第五話 あの子の家はどんな家?

「く、来海先輩。ご協力ありがとうございます」

 本日より晴れて文芸部の新入部員となった鳥川魚美ちゃん――ミーちゃんは、こっちに向かって頭を下げた。

「おかげさまで助かりました」

「そーかね、がはは」

 アタシは彼女の隣でソファの背もたれにふんぞり返り、わざとらしく笑ってみせる。

 作家志望のミーちゃんは、ついさっきアタシのフォローもあって、現役プロ作家〈佐藤椰子〉からアドバイスをもらえることになったのだ。

「しっかり感謝してねー」

「は、はい。本当に」

 こっちの恩着せがましいセリフに、ミーちゃんは真顔で返した。つづいて何度も勢いよくお辞儀をするものだから、大きな黒ぶち眼鏡がずり落ちそう。たかが部活の先輩後輩って間柄なのに、随分と畏まられちゃったわい。

「ウソウソ、冗談だってー」

 この子、そういや同級生のシオちゃん相手でも敬語だったな。メイちゃんから聞いてた通り、打ち解けるには時間かかりそう。まー友達いないらしいし、隣の席の男子はあんなだし。萎縮しても不思議じゃないか。今後たっぷり甘やかしてやるとしよう。

「アタシも仲間が増えて嬉しいよ。かわいい女子は大歓迎」

「……私、かわいくなんてないです」

「またまたぁ」

 謙遜するミーちゃんに、女子特有の芝居感はない。この手の褒め言葉、うんざりするほど聞き飽きてるってかんじかな。こんだけ可憐な容姿なら、無理もないか。

 すでにシオちゃんこと、佐藤潮は下校している。というか先に帰らせた。ミーちゃんには入部上の手続きが残ってるとか言って。

 だって、たまたまミーちゃんの家がどの辺かを訊ねたら、なんとシオちゃんのマンションと近いことが発覚したのだ。こんな儚げで弱々しい子を、入部初日から思春期真っ盛りの男子とふたりきりで下校させるわけにはいかない。

 もちろんシオちゃんが、なにか悪さをするとは思わないけど。アイツ、ムッツリスケベだしなあ! さりげなく下着の色を訊くとか、こっそりミーちゃんの匂いを嗅ぐとかしそうなイメージ。これからが心配だ。

「そうだ。シオちゃんの本業のこと、一応ほかでは内緒にしといてあげてね。まだ学校にも秘密らしいから」

 自分を棚上げして、そんなことを言ってみる。彼本人に聞かれたら、どの口がと顔を真っ赤にして怒られそう。

「は、はい。……でも驚きました。まさか佐藤くんがプロ作家だったなんて」

「ハハッ、そーだよね。……デビューしたのは、中二の暮れだったかな。まー、ちっちゃい頃から、ちまちま書いてはいたんだけど」

 キッカケは、小学校に上がる前。親戚のお姉さんからバカにされたとか言って泣きじゃくって。アタシとメイちゃんとで、あやしてあげて。あの日だ。あの日以来、アイツはどんどん小説バカになっていった。

 そういえばアタシ、あのとき万田センセーに――

「その、前の部員さんと揉めたっていうのも。佐藤くんがプロだったことが原因なんですか?」

 そうミーちゃんに訊ねられ、アタシは幼少期のささやかな復讐譚を思い返し損ねた。

「ううん、そっちは別。アタシ、ソイツらにはバラしてないし」

「じゃあ、一体」

 ミーちゃんが不審がるのも当たり前か。せっかく入った部に、先輩部員を辞めさせるようなイカつい問題児がいたら、誰だって警戒する。そのくせシオちゃんはタッパこそあるけど、線は細くて大人しい。一見、自分からトラブルを起こすタイプじゃない。

