第18話 微熱による休息 後編

 白い漆喰しっくいの壁、赤い三角屋根に四角い窓が特徴的な家。タケル君の家の情報は先生から教えてもらったから、おそらくここで合っているはず……だ。


「許可は一応もらってるんだし、問題ない……よね?」

 

 建物を見上げ、タケル君の担任教師から教えてもらった。

 ひまりは風邪で休んだタケルの元へ、お見舞いに来た。

 何かラインの返信が微妙におかしかったのは、きっとそれほど体調が悪くなっているのだろうと言う推測はしている。タケル君がバイトをしているから、きっと予測変換的にそっちを間違って押したとか、そんな感じには見受けられた。

 一度、インターホンを鳴らす。


「留守、なのかな……もしかして、家の人、タケル君以外誰もいないのかな」


 不安に駆られるひまりはそれでも、とタケルの様子を見るまでは帰らない所存だ。


「……タケル君の家ってここで本当に合ってるはずだよね」


 うん、そう。タケル君も来てほしい、って返信が来たわけだし!!

 勇気を出すためひまりは力強く両手を拳にしてガッツポーズする。


「よし、行こう!!」


 決断したひまりの行動ははやい。

 もう一度インターホンを押して、ひまりは数分待機する。


『はーい』

「あ、塚内君のお宅でしょうか? 友達、の生方ひまりです! お見舞いに来ました!」

『おー、ちょっと待ってなー』


 かすれた年寄りそうな男性の声がした。

 きっと、タケル君のお爺さんなのかな。あんまりタケル君って自分の話をしないから、家族構成とかも知らないし、趣味とか、色々、全然知らない。

 ……それって、普通友達って言うのかな? で、でもタケル君とは学校では一緒にお昼ご飯食べるし、多少は仲がいい……判定にはなるはず、だよね。

 うん、そう思おう! でないと私のメンタル持たないし!!


「おー、いらっしゃい」


 扉を開けて出てきたのは白髪頭しらがあたまのお爺さんだった。

 どことなく顔の風貌ふうぼうがタケル君に似ている気がする……家族、だからかな。


「ん? どうした?」

「あ、いえ、その……こんにちは! タケル君のお爺さんっ」

「……おぉ、君タケルのこと名前で呼んでるのかぁ」

「? ……そう、ですけど」

「いや、こっちの話だから気にしなくていいよぉ、ほら、お入り」

「? ……あ、ありがとうございます」


 玄関を入れば、全体的に木材を意識した作りになっている。

 外の外観は洋風だったが、意外と中は和風の雰囲気がある。

 リビングまで案内されて、お爺さんは座っていいぞぉと言われて椅子に座ることにした。台所でお爺さんはお茶菓子を用意してくれているのか、台所越しにこっちに声をかけて来る。


「タケルに友達いんのは知らんかったなぁ。しかも女の子とは思いもしなかったわ」

「えっと……ダメ、だったでしょうか?」

「いんやー? ウチの孫は人の見る目はある男だから大丈夫だとは思っとるぞぉ」

「あ、あはは……そうですかね」

「麦茶でよかったかい?」

「はい、ありがとうございます」


 どうぞぉ、とお爺さんはグラスをテーブルに置いてくれる。

 カランと氷が鳴るのと同時に、私はグラスの中に入った麦茶を一口飲む。


「……タケル君って、やっぱり友達いないんですか?」

「喧嘩仲間もあんま連るまんかったみたいだが、気持ちのいい奴がいるって話程度なら聞いたことがあるなぁ。でも、まさか最初にウチに来るのが異性の友達とは、流石に予想してはなかったわい」

「……え、っと……なんか、すみません」

「謝ることじゃないわい、ほれ。和菓子は好きかな?」


 テーブルに置かれたお菓子は、きんつばだ。

 どっかの青い狸と呼称されるアニメキャラみたいなどらやきとか出るのかなーとか、勝手な憶測していたのはこっちだけど素直に私はお爺さんが出してくれたお菓子を食べることにした。

 ……あまり食べたことがなかったけど、意外と美味しい。


「おいひぃ」

「はっはっは、美味そうに食うのぉ」

「あっ、すみませんっ……わ、私友達のお見舞いに来たの初めてなので、何を持ってくればいいかわからなくて、のど飴とか、シップとか、色々買ってきちゃいました。これ、使ってもらえればっ」

