憧憬

和藤内琥珀

第1話

起きると、視界一面が青だった。上も下も右も左も青。そして大海のように何も無い。建物も動物も植物も、何も無い。私だけが在るようだ。

周囲を手当たり次第に散策してみたけれど、矢張り何も無い。自分が進んでいるのか進んでいないのか分からないほど何も無い。皆無だ。

そもそも私はどうしてこんなところにいるのだろうか。どうやって来たんだろうか。何の目的があって来たんだろうか。ここに来るまでの記憶が一切ない。確か私は学校から帰ってきてソファに寝転がってテレビをつけてスナック菓子を頬張りくつろいでいたはず。

「あ、やっと起きたんだね」

突然声が聞こえた。と同時に、先程まで何もなかったところに炬燵と少女が現れた。彼女は「こっちへおいで」と言わんばかりに手招きをした。炬燵の誘惑に負けて炬燵に足を入れると、どこにもコンセントが見当たらないのにあたたかかった。

彼女は私が炬燵に入ったのを確かめてから、どこからともなく取り出したみかんの皮をむき始めた。

「どうしてみかんなの?」

「それは君が“炬燵にみかん”と思っているからだよ」

「じゃあ私は“炬燵には少女”と思っているの?」

「それは違うんだよね。僕はこのみかん達とは違うから」

白い筋まで丁寧に取ったみかんを口へと放り込んだ。

「僕っ娘なんだね」

「ダメだった?」

「ううん。そういうの好きだなって」

「……まあ、君の頭の中だもんね」

「私の頭の中?こんな真っ青で何も無いところが?」

「ごちゃごちゃしてなくていい頭だよ」

「中になんにも詰まってないってこと?」

「そんなこともないよ。…君、星が好きだろう?」

「え、何で知ってるの?」

「ここが海王星を模しているから」

「…海王星ってメタンばっかりだから息できないんじゃあ…?」

「夢の中だからそんなこと関係ないよ」

「やっぱり夢って都合いいのね」

「そうでもないよ」

彼女は空を見上げ、左手の人差し指をくいと動かした。

すると、青かった空に切れ目が入り、黒い夜空と輝く星星が姿を現した。

「きれい…」

「君が起きると、ここは現実とほぼ同じになってしまう。君が学校にいるときここは学校だし、君が家にいるときは家になる。で、今あっちに見えているのが現実側」

「へぇ…。じゃあ私が友達と話していたらここに友達が出るの?」

「いいや。君が背景と思っているもの、付属品と思っているものは再現されるけど、話してる相手だとか、読んでいるものだとかは再現されない。だから、僕は君がどんな風景を見ているかは知っているけど、君が誰とどんな関係を持っているかなんて言うことは知らない。…あ、君もみかん食べる?」

「その話で食べる気になると思う?」

「思わないけど、一応」

「食べません。…ねぇ、あなたってここで一人でいるの?」

「僕以外いるように見える?」

「見えないけど、隠れてるのかなって」

「隠れて何の得になると思う?」

「人見知りかも」

「残念ながら、ここには僕しかいないよ」

「寂しくないの?」

「…君、僕が普通の人間に見える?」

「“普通”かどうかはわからないけれど、人間に見えるよ」

「君、宇宙人でも人型だったら人間って言うタイプだな?」

「人間でもよくない?人型なら」

「じゃあ人形は人間なのか?…違うだろう?」

「人形でも魂があるなら人間じゃない?」

「……」

『そういやこういう奴だった…』とでも言いたそうな呆れ顔で、みかんの皮を芥箱へ投げ捨てた。

「そういえばまだ訊いてなかったけど、あなたって何者なの?」

「普通それを最初に訊く気がするけど…。…僕は、君が選んだ夢の創造者…家で例えると君が設計者で僕が大工といった感じかな」

「“創造者”って…何かかっこいいね!」

「そこ大事か?」

「大事だよ!なんか特別感あるじゃん!」

「は、はあ…」

「…ところで、こんな世界に君と私と2人だけなら、前も会ったことあるんじゃない?」

「それは…」

彼女は口をきゅっと結び、眉間にしわを寄せた。その表情は、怒っているようでもあり、悔しがってるようでもあり、泣きそうでもある…実に多くを含んだものだった。

「僕は、いつもは暇ではないんだ。だから…君に会うことはないよ」

「忙しいのか…。じゃあ仕方ないね」

「…うん」

「ねぇ、また会えるよね」

「……そうだね。じゃあ、また」

彼女が言い終えた途端、ぱっと上空が明るくなり、足元に大きな穴があいた。

「えっ、ちょっ、うわ!?」

支えがなくなった人の体は下へ下へ落ちていくしか無い。…でも。

「夢なんだから羽根くらい生えてもよくない〜!?」

声だけが響き渡り、一体どこまで落ちていくのだろう、と考えていたら、


ピピピピ!ピピピピ!ピピピピ!ピピピピ!

というけたたましい目覚まし時計の音が聞こえ、目の前にはいつもの光景が広がった。



彼女は今日も大声を出して落ちていった。きっと明日もそうなんだろう。


──また会えるよね。

会えないよ。会えたとしても、君は僕を忘れている。だって、僕も所詮夢でしかないから。君の、空想の1つに過ぎない。幻想に過ぎない。


──寂しくないの?

寂しいよ。僕は君にしか会えないし、君は僕を忘れる。僕がどれだけ君を好きになったって。


……願わくば。

「僕のこと、忘れないでよね」

朝の空というのは、僕には眩しすぎた。

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憧憬 和藤内琥珀 @watounai-kohaku123

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