「まー根本的に合わなかったんだろーね。私以外の二、三年は、ほとんど本なんて読んでなかったし」

「……本を読まない人が、文芸部に?」

「んー。連中の大半は適当にダベるための場所がほしくて、部室にたむろってたかんじ? そりゃー読書や創作談義をしたい人からしたら、目障りだよね」

 ミーちゃんは首を傾げた。

「それだけで佐藤くん、先輩たちと衝突したんですか?」

「うーんとね」

 どうしよっかな。さっきはシオちゃんの手前、小説に対する意見の不一致でトラブルに、なんて言い方したけど。もう、この子もウチの正式な部員だ。事実を伝えておいた方がいいか。アイツのこと、イヤな誤解はされたくないし。

「シオちゃんってさ。普段は静かなのに、小説に関してだけはアホみたいに沸点低いんよね。キレどころも掴みづらいし。だからアタシ以外の部員とは、最初っから上手くいってなかった。……それでも入部してすぐは、割と大人しくしてたんだけど」

 アタシが言葉を区切ると、身を乗り出していたミーちゃんは大きく頷いた。興味津々の模様。

「三年のバカがひとり、部室でタバコ吸い出してさ。それまで、そんなこと一回もしてなかったのに。たぶん女子や後輩の前で、イバりたかったんだろーね。……そんで、わざとか知んないけど。テーブルの上の単行本に、灰を落としてさ」

 途端、ミーちゃんは目を怒らせた。

「それは……許せませんね。火刑に処すべきです」

「あー……うん、そうだね」

 急にこわい。ミーちゃん、たぶん本気で言ってる。

「で、ソレ見てシオちゃん、爆発しちゃって。ほかの部員も巻き込んでの大喧嘩よ。向かいくる男どもをちぎっては投げ、ちぎっては投げ」

「さ、佐藤くんが?」

 アタシは重々しい態度で頷いた。

「そう。アイツ、やるときはやる男だよ」

 後半ちょっぴり脚色したけど。

 実際は、あの子にしては善戦したかなってかんじ。終始劣勢の中、どこの高校にもいる屈強な男子茶道部員どもが止めにきてくれなかったら、たぶん本気でヤバかった。

 それでも、小さい頃はアタシやメイちゃんにいじめられてた、あのシオちゃんが喧嘩とは。男の子になったもんだ。まー灰を落とされたのが、万田センセーの本だったってのもあるんだろうけど。

 その後、アタシが裏でゴニョゴニョして先輩らを退部に追い込み、ほかの連中も散り散りになり、と。でもシオちゃんも把握してないことまで、ミーちゃんに伝える必要はないよね。

「佐藤くん、毎日学校に来てたと思うんですけど。……よく停学になりませんでしたね」

「まー、おおっぴらにはなってないから。シオちゃんはともかく、相手側は大事にしたら喫煙バレて、受験に大打撃だもんね」

 顧問の小八木先生ことコヤギちゃんには、簡単な事情を説明したけれど。それだって、軽く揉めたっつーくらいの報告しかしていない。

「アタシ個人としては、ベタベタ触ってくる連中もどさくさで出禁にできたし、御の字かな」

「は、はああ」

 案外、アイツはソレもあって、大人数とぶつかったのかも。アタシがしつこい男子をウザがってることに気づいて、わざと……ってのは自惚れだろうか。シオちゃん、アタシの王子さま気取りなのかな、なんてさ。いや、そりゃないか。アイツ、孤立している女子を隣の席で一ヶ月も放っといた、薄情なクズ男だし。中学のときなんて、アタシの胸ばっか見ながら告ってきた、ホントどうしようもねえエロ猿だったし。

