第200話 【Side:魔国】私が戦ってやる

「……──っ!?」


「おっと、叫ぶなよ?」



ガシリ、と。

エリィの口は強くふさがれる。

巨大オオカミのザラザラとして硬く、それでいてその奥に柔らかさの感じる肉球で。

ポップコーンのニオイがした。



「コイツからは、わずかだがキウイのニオイがする。いや、正確にはこの店からだな」


「ではこの人と、この場で接触があったと?」


「可能性は高いな」



オオカミはその背に乗せた白い翼を持った女と会話している。

その内容は、パニックになりかけのエリィに冷静さをとりもどさせた。



……キウイ? キウイって……魔国講和大使のキウイ・アラヤ様っ?



口をふさがれながらも、エリィは状況理解に努めた。

彼らは『人について尋ねたい』と言っていた。

目の前にいるのが魔族であり、そしてかつてこの喫茶店を訪れた魔国幹部キウイ・アラヤについて尋ねようとしているのだということは確かだろう。

しかし、なぜ?

キウイ・アラヤは魔国に帰ったはずでは……いや、まさか王国が発表しないだけで、王国軍に捕らえられているのかも?



「~~~っ」



エリィは口をふさぐオオカミの手を軽く叩く。

もう十分だ、という意思を込めて。



「なんだ? 喋りたいのか? 言っておくが、叫んだら承知しないぜ」



ゆっくりと、その手が離される。

エリィは呼吸を整えると、



「キウイ・アラヤ様はかつてこの店にいらしたことがあります。ですが、それは講和破断前のことで、それ以来で姿をお見掛けしたことはありません」



淀みなくそう答えてみせる。

オオカミはニヤリと口元を歪めると、



「話が早いな。それに、敵国のオレたちに対して恨みの感情もねェ」


「……わかるのですか?」


「オレの鼻は利くんでね」



オオカミは得意げに言うと、



「で、アンタは何者だ? どうしてキウイと接触した?」


「アラヤ様が訪れてくださった喫茶店の店長という……それだけの接点です。ですが、」


「『ですが』?」


「アラヤ様にはその際、私の悩みを聞いていただきました」


「……ああ? 悩みだぁ?」


「はい。私一個人の、きっとアラヤ様にとっては取るに足らない悩みだったでしょう。それでもあの方は、まるで私と同じ目線に立つかのようにして耳を傾け、そして心の暗闇をさまようばかりだった私に希望の光さえのぞかせてくれたのです」



エリィはその時のことを思い返しながら、改めてしみじみと思う。

敵国である王国の民へと、あそこまで分け隔てなく接することができる大使は、やはり他にいなかっただろうと。



「私はアラヤ様の中に見ました。魔族と人との虹色の架け橋を」


「んん……?」


「私の立場ではどの国の、誰が、どう悪いのか……ハッキリとはわかりません。でもこれだけは言えます。敵国の民にでさえも救いの手を差し伸べるあのアラヤ様が、昨今の新聞に散々に書き連ねられているような悪事を働くわけなんてないということをっ!」


「アイツ、そんなタマだったか……?」


「ウルクロウ様、静かに。それとドクター・アラヤはアレでいて、実はとても人情味あふれる方ですよ。私は知っているんです。直属の部下ですので」



首をかしげるウルクロウと呼ばれたオオカミへと、背中の白い翼の女が諭すように言っていた。

彼女もまた、エリィ同様にキウイ・アラヤの温かさに触れた同士らしい。



「……」



コクリ、と。自然と、エリィと彼女は互いにうなずき合っていた。

今なら真に言葉が通じる、エリィにはそう思えた。



「あ、あの……」


「なんだ?」


「もしもアラヤ様に危険が及んでいるのであれば、私にも役立てることがあるかと」


「ホォ……?」



ウルクロウが、その口元からのぞく牙と同じくらい鋭い目をさらに細めて、エリィの全身を舐めるように見る。



「悪ィが、オレはオレの仲間以外を信用しねェ」


「ウルクロウ様、ですがこの女性、なかなか見所が──」


「黙ってろスワン」



その低い声に迷いはない。

相手の姿形にも、情にも、その他の一切の何物にも左右されることのない、戦場に立つ者としての不動の信念が、威圧感となってエリィの胸の真ん中を押していた。



「おまえがオレたちに協力したいってコトは、おまえがオレたちの敵でない理由にはならねェ。キウイのニオイで釣り糸を垂らしていない保証はどこにある?」


「……その通りです。ですので、」



ズイッと。いまだ掛けられる圧を、逆に押し返すようにしてエリィは一歩前に足を踏み出すと、その片手にずっと握っていた写真立てをウルクロウへと掲げた。

そこに映っているのは二人の男女。

エリィとその恋人──ヤコフ・シュワイゼンの姿だった。



「私を <人質>にするのではいかがでしょうか」



エリィは言った。

やはりその口調に、いっさいの淀みもなく。



「人質、だァ……?」


「私の恋人は軍人……それも高級将校です。王国軍内部にこれ以上なく詳しく、そして影響力も大きい。私が人質になっていれば、アラヤ様の居場所を吐くかもしれません」


「それはおまえにとってなんの利益がある? 恋人を陥れる意味は?」


「いえ、陥れるのではありません。逆です」


「逆ゥ?」


「私は彼に……ヤコフにもう、この戦争から抜けてほしいんです」



目を丸くするウルクロウ。

エリィは一つ呼吸を置くと、言葉を続ける。



「……あの人は、ヤコフは決して強くない人。むしろ本当は繊細で、臆病で、弱いんです。戦争なんて、関わるべきじゃなかったのに……今や彼の心身はどんどん傷ついて、やつれていって……」



後悔の棘が、エリィの心臓の内側をずっと引っ掻いている。



──なぜあの日、おかしくなってうずくまったヤコフを置いて部屋を後にしたの? その傷口から目を逸らしてしまったの?