「……それは、本人に直接渡してもらえるかい? その方が喜ぶと思うんじゃわ」

「そ、そうですか? で、でも」

「気にせんでいい、友達の顔見たらタケルも嬉しくてすぐ風邪も治るじゃろ……行ってきてもらってもいいかい?」

「いいんですか?」

「あぁ、もちろん。タケルの部屋は二階じゃ。二階に入って、奥の方じゃよぉ」

「わ、わかりました! あ、和菓子ごちそうさまでした! 美味しかったです!」


 ひまりは慌てて二階に上がっていく。


「……タケルは随分と、いい子と友達になれたみたいじゃな。ひ孫を期待してもいいかのぉ」


 顎に手を当てて重蔵は軽い冗談を口にした。



 ◇ ◆ ◇



 その日、いつもと違う夢を見た。

 まるで、昔の断片をなぞる夢だった。


「……お母さん、お母さん。なんで二人は離婚したの?」


 小さいタケルは大きな黒い化け物と化した物を母と呼んだ。


『当り前じゃない、アンタが嫌いだからよ』

「……じゃあ、僕がいなければ母さんたちはずっと一緒だったの?」

『そうよ、アンタさえ産まれてこなければもっと楽できたのに』

「……そう、なんだ」


 服のすそつかんでうつむくタケルは、不器用に泣き笑う。


「じゃあ、産まれてこなければお母さんは幸せだったよね? ごめんね、本当に、本当にごめんねっ。ちゃんと、ちゃんと苦しんで、苦しんで死ぬから……だからっ、お母さんは天国で幸せで、来世を過ごしてね。こんな俺のことなんて、忘れてさっ」

『あぁ、うるさいうるさい! お前の言葉なんて聞きたくないの!! あの人がそもそも他の女なんかに寄っていくから!! 全部、アンタのせい!!』

「……うん、それも全部僕が、悪いよね。僕がいなかったら、お母さんはずっとお父さんと一緒だったもん」


 全部、本音だ。本心なんだ。

 母さんが幸せを考えたら、子供なんていなければなんて思う自分のどこがおかしいなんて言えるんだろう。他人がどれだけ否定しようが、答えは変わらないし結果も変わらない。俺が不良になってくさったのが事実なんだから。