 でも、もしそうだったら。アタシのためでもあったんだとしたら。ミーちゃんに対して、勝手な優越感を持っちゃいそう。我ながら、ちょっと性格悪いかな。

「暴力はよくないですけど。一応、正義はあったわけですね」

 アタシの当て推量や身勝手な想いなど露知らず、ミーちゃんは部内でのヤツの所業を受け入れてくれたようだった。

「そーそー。アタシも別に、本気で怒ってはいないんだけど。部員減ったことアイツが気にしてるの面白いから、当分はこのままにしとこうかなーってさ」

 いつかアタシがトラブってシオちゃんと立場が逆転したとき、やり返すカードになるし。あ、ミーちゃんを放置してたことも使えるな。脇の甘い男だぜ。

「私、佐藤くんにやさしくします」

 ミーちゃんはしみじみ、そんなことを言った。ウチのかわいい弟分を憐れに思ってくれたのだろう。

 アタシはホッとして、口元を緩めた。

「そうしてあげて?」

 よかった。やっぱり、いい子だ。最初、変に身構える必要なかったな。

「シオちゃんって問題はあるけど、悪いヤツじゃないからさ。共通の話題も持ってるんだし、きっと仲良くなれるよ」

 アタシがそう言うと、ミーちゃんは頷いた。緊張気味のぎこちない表情が、わずかに綻ぶ。まるで、つぼみが少しずつ花開いていくように。

 とてもアタシにはできない、眩しい笑顔。思わず嫉妬したくなるほどだ。

 ほんの少しの時間で、アタシはすっかりミーちゃんのファンになっていた。シオちゃんに言っとかなきゃね。この子を泣かせたら容赦しないって。


 それから少し経ち、衣替えを終えたばかりの六月頭。昼休み、アタシは部室に呼び出した幼馴染みへ、制裁を加えんとしていた。

 あらかじめローテーブルをどけておき、いまソファの前に標的を立たせている。

「あー、れー、だー、けー」

 アタシは夏服のスカートを翻し、テニスのフォアハンドよろしく、右腕を上半身ごと大きく引いた。

「気を遣え、やさしくしろ……って、釘刺しといたろーがっ」

 勢いよく繰り出したるはラリアット。比較的ポピュラーながら、奥の深いプロレス技だ。それも体重移動にコツのいる、助走なしのショートレンジかち上げ式。

 身長差のため、スリークォーター気味の軌道で振り抜いた腕。ソイツをバカの首めがけ、巻きつけるようにして叩き込む。

「ぐえっ」

 堪らず苦悶の声を上げたシオちゃんは、こちらの狙い通りにソファまで吹っ飛んだ。

「ちょっと、来海さんっ?」

 すぐ横に控えていたコヤギちゃんが、慌てて止めに入る。

「暴力はやめなさい、暴力は」

「……あー、はい。すみません」

 目上に窘められ、アタシは少し冷静になった。

「でもラリアット自体は、非常にいいセンいってました。先生、思わず見入っちゃいました。……プロレス同好会の設立、考えてみない?」

「……えと、うん。ソーデスネ」

 コヤギちゃんは目を輝かせている。文芸部より、そっちの顧問の方が向いてそうだ。ちなみに、いまの技自体、暇つぶしに彼女から教わったものだったりする。

「ごほっ」

 この場の誰にも心配されていない哀れな男子が、ソファの上で咳き込んだ。

「だから、誤解だって。僕なんもしてないよ」

「ウソつけっ。負い目があるから、大人しくラリアット食らったんでしょーが」

「ぐう」

 その上、インパクトの瞬間までアタシの胸をガン見してやがった。性欲過多の思春期男子おそるべし。やっぱり全力で打つべきだったか。

 この騒ぎの発端は、ほかでもないミーちゃんが学校を欠席したことにあった。入学以来、初めての事態なのだとか。その話をコヤギちゃんに聞いたアタシは、すぐさま心当たりを呼び出したってわけ。

「昨日、帰り際。小説の批評をまとめて、鳥川さんに渡した」

 観念した幼馴染みは、ポツリとこぼした。

「ほれ見ろー、やっぱりアンタじゃん。……ってか、そもそも、その現場にアタシもいたからね?」

「いや、でも。別に、そこまで酷いこと書いてないんだけどな」

「……あのねー、シオちゃん」

 アタシはソファにドカッと腰かけ、彼の肩へ腕を回した。

「あんなオドオドした子がさ、大イバりで自己アピールしてたんでしょ? 小説書いてるよーって」

「あ、ああ」

「つまりさー。小説はあの子にとって、自信の拠り所なんだよ。だからこそ、そこに触れるときは細心の注意と敬意を払ってあげなくっちゃ。でしょ? わかるよね? 身近に似たようなタイプがいるもんね?」