その後時間を空けず、ヤコフの部屋は爆破されていた。

テロだというウワサだった。

必死になって知人を頼り、そうしてヤコフの安否はしばらく経ってようやくわかったが、今度は軍部に缶詰めになっている。


軍本部に訪ねに行っても、『留守です』『会議中です』『言伝があります』『王都を離れて』『戦争が終わるまで南部の実家に帰りなさい』『俺は行けない』『すまない』『さようなら』『出張中です。いつ戻られるかは不明です』……窓口の人々に追い返されるばかりで、ヤコフにはもう会えなかった。


ヤコフはエリィのことを意識的に避けている。

そうとしか思えない。

それがエリィの身を案じてだということはわかっていた。

戦火が近づいてくる王都から、エリィを遠ざけようとしているのだろう。

でも、どうして傷つき続けている恋人を一人、王都に置いて逃げられようものか。



「きっとあの人は今もまだ魔国と戦おうとしているのかもしれません、それは擁護できない彼の罪でしょう。でも、私は見捨てない。私にとってのあの人は、誰かと戦う軍人なんかじゃない、共に同じ時を過ごしてきた恋人だから」


「……」


「私はもう、あの人とともに作ったこの喫茶店の窓際で、いつか彼がこの前を通りがかるんじゃないかとか、そんなふうに待つだけの日々は嫌」



エリィはその足を、ウルクロウへと向けもう一歩前に踏み出すと、



「ならば人質としてでも、私はもう一度彼に会いに行きたいっ! そうして引っ張ってでも、引っぱたいてでも、彼をこのグチャグチャの戦争の舞台から引きずり下ろしてやるんですっ!!!」


「……その結果、おまえは王国への反逆者となるんだぜ?」


「国が、なんなんですっ? それはヤコフのことを傷つけ続ける大義名分でも持ってるって言うんですかっ? そんな国なら、私が代わりに戦ってやるんだから……!」


「──ギャハッ」



ウルクロウがこらえ切れぬその笑みで天を仰ぐ。



「ギャハハハハッ! おもしれェっ、馬鹿おもしれェよっ! 王国を敵に回すのは恋人を連れ帰るためってか! 最高だ! 最高に自己中でいい!」


「……自分勝手なのは、重々承知ですっ! でも、この提案はアラヤ様を救出にやってきたあなた方にも確かなメリットが──」


「いや、んなモンはどうだっていいんだわ」


「──えっ?」


「そもそも、キウイは捕らえられちゃいねェ。その情報はすでに掴んでるんだよ、オレたちはな」



したりといった様子のウルクロウの表情に、エリィは目を丸くせざるを得ない。

だがそんなエリィなどお構いなしに、ウルクロウは背のスワンへと、



「オイ、スワン。プラン変更だ。キウイとの合流はヤメにする」


「はっ……? えっ? いったいどうして……!?」


「キウイがすでに動いてるってことはよォ、それはつまり、オレたち無しでもコトをやり遂げるって確信があってのことだろ? アイツは無茶はやっても無謀なことはしねェ。あらかじめ全部計算尽くしで動く……そういうヤツだ」


「そ、それはそうですが……」


「なら計算外のオレたちが駆けつけてやる必要は無ェ。そんな勝ち戦に便乗しに行くよりもよォ……もっと面白そうな戦場バショを見つけちまった」


「ちょっ、まさかウルクロウ様……!?」


「親愛なる魔王陛下はオレたちにこう言ったぜ? 『好きにやれ』と」



細い弓なりになったウルクロウの目が、ニヤリとエリィをとらえた。

エリィにスワンとの会話の意味はわからない。息を呑み、ウルクロウの言葉の続きを待った。



「オレたちは王国軍本部を奇襲する。おまえを人質にしてな」


「っ! 私を、信じてくださるのですか……!?」


「ああ。おまえの求めるその利益は、まごうことなくおまえただ一人の欲望だった。誰かのためだとか、国のためだとかそんなモノは信用ならねェ。欲望は自己中なモノほど信頼できる」


「それじゃあ……っ!」


「連れてってやるよ、恋人の元に。そんでもって散々にオレたちのために利用し尽くしてやる……それでいいんだよなァ、人質さんよォ?」


「はいっ! もちろんですっ!」



ウルクロウが差し出した大きな手へと、エリィもまた手を伸ばす。

直後、腕を掴まれたかと思うと、ヒョイッと。

エリィは白銀の毛並みの背へと乗せられた。



「名前は?」


「エリィ・マルグノワルと申します」


「掴まってろ、エリィ。必死でな」



ウルクロウは言うやいなや、足音もなく、闇に溶けるようにその姿を消した。

闇の中、白銀の影は疾風に吹かれるようにして王都の中心を目指した。






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いつもお読みいただきありがとうございます!

次のエピソードは「第201話 キウイの図書館制圧RTA」です。


次回は9/3(水)更新予定です。

よろしくお願いいたします!

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