Panier de collations(おやつカゴ)

@zawa-ryu

風の声が聞こえたら

 通学路に転がっている小石を、一人で蹴っ飛ばして歩いたところで面白くも何とも無い。

 特に今日みたいに気が重い日の放課後は、鼻歌まじりに小石を道づれにして帰るなんて、とてもそんな気分にはなれなかった。

 だって今日、僕はあいつを傷つけたんだ。

 酷い言葉を使って、言わなくてもいい事まで言ってしまった。

 どうしてあんな言い方をしたんだろう。あんな事を言わなけりゃ、今頃二人、とっくに校門を出て、いつもの公園でランドセルをほっぽり出して、ブランコを僕とあいつどっちが高く漕げるか、笑いながら競い合っていたはずなんだ。

 ……それなのに。

 悪いのは僕の方だ。あいつはちょっとマイペースなところがあるけど、面白い事を言って人を笑わせるのが得意な、僕の気のいい親友だった。だけど、今日の僕は朝からひどく気が立っていて、一日中不機嫌な顔をして、心配して声をかけてくれたあいつの言葉にまでついカチンと来て、辺りかまわず喚き散らしてしまった。

 散々大声で叫んだあとで、しまったと思った時にはもう遅かった。

 あいつはすごく落ち込んで、強張った顔のまま、何も言わずにランドセルを手に取って教室から出て行ってしまった。

 ああ、なんで僕はあんなことを。時間があの時まで巻き戻ればいいのに。

 そしたら僕はもう二度と、あいつに向かってあんな事を言ったりしないのに。


 僕はそのまま家に帰らずに、堤防沿いをフラフラと歩いて、川に架かる橋の階段を降りて川原に出た。そのまましばらくぼうっと川を眺めて、何となく、もうこの先楽しいことなんて何も無いんじゃないか?なんて、そんな風に考えていた時だった。

「よう、久しぶりだな」

「あっ。ケン兄ちゃん」

 ふいに、誰かの声がして振り返ると、そこには川原に寝そべったケン兄ちゃんがいた。

 ケン兄ちゃんは、大人なのに一日中釣りばっかりしている近所のお兄さんだ。釣りがうまく行かない時はこうやって川原に寝転がって昼寝をしているか、川に向かって何事かぶつぶつと呟いている。「ケン兄ちゃんと遊んできた」僕がそう言うとお母さんはあまりいい顔をしないので、ケン兄ちゃんと会った事を僕は家では話さないようにしていたけど、いつも不思議な話をしてくれたり、僕の知らない事を教えてくれるケン兄ちゃんが、僕は大好きだった。

「なんだなんだ?元気ねえじゃねえかよ」

「うん……」

「まあ座れよ」

「……うん」

 僕は寝そべって両手を頭の上で組んでいるケン兄ちゃんの横で、体育座りした。

「ケンカでもしたか?」

「ううん、あいつにひどい事を言って傷つけた。悪いのは僕なんだ」

「そうか、それで落ち込んでるんだな」

「うん。ねぇケン兄ちゃん。僕いったいどうしたらいい……」

「シーッ」

「えっ?」

「ほら、聞こえないか?」

「何が?」

「風の声だよ」

「風の声?」

「ああ、そうさ。ほら、聞こえるだろう?」

「何も聞こえないよ」

「そうかい?よく耳をすませてみろよ」

「聞こえない」

「もっと耳をそばだてて。手を耳に、そう、そうだ。俺の隣に寝転んじまいな。そのまま目を閉じて、ほら、よーく聞いてごらん」

「こう?」

 言われるままに、僕は手を耳に当てて目を閉じた。

 ひゅるるるるるる、びゅるるるるるる。

 耳を覆った指の隙間を、ぶわっと山から下りてきた風が通り抜けていった。

「あっ聞こえた。風だ、風の音だ」

「ああ、そうだろう?聞こえただろう。それが風の声だよ」

「でも、何て言っているの?」

「さあ?何て聞こえる?もしかしたら、あいつにお前がどうしたらいいか、なんて喋っていないか?」

「えっ?あいつに?」

「ああ、お前があいつにこれからどうするべきか?風が教えてくれてるかもしれねぇぞ」

「……………………」

 僕はまた、耳にじっと手を当てて、風の声を聞いた。

「どうだ?何か言ってたか?」

「……分からない。分からないけど、たぶん」

 ケン兄ちゃんは、ん?と首を傾げたまま僕の言葉を待った。

「あいつに……謝れって、言ってる気がする」

「そうか。お前はどうだ?お前自身はどう思ってる?」

「……。僕も、謝りたいって……思ってる」

「ふうん、そうかよ」

 ケン兄ちゃんはニヤニヤと僕の胸を小突いた。

「なあ、簡単じゃねえぞ」

「うん、わかってる。正直言って、何て言うか……怖いよ。むちゃくちゃ怖い」

「だろうな、このまま逃げちまえばいいんじゃないか?」

「逃げ、たいけど。でも、それじゃあ僕はずっと、あいつと……」

 僕はそこで押し黙って、俯いた。

 ケン兄ちゃんはそんな僕の頬を片手でつまんで引っ張った。

 軽くつまんだぐらいだったけど、左頬は少しだけ、ヒリヒリと痛んだ。

「なあ、風の声を聞けるヤツってのはそう多くはいない。けどお前はさっき、確かに風の声を聞いただろ?ならあとは思う通り、風の言う通りにやってみな。自分以外の人間の、イジワルな声には耳を貸すな。あとはそうだな、弱い心に負けんじゃねえよ。大丈夫、お前ならやれるさ。なっ?」

 そう言ってケン兄ちゃんは僕の髪をワシャワシャと撫でた。

「僕、行ってくる!」

 僕は頷いて勢いよく立ち上がると、そのままあいつの家に向かって走り出した。

「負けんじゃねーぞーぉー」

 ケン兄ちゃんが大きな声で川原から手を振った。僕も橋を駆けて行きながら、手を振りかえした。

「ケンにいちゃぁーん」

「おーう」

「ありがとーぅ」

「おーう」

 片手を上げて応えるケン兄ちゃんにもう一度大きく手を振って、僕はまた走り出した。


 あいつに会ったら何て言おう。

 走り続ける僕の耳に、びゅごうびゅごうと風の声が騒ぐ。

 行け!行け!振り返らずに走れ!

 風の声に、僕は息を弾ませて走る。

 僕はちゃんと謝れるだろうか。あいつは許してくれるだろうか。

 びゅごおぉぉぉぉぉ。

 少し弱気になった僕の体を、一際大きな風が「負けるなよ」僕にそう言ってくれているように吹き抜けていく。

 風の声に頷いて、僕はただ前だけを向いて、あいつの家まで全速力で駆け抜けていった。


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