 めんどくさい小説バカ兼ラノベバカが、ほらアタシの目の前に。

「うん」

 シオちゃんは不承不承といったかんじで頷いた。

「じゃー、ソレを踏まえて訊くけど。批評? 感想? そういうの、なんて書いて渡したの?」

「ええと。『書くのやめた方がいい』……ッテ! ぐええ!」

 回した腕に力を込めて。もう片方の腕も添え。愛と怒りのチョークスリーパー。アタシはバカの頸動脈をぎゅうぎゅう絞め上げた。シオちゃんは惨めに、そして必死になってタップを繰り返す。さすがの思春期男子でも、密着した胸の感触を楽しむ余裕はないらしい。

「来海さん!? 初心者の絞め技は危険です! 来海さん!?」

 だから、貴女から教わったんだってば。

 とはいえ年長者に止められては仕方ない。アタシは力を抜き、ほぼ無抵抗の弱者を解放した。

「ちがうんだって。悪い意味で書いたんじゃなくて」

 肩で息をするシオちゃんは、首を擦りながら言い訳を繰り返す。信用ならん。だってコイツは、あの女に師事していた影響か、小説に関して容赦と分別がないから。

 コヤギちゃんが、おずおず口を挟む。

「一応ね。鳥川さんのお母さんから、体調不良だって連絡はもらってあるの。……でも」

「でも?」

「たぶん、あの声。鳥川さん本人だったんじゃないかな」

 アタシは「あちゃーっ」と呻いた。よくないね、それはよくない。

「私、後でお見舞いに伺おうと思うのだけど」

「いやいや、コヤギちゃん」

 アタシは迂闊な提案に待ったをかけ、

「一日休んだくらいで担任が押しかけたら、本人も家族もビビっちゃうよ」

「あっ」

 そして隣で横たわるグロッキーな弟分を親指で指した。

「コイツ連れて、アタシが様子見てくるから。まー任しといて」

 こうして今日の文芸部の活動は、鳥川家訪問に決まったのであった。


 放課後。コヤギちゃんから詳しい住所を教えてもらい、アタシたちはミーちゃんの自宅へ向かった。昼休みのうち、その旨を彼女のLINEアカウントへ伝えておいたのだが、まだ既読はついていない。

 隣り合って歩道を行く中、

「ちゃんと謝んだよ?」

 アタシがそう念押しすると、車道側を歩いている男子は口を尖らせた。

「だから誤解だって。ヒー姉って、頭固いよな」

「誰がどの口で言ってんの。お望みとあらば、そのカタい頭で今度はヘッドバットをかましてやろっか?」

 シオちゃんはぶるりと身震いした。そして再び首を擦る。頸部への集中攻撃によるダメージが、まだ残っているらしい。

「鳥川さんの小説」

 シオちゃんはポツリと言った。

「ヒー姉は、まだ読んでないんだよね」

 まわりに人がいないため、さっきから気兼ねなく〈ヒー姉〉呼びだ。ちょっと気をよくしたアタシは、急な話題転換に乗ってやることにした。

「うん、興味はあったけどねー。アタシが読んでいいもんかビミョーだったし、遠慮しちゃった」

「そっか」

 それきり彼は押し黙る。安定の自己完結。そこで会話を切られると、なにが言いたかったのか、こっちに全然伝わらない。作家のくせして。いや、作家だからなのか。相変わらず、人と話すのは下手くそだな。

「オイッ」

「いてっ。……なんだよ」

 アタシが肩をぶつけると、シオちゃんは顔を顰めた。

「どーだったんよ。佐藤椰子先生の目から見た、あの子の小説は」

「あ、ああ」

 アタシは心の中で構えた。コイツのことだ。どんな罵詈雑言が飛び出すか、わかったもんじゃない。内容次第では、ミーちゃんのため、もっぺんシメる。ただ下はアスファルトだし、投げ技だけは勘弁してやろう。

