真綿の星

雨森透

前夜

「そんな、施しを受けるべき人間じゃないのよ」


 春の匂いも褪せてきた夜風が、書斎へと吹き込む。日中の陽気は失せて、身を絞めるような肌寒さだった。肌着同然のような薄い部屋着を纏った彼女は、開け放たれた方に網戸をずらして、それから少し頭をこちらに向けた。


「あなたが何を考えているのか、私には分からない」


 拒絶にしては、声音が優しかった。人肌の温もりがあったから、まだ大丈夫そうだと元より確信していたとはいえ安堵する。傍目には綱渡りに見えるだろうが、こう見えて石橋なのである。

 歳をとって、口調が厳しくなっても、彼女の心の形は不変であった。

 薄茶色の髪が、忙しなくはためいている。いささか風の強い夜だった。風呂上がりでまだ乾かしていないのか、湿って重たそうな様子だ。時折、シャンプーだかトリートメントだかの匂いと混ざり合った水分が、僕の表皮に触れて馴染む。


「風邪を引くよ」

「……分かってる」


 いいからもう見ないでと彼女がレースカーテンを勢いよく引っ張って、二人の間に申し訳程度の仕切りが出来る。真っ白で薄いそれではさして意味を成さず、寒さも凌げないだろうに、彼女はそればかりが己の防護壁なのだと言わんばかりに身を包んでいた。あまりきつく巻くものだから、半透明の白に、キャミソールの肩紐が薄らと見える。


「いや、何も、大したことじゃないんだよ。ちょっとしたドライブだ。遠出ではあるから、帰りは少し遅くなるけれど」


 埒が明かないので距離を詰める。

 家中のレースカーテンにはトルコ刺繍が施されており、こうして彼女の後姿を見ていると花嫁のヴェールのようだ。それにしては随分と華々しさが欠けるが、悪戯心のままに、その神秘を捲らんと手を伸ばした。


「私も行く」


 彼女は首をもたげ、横に隣り立った僕を見上げた。

 彼女が拳を緩めたから、はらりと緩んだレースカーテンが今度は二人を覆った。煌々と照らされた一室の、その隅の暗がりで見つめ合っている。電気代の浪費だ、いっそ最初から消しておくべきだったと、逃避的なものがよぎった。

 真正面からは容赦なく冷風が吹きつけてきて、目が細まりがちになる。


行く。だから、あなたは勝手にして」


 雨の最中の路肩に生じた水溜りのような、濁った様子の瞳。そこに日が射すように鈍い光が灯っている。呆気に取られて、咄嗟に言い返すこともできなかった。

 そう言ったきり、彼女は部屋から立ち去る。しばらくしてドライヤーの音が聞こえるようになった。


 二つ、選択肢があった。どちらが彼女のためか、未だに判断がつかずにいたが、ここにきて強制的に一択となった。主語を掌握されてしまっては、もう制止も効かないだろう。少女が独りで行ったとて、己だけでは何もできないというのに。彼女はかなりの頑固だった。


 それでいい。星と心中なんて、本望だ。

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