復活の主と聖霊の恵みによって、主の兄弟の一人とされたヤコブの答え。ヤコブの手紙において、ヤコブは、皆を「わたしの兄弟たち」と呼ぶ(ヤコブ1章2,19節,2章1,5,14節,3章1節,5章12節)、イエスは、決して人の宗教の教祖でも、世襲的権威を求める方でもなく、永遠の神の御子のもとに、すべての救いの民を召し集められることを認める。「神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオン(ペトロのこと、シモン・[ペトロ]のギリシャ的な言い方)が話してくれました」と、ヤコブは、使徒たちと同等の立場で、聖書的証言による保証を与える。

「預言者たちの言ったことも、これと一致しています。次のように書いてあるとおりです」とは、使徒たちの権威は、決して、キリストの兄弟たちの上にあるものではなく、等しく、神とキリストの召命によるものであることを認める。さらには、教会の権威は、ただ、キリストを証言する聖書(新旧両約聖書)全体の権威に基づくことを知る(ヨハネ5章39節、テモテ二3章16節)。聖霊は、わたしたちの心に、神の真実と聖書の証言における一致(御子の福音)を明らかにする(ヨハネ一5章9節)。

「その後、わたしは戻って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す」との、主の預言は、エルサレムに建つ荘厳な神殿ではなく、真のイスラエルを復興する。それは、ただ、主の言葉と聖霊の臨在による。「人々のうち残った者」、主の「名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになる」という、ただ、まことの預言者・王・祭司である主キリストに向かう、悔い改めによる霊的復興。ヤコブの判断も、どの町でも昔からモーセの律法が安息日ごとにユダヤ人の会堂において読まれていることを踏まえながら、同じような衝突や行き違いが生じないように周知する手紙を準備する。

おわりに

主の福音は、はじめから、人を差別することない普遍的なもの。人の罪と悪と弱さゆえに、衝突分断が起こる。絶えず十字架の主にある真の和解を求めたい。



(Mynote)


二〇二三年三月五日(日曜日)。今日も礼拝を守れるこの環境が与えられて居る事を神様に感謝する。

〈子供メッセージ〉

『子供と親のカテキズム問二五』

「神様は、このような罪人となった私達を、滅びるままにお見捨てになりましたか?」

「いいえ、神様は、私達を憐んで、救い主によってご自分の子供に回復しようと、御心のままにお定めになりました。この救い主によって、神様は罪と滅びから救い出して下さいます。」

迷った一匹の羊のエピソードを引用。イエス様(救い主)は他の九九匹の囲いの中に居る羊よりも、その迷った羊一匹を探しに行かれる。この迷った羊と言うのは所謂る罪人の事である。囲いの中と言うのは教会の中、或いは救われた者が集まる土地…と見て良い。救い主は、この罪人をその罪から救い出す為にこの人の世に来られた。全ての人はこの事を覚えねば成らない。イエス様は、その全ての罪人の為に十字架に掛かって下さり、三日目に死人の内より甦り、全ての罪人が死んでも生かされる事を証明して下さった。その復活を見える形で約束して下さったのだ。神様はその一人子を我々罪人である人間の為に遣わし、救い主・イエス様を通され、全ての罪人を信仰に依り救われる事をお教え下さった。信仰に生かされる上で、全ての罪人は救われる。

〈公同礼拝〉

『使徒行伝』(第一五章一二〜二一節)

『アモス書』(第九章一一〜一五節)

今、世間・世界でも様々な苦難や、繰り返しの歴史に見られる出来事が起きて居る。一方的に主張をする国民。神様に聴く事を忘れ、人の間でのみ議論を交わす事がある。その方が甚だ多い。これが人の社会だ。それでは信仰に於いて、真実の答え・救いを得る事が出来ない。そこで得られる答え・救いは「人が考え出した答え・救い」に成り、人から出るものは必ず乾くもの・限りあるものである。だからその後、何度も同じ議論を繰り返し、無い答えと救いを求め続ける堂々巡りに成る。

神様に救われたクリスチャンと、それ以外とする教会の外に居る人達・異邦人とを区別する上、その救われて居ない異邦人の為に、救いに与ろうとするその途を邪魔しては成らない。その際でもクリスチャンはその異邦人に、偶像を避けさせ、不品行や争いから避けさせる為の指示(規律の言葉)を書いて送りたい。この様にヤコブは補強の言を述べた?

人は誰でも皆が、教会の全集会に与れる権利が与えられて居る。教会で教えられる事を、全ての人が「自分の課題」として受け止める事が先ず大事である。福音の言葉に立つ教会として、互いに御言葉の中で愛し合い支え合う事、全ての会衆(全ての人々)がその様に在る事が大事である。教会に集う上、神様が人に教えられた事、その恵みに注目し、それを生活の第一とする事が最も大事になる。この為の準備を、教会員(クリスチャン)始め、それが出来る人はして行かねば成らない。それが福音・布教に生かされる事であり、各自が自分の信仰に生かされる事に成る。クリスチャンでも各自が自分の考え・感覚を以て信仰に生きようとする。でもそれが教会から見てどうなのか?神様に見られた上でどう在るか?を問い、常に悔い改めを心に置き、信仰に於いて正しく在ろうとする事が大事と成る。

「平和を作り出す者は幸いである」この「平和」とは何を指すか?クリスチャンとして神様に喜ばれる者と成り、その状態を以て福音・布教に生かされる事、その上で教会の内と外とで兄弟姉妹と愛し合い、支え合い、神様の御前で(その人に関わった)全ての人々が正しく在る事、この様な事を為す人(神様に依りそうされる人)が、平和を作り出す人ではないか。

信仰に厚いからと言って誇っては成らない。その誇りから人間的な主義主観が入り、人の世界で喜ばれる人に成り勝ちだからだ。人の前に立つ上で、神様の前に立って居る事を憶えねば成らない。肉の信仰ではなく、霊に依る信仰に立たねば成らない。

或る宗教の教祖が亡くなった。その後、世襲を大事とし、その教祖の信者を肉の信徒として見、その様に見て居るのは初めから肉の信徒である。これでは成らない。キリストに生かされる人々は聖霊(霊)に依り生かされる人々であり、世襲など人の中に無く、神様と人々の内にしか救いは無い。群れの内に居ても、その群れは個別であり孤独に在り、個人と神様との関係を、その群れの全ての人(個人)が以て居る。肉に依る信仰とは、人が作り上げた信仰である。だからこの世(地上)のみを土台(ベース)と見、口と心では何とでも言うが、その究極に於いて救い主が居らず、その為、人の内に救い・救い主を求める。肉の内の曲がった信仰は、同じくその肉の内に滅びる。誠の救いは霊の内に在り、その霊は聖霊であり、聖霊は神様から人に与えられ、神様と全ての人々の間に働いて居る。

神様が与えられる恵みと救いは全ての人を差別せず、平等に与えられて居る。これを必ず憶えねば成らない。



【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


「わたしはよい羊飼いです」THE DAILY with Arthur Hollands 2023/03/12

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=2G9xj3Z5-4Y


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


Billy Joel - The Longest Time (Official HD Video)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=a_XgQhMPeEQ


Moon over Bourbon street-Sting

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=5i_0PkOqLKA


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)


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