「一言で表すと」

 シオちゃんは感情の読み取れない顔で、ボソッと言った。

「むかしの僕の、上位互換」


「ここじゃないかな」

 住宅街をしばらく歩いた先、シオちゃんが鳥川家の表札を探し当てた。

「おー、ナイス。それっぽい」

 門柱に刻まれた名字の下には、家族四人の名前も入っている。上から千兵衛、翔子、柚子、魚美。よし、間違いなさそうだ。

 門の前でインターホンを押す直前、ふと思い出す。

「そういや、いまシオちゃんが住んでる部屋も、この辺りだよね?」

 正確な場所はうろ覚え。四年前の夏、軟禁されているシオちゃんを救出しにいって以来、アタシはあの女のマンションに近寄ったことはない。

「うん。でも別に出歩かないし。まだ、この辺よくわからん」

「ふーん」

 じゃあアタシに黙って、ミーちゃんとふたりで会ったりとかも、してないわけだ。

 そっかそっか、へー。

「さて、ポチッとな」

「……はーい」

 インターホンを押すと、少ししてから女性の声が返ってきた。これだけではご家族か、ミーちゃんの声かは判別がつかない。

 機器越しなので、アタシは丁寧かつ、気持ちゆっくりめに用件を伝えることにした。

「ごめんくださぁい。私たちぃ、高校の文芸部の者ですぅ。魚美さんのぉお見舞いにぃ、伺いましたぁ」

「ふざけてんの? ……いたっ」

 横からの野次に、アタシは平手打ちで応じた。

「あらー、それはどうもぉ」

 この落ち着いた雰囲気、ミーちゃんではないっぽいな。きっと親御さんか、お姉さんってところだろう。

「いま開けますので、お待ちくだ……ユズッ?」

 通話先の女性は、急に慌てた声を出した。ブツッと音声が途切れる。

 アタシたちが不審がっている間に、玄関のドアが開いた。

 出てきたのは、勝ち気な面差しの女の子だ。ハーフツインの髪に、整った容姿。ギリギリまで攻めたミニスカート。ミーちゃんに引けを取らないほどの美少女だけれど、あの子とは真逆の、活発そうな第一印象。この辺の中学の制服を着ているから、たぶん妹ちゃん。表札に名前のあった、〈柚子〉ちゃんかな。

 あれっ? でも、表札の並びが――

 と、考え事をする余裕はなかった。ふいに現れた美少女は、随分と殺気立った目つきで、こっちを見ている。なぜ客を出迎えるのに、竹刀を握りしめる必要が?