 その時の俺を助けてくれなかった他人の後出しの優しさの言葉なんか、なんでもかんでも響くような奴なら、こんな生き方なんてしてねぇ。

 誰かに暴力を振るうことだって、大嫌いだった。

 大嫌いだったのに。

 怒りが先に勝って、苛立ちを抑えきれないんだ。

 母さんならきっとこんなこと言わなかったかもなんてこともわからない。自殺した母さんの言葉に、それ以上なんて引き出せるはずもない。

 助けて、って悲鳴をどれだけみ殺して笑ったのかなんて、誰も知らないんだ。

 俺以外の誰も、知らないんだ。


『……タケル君、大丈夫?』

「……だ、れ?」


 聞き覚えがある。二度目、な気がする。

 この声は優しくて、涙が出るくらいに温かくて。

 幼いタケルは背後にある黒い影の方へ走っていく。


『こら!! タケルぅ!! どこに行くの!?』


 母さんが大声で怒鳴る。

 俺の腕を掴もうとして、必至に呼び留めようとする。


「……や、やっぱり、戻らないと」

『タケル君、大丈夫。大丈夫だよ』


 光に包まれた腕が俺の腕を引っ張る。

 俺はなぜか拒否できなくて、なぜか嫌じゃなくて。

 温かい手の向かう先へ俺は歩いていく。


『タケルぅうううううううううううううううううううう!!』


 黒い化け物は母さんじゃないと一瞬でも思えたら。

 世界は一気に白くなる。真っ白な空間。

 そこに光り輝く何かは俺の頭を撫でる。


『大丈夫、大丈夫だからね』

「……うん」


 震える声でタケルは一度、まぶたを閉じた。



 ◇ ◆ ◇



「……? 俺、」

「すぅー……すぅー」


 タケルは目が覚めると横で俺の左手を掴みながら眠っている生方がいた。

 なんでコイツがここにいるのかとか色々と言いたくもなったが、ツッコミは後回しにするべきだろう。


「ここに、いるってことは爺さん……通したんだな」


 爺さんには生方のことは話してない。


「……爺さんもすぐ帰らせりゃいいのに。生方まで風邪引いたらどうすんだ」


 ……つうか、寝てる人間を下手に起こすのは気が引けるもんだよな。こんなに満足そうに眠られていたら、なんか呆気に取られちまうっつーか。


「……ずっと、手を握っててくれてたのか」


 手が温かくて、何の夢だったかも覚えていない夢が、怖くなくなったのはたぶん、きっと生方が俺の手を握ってくれていたからなのだろうなと、憶測した。

 単純に汗でべったりで気持ち悪くなってるのもあったから、変な夢見たかもしれねえと思えばこの状況に無理やりこじつけた理由付けができる。


「……うぶ、かた、起きろ」

「タケルく……ん?」

「おう、そのタケル君だぞ」


 右手で生方の肩を揺らしてやれば、うつらうつらと目をゆっくり開き始める生方は、完全に覚醒したのか、顔を青ざめる。


「……え? あ、あ、ご、ごめえええええええええええええええええん!!」

「なっ、急に叫ぶ、な、バカ!! 耳、いてぇ」

「あ、ごっ、ごめんタケル君!! 人様の部屋の中で眠っちゃったりしてっ」

「いやそういう、問題じゃねえだろ普通」

「え? どういう意味、かな?」

「……今、風邪で頭回んねえんだよ」

「えっと……ごめん」


 能天気な生方に少しだけ呆れつつ、思わずくすっと笑ってしまう。


「……気にしてねぇ。で? なんでいんだよウチに」

「え? だってタケル君がお見舞いきていいよって言ったんだよ? ほら」

「……? あー……マジか」


 生方が俺に自分のスマホでライン内容を見せてくれた。

 俺、寝ぼけてたから所々敬語になっちまってた。

 ……生方は普通に来てくれるとか、予想もしていなかったな。


「え!? じゃあ、半分意識抜きかけで打ったとかそういう感じ!?」

「ご明察」

「……でも、タケル君の顔見たかったからチャラにしてあげるっ、特別だからね?」


 ひまりは、からかいを込めた笑顔でタケルに笑いかける。

 トクン、と胸の鼓動が高鳴ったのを覚えた。

 なん、だ? 今の……気のせい、だよな。


「……おう、ありがとな」

「えへへぇっ、あ! シップとか、のど飴とか、色々買ってきたよ! 使って!!」

「おう……いや、風邪にシップはいらねえよ」

「あ! そうだった!」


 いつもより強引にまくし立てる生方にたじたじになるタケル。だが、素直に友人が内に見舞いに来てくれた嬉しさに気恥ずかしくなる。


「晩御飯は大丈夫?」

「おう、昨日よりは楽だわ」

「そうだ、昨日作りすぎて余ったんだけどカレーとか嫌いじゃない?」

「……カレー、か。ありがたくもらっておくわ」


 心配して作ってくれたのに拒否すんのは違うよな。

 喜色きしょくに満ちた笑顔を見せる生方に恐る恐る頷く。


「よかったぁ。タケル君一応ノートとか預けとくから、明日の朝に返してねっ」

「……ん」

「それじゃあ、失礼するねっ。お大事に!」


 嵐のように去っていく生方に、あっという間かんがあるのと同時に思わずボーっとしてしまう。まだ、完璧に治ってねえんだな。


「……作ってもらったんだから食わねえとな」


 タケルはタッパを持って一階に降りる。眠っていた時に大分体調がよくなったのか足取りが少し軽い。


「おータケル。起きれるようになったか」

「……一応」

「おー……ん? カレーか?」

「らしい」

「タケルはカレー嫌いだったな。どれ、儂が食ってやろう」

「……いい、ダチにもらった恩は恩で返してぇから」

「お? そうか、わかったぞぉい」


 ……なんだ、にやにやして。とは、口に出さないで視線でうったえるも爺さんはニヤついたままだ。

 電子レンジで温めたカレーを炊飯器のご飯を出して一枚皿にかけてから、俺は椅子に座って食べ始める。


「……? 美味い」

「だから、儂が食べるかと聞いたじゃろうが……って、美味い?」

「……わかんねぇ、でもなんか、あったけぇ」

「んー? ……ほぉ、そういうことかぁ」

「……なんだ、よ」


 なんでもないぞぉい、含み笑いをする爺さんに睨む。

 くそ、ぜってぇ生方に変な誤解してやがる。

 生方が持ってきたカレーはなぜか美味しく食べれたのを、当時の俺は理解できなかった。だが、数十年後の俺はしっかりとその日のことを思い出せるし、なぜなのか理由はなんとなくだがわかるようになるとある一日があることをタケルは知らない。同時に、生方のカレーが美味しかった理由もその日の俺にたくすことにしたのだった。

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