第36話 【Side:王国】 聖女アルテミス
元魔国領エルデン。
その街中の大通りを、王国軍情報部中佐ヤコフ・シュワイゼンは、約束の場所へと向けて軍用自動四輪車を走らせていた。
辺りの景観はまるで、王国の辺境の田舎町と同じ。
主要な道も舗装はされておらず、水たまりもできやすい。電気が通っていないのはもちろんのこと、石材やレンガ造りを中心とした雑然とした街並みが、全体的に陰鬱な印象を与えているように思えた。
「フッ……主要な都市でこれとはな。未開の地の蛮族どもめ」
やはり人類は他種族に比べて優れ、特別に神に愛された存在なのだ。この地に足を運んでそう再認識できるのは、公用使となってよかったと思う数少ない美点かもしれない。
……やはり人類国家の中でも先進的なわが王国が早々にこの地を治め、そして開拓すべきなのだ。
戦況は王国側に大きく有利であり、そして次なる侵攻の準備も着々と進んでいる。シュワイゼンは公用使の仕事のかたわらで交戦意思の強い将校たちの意見をマメに収集して拡大解釈し、
" 魔国軍に
と情報部のソルフェージュ准将らに報告を上げ続けていた。
それが今、実を結びつつある。
「──ああ、いらっしゃいましたね」
シュワイゼンの乗る軍用車両がエルデンの町の中央にある " 収容所 " へと着くなり、その高く澄んだ声が彼を迎えた。
シュワイゼンは慌てて自動四輪車を停めて降りると、直立して敬礼をする。
「たっ、大変お待たせしてしまい申し訳ございませんっ! " 聖女アルテミス様 " っ!」
「いえいえ、まだ時間前ですわ。私が早く着いてしまっただけですので、どうかお気になさらないで?」
アルテミスは清涼な笑顔をでそう応じた。
彼女は王国教会第四席次にして、女性教徒のトップに送られる " 聖女 " の肩書きを持つ者。そしてなにより、次なる侵攻作戦の主要部隊としてエルデンに集結した勇者部隊のメンバーでもある。
年齢は二十代の半ばほど。白い女性用の司祭服に身を包み、頭には
アルテミスは柔らかな表情のまま、しかしため息を吐く。
「実は、われらが勇者殿に朝早くから、駐在軍の准将閣下の元への直談判に付き合わされてしまっておりまして。その帰りなのですよ」
「ゆ、勇者様が? いったい何を……?」
「侵攻作戦を早めるように、と。どうやら先の戦いに触れて、魔族との戦いに味を占めてしまったようで」
「そ、そうでしたか……」
今代の勇者の気性については聞いている。
魔国との戦争前から、剣の鍛錬を欠かさず、今か今かと活躍の機会をうかがっていたのだとか。
……平時なら戦闘狂だと眉をひそめてしまうところだが、今はなんと心強いことか。
「それでシュワイゼン中佐、本日こちらに私をお呼びになった理由はどういったものなのでしょう?」
「……ああ、そうでした。詳しくは中で」
シュワイゼンはアルテミスを伴って収容所内部を進む。
「こちらです」
「あら……」
案内した先の細長く奥へと続くその部屋で、アルテミスはそっとその口と鼻を手でふさいだ。
シュワイゼンも思わず目をつむる。目に染みるような異臭がした。
目の前にあったのは四方を檻に囲われた部屋、牢屋だ。
人間で例えれば六人ほどが横になれそうなその檻の中に、老若男女の区別もなしに二十体以上の魔族がすし詰めにされていた。
そしてその檻は一つではなく、部屋の奥へと続き横並びにいくつも置かれていて、その全てが魔族たちで満たされている。
「ここの魔族たちはエルデンの町で捕らえた者や、逃亡途中で捕まえた者たちです。数は全部でおよそ二百ほど」
「はぁ……それは、掃除が大変そうですわね……」
当然、収容した魔族たちの世話などイチイチ細かくなどしてはいない。食事は檻に投げ入れ、排泄物や体の汚れの処理は檻の外から大量の水をぶちまけてかけて、監視役の兵たちが通る通路だけ掃除をしているだけだと聞いている。
「それにしても、これでは息もできませんね」
アルテミスが懐からメモ帳サイズの聖書を取り出して白く光らせる。浄化の聖術を使用したのか、周囲の空気が一瞬にして清涼なものへと変わった。
「お手をわずらわせてしまい、申し訳ございません」
「いえ。でも、このために私をお呼びになったわけではないでしょう?」
「ええそれは、はい。この魔族らの力を抑えている聖術結界をより強いものにできないかと思いまして。ぜひお力添えを
「より強いものに、ですか?」
「その……前回のように、脱走されるわけにはいきませんので……」
「ああ、なるほど。そういうことでしたか。それでしたらお任せください」
アルテミスはニコリと。
シュワイゼンの過去の失敗に言及するでもなく、ただ美しく優しい笑みを浮かべて快く応じてくれる。
「では、檻へと " セイント・ヒーリング " をかけましょう」
「ヒーリングを……? それは確か、継続型の回復聖術なのでは……」