「こんにちはぁ。アタシたち、鳥川さんと一緒の、文芸部なんですけどぉ」

 アタシが陽気かつ慇懃に挨拶すると、彼女は「文芸部。ギャル……ガングロ」などと、ぼそぼそ呟いた。失敬な、コレは地黒だ。

「あっ、お姉ちゃんが言ってた人っ」

 それまでと一転し、ユズちゃんはパッと顔を輝かせた。

「部長の来海さんですよね。私、柚子っていいます」

 そうして素早く駆け寄り、門を開けてくれた。

「さあ、どうぞ。お姉ちゃん、自分の部屋にいますから」

 そう言って、軽やかなステップで玄関へ戻っていく。

「う、うん。ありがとー」

 いきなり睨まれたもんだから、何事かと思ったけれど。単に人見知り? それにしちゃあ切り替え早いな。

 ユズちゃんにつづいて、アタシも玄関の中へ入る。その後シオちゃんが敷居を跨ぐ寸前、

「部屋は二階ですから。私、ご案内しますね」

 なんて言いながら、なんと彼女はシオちゃんを外へ向かって突き飛ばし、勢いよくドアを閉めた。

「さあ、どうぞどうぞ。上がってください」

「……えと」

 あまりのことに、言葉が出てこない。こりゃアレか。ミーちゃんの小説にシオちゃんが斧鉞を加えた件、家族にも伝わってんのかな。

「ちょっと、どういうこと?」

 ドア越しに彼の困惑した声が聴こえる。

 アタシが手をこまねいているうち、ユズちゃんはドアを少しだけ開き、

「サーセン。ウチ、男子禁制なんで」

 冷えきった低い声で、外へ向かってそう告げた。

 男子禁制。おっかしーなあ。下駄箱に、男物っぽい革靴が並んでるんだけど。

「ユーズッ、なにしてんの」

 廊下の奥から、エプロン姿の女性が小走りで現れた。

「げっ、お母さん」

「いますぐ開けなさい。せっかく訪ねてくださったのに、失礼でしょ」

「ちがうよ、アイツはっ」

「コラッ」

 鳥川姉妹の母親はユズちゃんを一喝し、こちらへ顔を向けた。

「ごめんなさいねえ。この子、ひどいお姉ちゃんっ子で」

「あ、ああ。わかります。ありますよね、そういうの」

 アタシが話を合わせて相槌を打ってる間に、ユズちゃんは渋々といった様子でドアを開いた。

「魚美に近づく相手は、まず敵だと思い込んでるんです。しっかり言い聞かせれば平気ですから」

 ようやく家の中へ入ってきたシオちゃんが、不機嫌な顔でぼやく。

「出来の悪い番犬みたい」

 口を慎め、バカ男子っ。


 ミーちゃんのお母さんによれば、娘の欠席理由は軽い体調不良らしいとのことだった。「もう元気そうですよー」っと案内されて階段を上がり、アタシたちはミーちゃんの部屋の前まで来た。ユズちゃんだけは、お母さんの指示で一階リビングにステイ。本人は不満げだったけれど、やむを得ない処置だと思う。

「魚美ー、入るよー」

 お母さんはドアをノックして即、ノブを回した。いやノックの意味。ウチとか友達ん家もそうだけど、世のお母さんって、みんなこうなの? わざとやってんの? デリカシーなさすぎない?

 あっ。しかも男子がいるのにドア全開。もし着替えとかしてたら、どーすんの。

 つられてシオちゃんが、「ふーん、見ていいんだー」とでも言うように悪びれず中を覗こうとするものだから、アタシはその襟首を掴んで引っ張った。ひと睨みしてやると、ヤツはパッと視線を逸らして首をすぼめる。いや、そんなんで誤魔化せるはずないだろ出歯亀野郎。

 アタシの裸なら、シオちゃんに見せても平気だけど。ミーちゃんのを見られるのは、なんかヤダ。なんでだろ。たぶん、アタシにとってシオちゃんは異性でなく弟で、アタシはミーちゃんのファンだからだ。

「魚美ー? お友達が来てくれてるよー」

 部屋の明かりは点いているのに、応答はない。不審に思ったアタシは、チラッと見るだけのつもりで、お母さんの肩越しに中を覗いた。そして呆然。

 斜めうしろに控えていた思春期男子も、欲求に耐えられなくなったのか。あるいは、こっちの沈黙を免罪符と取り違えたか。しれっとアタシにつづき、そして愕然。

 まず目が行くのは、床に積み上がった本の山。とても棚には収まりきらなそうな、部室のソレにも負けない冊数の書籍が、そこら中に散乱していた。

 学習机やかわいらしいテーブル、タンス、ベッドもあるけれど、本のインパクトが強すぎる。年頃の女子の部屋としてアウト。よくお母さん、ここに客を通せたな。

 そして、肝心のミーちゃん。無慈悲な部活仲間から小説を酷評され、さぞ心を痛めていると思われた、作家志望の女の子。なんと彼女はベッドでうつ伏せになり、スナック菓子をぼぉりぼぉり食べながら、だらだら読書に耽っていた。

 顔はこっち向きなので、ニターッと緩みきった表情がよく見える。お母さんの声が届かないほど、手元の文庫本に見入っているようだ。どうやら傷心中ではなさそう。その点に関してのみ、アタシはホッとした。

 しかしながら、服装がいただけない。ミーちゃんはいつも学校で見る丈の長いパーカーを羽織っていて、その下は白いキャミソールだけ。控えめな体形とはいえ、その恰好と姿勢では、胸とキャミの間によろしくないスペースが開いてしまう。いくら自室でも、無防備すぎる。