「ええ。ですが使い方によっては便利なのですよ?」
アルテミスが手近な檻へと触れる。その手は、やがて力強く白く光り始め──
……
……
……
……
「──ハ、ハァ……!?」
シュワイゼンの口から、間抜けな声がこぼれ出た。
他に誰も口を開くものはいない。
その場にいたシュワイゼンを含む王国兵たちはあぜんとし、他の檻に収容されている魔族たちは恐怖に言葉を忘れていた。
アルテミスが触れた檻の中の魔族たち……その体がたちまちに白く " 燃え上がった " かと思うと、彼らはほんの数秒で人型をした炭と化してしまったのだ。
「……フフ、フフフフフフッ。いけないわ。私ったら、つい」
聖女アルテミスは炭と灰の山となった檻の中をのぞき、ニヤリとその口端を吊り上げた。
「檻ではなく魔族に聖術をかけてしまいました。
「……ほ、炎の聖術を、ご使用なされたのですか」
「いいえ、セイント・ヒーリングですよ? 魔が聖なる力の恩恵を授かろうとすると、ただそれだけでその身が燃えるのです。ちなみにその理由はおわかりになりますか?」
シュワイゼンは無言で首を横に振る。
アルテミスは「簡単なことですよ」とクスリと微笑んだ。
「答えは、『神が魔という存在を許していないから』です。ゆえに魔は神の炎で罰せられるのですよ」
アルテミスは歩く。部屋の奥へと続いて置かれている一つ一つの檻に、白く光る手で触れながら。彼女が通り過ぎるごとに、中の魔族たちから怯えの声、すすり泣く声が多くなっていく。
「いいですか、
アルテミスが静かに、しかしハッキリとした口調で告げる。
「この檻に触れたなら、わが聖術はおまえたち魔を " 神の炎" で燃やし尽くすことでしょう。命が惜しくば……わかりますね?」
アルテミスは一通りの檻へと触れると、そのまま歩いてシュワイゼンの元へと帰ってきた。
「これでもう、結界については大丈夫かと」
「あ、ありがとうございます……」
シュワイゼンは息を飲む。いまだにその顔は炭と化した魔族たちから離せない。
アルテミスが持つ魔への敵意は、彼女の聖女としての淑やかな雰囲気とは裏腹に、シュワイゼンのソレよりもよっぽど苛烈だ。そのことにただただ圧倒されてしまっていた。
しかし、
「……そうだ、アルテミス様、もう一つ」
シュワイゼンは我に返ると、もう一つ、聖女アルテミスをここに呼んだ最大の理由を思い出した。
「" ダークヒーラー " についてです」
シュワイゼンがそう言うなり、ピタリと。アルテミスがその動きを止めた。
おや、とは思ったが発言を止められたわけではない。
シュワイゼンは言葉を続ける。
「この結界ですが、たとえばダークヒーラーによるダークヒールの魔術などで突破される可能性は、」
「──ナイナイナイ、ナイです。ありませんね、あり得ませんよ、ゼッタイ」
今度は。
明確に。
アルテミスはシュワイゼンの発言に割り込んで止めた。
「確かに聖のエネルギーと魔のエネルギーは相殺する場合があります。しかし、私のヒールを相殺できるほどのダークヒーラーなど、いるわけもありません」
「えぇと、アルテミス様……?」
「シュワイゼン中佐、あなたは " キウイ・アラヤ " の一件を気にしている、そうですね?」
シュワイゼンは素直に首を縦にする。
その通りだ。あの収容所のときの経験がなければ、ここまで魔族たちを気にかけることもなかったろう。
「であれば、ご安心を。あの程度の人物が私の聖術を上回ることなどありません」
「そ、それはもちろんそうでしょうが……しかし、ダークヒールの中には " 神話級 " のものがあるということが、キウイ・アラヤの論文から見つかっており──」
と、シュワイゼンは今度は自らそこで口をつぐんだ。
聖女アルテミスの顔から表情が消えていた。
「王国教会はどうだか知りませんが、私は認めていませんよ。キウイ・アラヤごときが、人には届かぬはずの " 神話級 " の研究を成功させたなんてことは」
平坦な声で、いや、平坦を演じるような声でアルテミスは言う。
「ヤツは魔力を持って生まれし " 悪魔の子 " 。あんなヤツの書いた
「あ、あの……アルテミス様? その、もしやキウイ・アラヤとご面識が……?」
「……面識? ああ、まあ強いて言うなら面識程度は」
シュワイゼンがおそるおそる問うと、アルテミスはふっと口だけで笑う。
「なにせ、あの邪教徒をヒーラー協会から追い出したのは、この私ですから」
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
次のエピソードは「第37話 キウイ少年ととある少女」です。
明日もよろしくお願いします!
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