 おそらくクマ隠しであろう、例の黒ぶち眼鏡を外していることだけが、唯一のプラスポイント。

 おっと、しまった。アタシとしたことが美少女のあられもない姿に気を取られ、シオちゃんの視界を遮り損ねていた。思春期男子は、さぞ鼻の下を伸ばしていることだろう。

 そう思って視線を送ると、彼は意外にも顔を顰めていた。どうやらシオちゃん、真剣にミーちゃんを心配していたらしい。一応、責任を感じてはいたのかも。

 一方のお母さんは、読書に没頭する娘の様子を見慣れているようで、とうとう部屋の中まで入り、「魚美ーっ? お友達だよ!」っと再三の声をかけた。それでも反応しないのだから、ミーちゃん、読書にかける集中力がハンパない。異常と言っていいかもしれない。わざと無視しているのでは、と疑いたくなるくらいだ。

「んっふふふ。ひひ」

「……おぅ」

 ミーちゃんの含み笑いが部屋中に響いた。ああ、コレはわざとじゃねーわ。わざとだったら痛すぎるわ。アタシの隣でシオちゃんの眉間の皺が、より深くなっていく。

「お母さん」

 彼はそう言うと、ひどく真面目な顔で、

「娘さんに友達はいません」

「ええっ?」

「コラコラコラッ」

 小説に関して以外は割と寛容なシオちゃんだけど、今日は限界だったらしい。まー気持ちはわからんでもないが、親御さんに対してはやめて差し上げよう?

「ん」

 目と鼻の先の空騒ぎに、とうとうミーちゃんが顔を上げた。

「あ……お母さん、なにか用……って、えっ? さ、さとっ……きゃああああ!」

 彼女は部屋の前にいるアタシらに気づいた。顔を真っ赤にし、前を隠そうと、慌てて上着の襟を掴む。からだを起こして、足をバタバタさせながら。すると当然、白いふとももがむき出しに。だけど本人、そこまで気が回ってないみたい。おかんむりのシオちゃんも、この瞬間ときばかりは、その様子を注視していた。

 アタシがうしろに回り、両手で童貞バカの目を塞ぐのと同時に、

「おねえちゃああああ!」

 姉の悲鳴を聞きつけたユズちゃんが、竹刀片手に階段を駆け上がってきた。そして、目隠し状態のシオちゃんになぜか狙いを定め、得物を振り上げる。アタシが庇う間もなく、閃光のような一撃が彼の横っ腹に刺さった。

「ぐおおおお!」

「シオ!?」

「コラッ、柚子!」

「だってコイツが」

「きゃああああ」

 阿鼻叫喚の状況下、アタシは心の中で「やっぱコヤギちゃんに任せとけばよかったなー」っとぼやき、少なからず後悔した。


 お母さんがユズちゃんの首根っこを掴んで退散した後、

「アタシが言うのも、なんだけどさ。シオちゃん今日は厄日だね」

「……大方、人災なんだよ」

 などと言い合い、アタシたちは用意してもらった座布団に座った。

 アタシは弟同然の男の子が隣でげんなりしているのを見て、ちょっと反省。彼が参ってるの、半分くらいはアタシのせいだもんね。部室での折檻は我ながらやり過ぎだったかも。いまどきラノベでだって、暴力系ヒロインは流行らないのに。

 また少ししたら、胸でも見せて元気づけてやるかと、ぼんやり思った。

「お、お、おっ。おふたりとも、どうしたんですか」

 部屋のヌシである美少女は、ベッドの上で布団にもぐり、頭だけを出している。

「どーしたって……ミーちゃんが心配で、お見舞いに来たんだよ」

「あ。す、すみません。ちょっと夜更かししたら、疲れちゃって。大事を取って休んでました。へへ」

「あー、なんだ。そういう」

 気恥ずかしげなミーちゃんからは、意外にもズル休みをしたという後ろめたさは感じられなかった。

 黒ぶち眼鏡なしの分、長い前髪越しでもクマが目立つ。この子、普段メイクはどうしてるんだろ。お母さんは小綺麗にしてらしたけど、化粧の仕方って案外、身内には訊きづらかったりするもんな。余ってるコンシーラーを譲ったら、使ってくれるだろうか。

 さっきユズちゃんが、どうしてだか、どさくさ紛れに机の上の眼鏡をへし折っていったこともあるし。今度、アタシ流メイク術をさらっと奨めてみよう。

「妹のことも、すみません」

 ミーちゃんは、アタシの横でシオちゃんが脇腹を擦っているのを見て、ポツリと言った。

「あの子、佐藤くんが佐藤椰子先生の知り合いであることにかこつけて、私を手篭めにしようと目論んでる……なんて、思い込んでるみたいで」

「ソレは誤解といてあげて?」

 さすがに気の毒だわ。

 シオちゃんはブスッとした顔つきで、

「いや。あんな狂犬のことは、どうでもいいんだけどさ」

 人の身内を狂犬呼ばわり。コレは相当ムカついてんな。

「部長が心配してたのは、僕が批評を渡した翌日に休んだってことなんだよね」

 自分も心配してたとは言わない、謎の意地。この子こんなんだから、スズちゃん以外にモテんのよ。

「あっ……批評。はい、おかげさまで。アレを参考に、朝まで改稿してました」

 夜更かしの理由が判明した。

「ホントに? 酷いこと書かれて、傷ついちゃったんじゃないの?」

 シオちゃんが、さも心外とばかりに顔を顰める。

「だから、そんなことしてないって。僕なりの誠意あるコメントを送ったよ。ねえ、鳥川さん」

「……はは」

 その、口角を無理やり引き上げたような愛想笑いに、アタシは不安を掻き立てられた。

「ちょっと、ソレ見してもらっていい?」

「え、ええ」

 アタシはまだ、ミーちゃんの作品自体は未読。訪問前に聞いた「上位互換」発言もあって、ますます気になってる。でも姉貴分のアタシとしては、シオちゃんがなんて感想を書いたかの方が気がかりだった。

 ミーちゃんは、ようやっと布団を抜け出てベッドから降りた。出歯亀男子を警戒してか、パーカーのファスナーは全閉じ。でもズボンもスカートも穿いていないから、生足が妙にエッチい。この子、色々隙が多いな。でも下手に指摘して、また悲鳴を上げられたら面倒だし。うーん、悩ましい。

 ミーちゃんは机の引き出しを開け、皺の寄った数枚の紙を取り出した。

 そうしてアタシは彼女から受け取った、佐藤椰子先生による批評を一目する。


『第一に、商業小説は読者のためにある。そして彼らが小説を手に取る理由は多くの場合、“魅力的な物語に触れたい”だ。活字媒体でしか得られない、緻密な情報量と濃厚な心理描写。そこから掻き立てられる想像力。読者はそれらを感じたいのだ。

しかしながら貴方の書いたものからは、人を楽しませたいという意思がまるで伝わってこない。ただ作者自身の欲求を満たしたいがだけのもの。自慰を見せつけて悦に浸るような露悪的文章。これには心底、辟易する。

まず、自己陶酔と自己満足で形作った文字の集合体を小説と呼ぶのはやめていただきたい。

読者は貴方個人には興味がない。読者が貴方のマスターベーションに心打たれることは、決してないのだ。

もし、このままのスタンスで商業作家を志すというなら、悪いことは言わない。やめた方がいい。

さて、肝心の作品内容についてだが――』


 うん。

 前置きだけでイラッとする。なんて鼻につく語調。しれっと盛り込んだセクハラ発言もサイテーだ。きっとこの後、この調子で、慈悲の欠片もない、容赦なき誹謗中傷がつづくのだろう。

 佐藤椰子がプロ作家であることを承知の上で、あえて言おう。

「なにさまだ、お前は」

「ぶごっ」

 アタシは迷わず、隣の男子の喉元へ手刀を叩き込んだ。

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