First Love

月丘翠

またこの季節がきた。

美和子は懐かしいタバコの匂いでいつも思い出す。

“美和子”

いつも低めの優しい声で呼んでくれた。

公園のベンチに腰掛ける。

この公園には、ベンチの正面に大きなイチョウの木がある。

何度このベンチに座って、あのイチョウの木を眺めたろう。

イチョウの黄色が、この世の色の中で一番好きだとイチョウの木を見る度に智希は言っていた。

金髪で見た目はいかついけど、頭も良くて、性格は穏やかで人を傷つけるようなことは絶対しない人だった。

「ねぇ、その金髪はイチョウの色をイメージしてるの?」

「イチョウの色を人間が表現できるわけないだろ」

「そうかなぁ・・・」

「美和子にはまだわからないのかもしれないな」

そう笑いながら言って、タバコをふぅと吐き出した。

美和子の頭をポンポンとなでる。

何かあるわけではなく、こんな風に智希と二人で座って話している時間が幸せだった。

冷たい風がすっと吹いて、羽織っていたストールを羽織り直す。

美和子はベンチに触れる。

右隣には智希はいない。

(智希もどこかでイチョウを見てるだろうか)

少し冷たい風が吹いてイチョウがはらはらと舞った。


智希と出会ったのも、秋だった。

美和子は大学で、周りが青春を謳歌する中、一人で過ごすことが多かった。

春の時点で上手く友達を作れなかったからだ。完全に波に乗り遅れた。

いや、高校生の時から一人で過ごすことが多かった。

友達は欲しかったが、人と過ごすと気疲れするので、自分からは話しかけなかったら、本当にぼっちのまま卒業となった。

そんな美和子には1人でも楽しめる趣味があった。

絵を描くことだ。

絵を描くと心が穏やかになったり、楽しくなったり、切なくなったり、飽きることはない。

そして何より絵を描いていると、1人で過ごしていても目立たない。

あの日も近くの公園でいつものように絵を描いていた。

大きなイチョウをパステルで描いていくが、なんとなく違う気がする。

「うーん・・・」

何度も色を重ねるが納得いかない。

黄色、オレンジ、茶色、ピンク―。

「違うな、黄色が」

後ろから声をかけられて振り返ると、金髪のいかつめの同い年くらいの男の子が立っていた。スポーツブランドの黒のジャージに中に白のTシャツをきている。

びっくりして黙っている美和子の横に座ると、「綺麗だと思わないか?」とイチョウの方を見て言った。

イチョウの木は夕日を浴びて黄色だけなく、赤みがかったオレンジにも見える。

「確かに綺麗ですね」

「だろ?俺、イチョウの黄色が1番好きなんだよな」

タバコを取り出して火をつけると軽く吸うとふぅーと吐き出した。

「この色を人間が描くのは難しいぞ」

美和子の絵を眺めると、「でもいい絵だ」と独り言のようにつぶやいた。

「あ、あの、そのありがとうございます」

突然褒められて、上手く言葉が出ない。

いや、それ以上に絵を見ている横顔が、見た目にそぐわない優しい笑顔でドキッとさせられたせいかもしれない。

少し冷たい風が吹いてイチョウがはらはらと舞っている。

「あ、やべ、バイトだ」

智希はそう言って立ち上がると、少し歩きかけて振り返る。

「君の名前は?」

「わ、私?私は、相田美和子です」

「俺は倉田智希」

ポケットをガサガサして何かを取り出すと、美和子に向かって投げる。

綺麗な放物線を描いて、美和子の手に収まる。

「じゃあ、またね」

そう言って、智希は走り去っていった。

(またねってもう会わないと思うんだけどな)

美和子がそっと手を開くと、見たことのあるいちごみるくのキャンディーがあった。


美和子は、限られた人生なのだから、嫌なことは嫌だと言うべきだと常々思う。

「相田さん?だっけ?この後、暇?」

この涼しくなった時期にへそ出しの派手な女の子に話しかけられた。名前すら知らない女の子だ。

嫌なことは断るべき、でも上手くいかないのが人生だ。

2時間後、美和子は派手な女子3名と居酒屋の席に座っていた。

「ごめんねぇ。飲み会に1人来れなくなっちゃてぇ」

完全な合コンの数合わせだ。

私を引き立て役にするつもりだな、と美和子は思った。

が、しかしここまで来たら今さら帰るとは言えない。

乾杯して少し経ったら立ち去ろうと決め、存在を消しているうちに、相手の男性陣がやってきた。同い年くらいの今風な男の子たちだ。

「ごめん、1人遅れてくる」そういって3人が席に着くと、自己紹介から始まった。

自己紹介が終わると質問が始まり、美和子にも順番が来ていたが、その内に各々で話始めた。

このタイミングだな、と美和子は店を出ようとしたら、4人目の男の子がきた。

「あ!君は」

そこに立っているのは、イチョウの木の前で会ったいかつい男の子だった。

「あ・・」と思ったが、女の子たちにブロックされた。

智希は女の子たちの間に座らされ、女の子達に質問をされている。

少し離れて見ていると、智希も案外イケメンなのかもしれない。

智希は淡々と質問に答えながら、タバコをふかしている。

美和子は、智希が注目を集めている間に、こっそりと店を抜け出した。


店を出ると、思いっきり伸びて深呼吸をする。

「生き返るー」と小さくつぶやくと、歩き始める。

空を見上げると、星が瞬いている。

地元より見えている星は少ないけど、実際はたくさんの星が頭上で輝いている、その様子を目を閉じて想像する。

この都会の本当の星空をテーマに描きたい。

どんな絵か今頭に浮かんでいる。

(今描きたい・・・!)

手が、心が、ウズウズする。

描きたいものが見つかった時の高揚感は何にも代えがたい。

美和子は公園に着くと、外灯の下のベンチに座る。

リュックから大学ノートを取り出すと、構図を描き始める。

ある程度、どんな感じで描くか決まると、スッキリして、息を吐いた。

「それ、星空?」

振り返ると、智希が立っている。

「えぇ!?」思わず声がでる。

「そんなにびっくりするか?」

「いや、なんというか合コン楽しんでるのかと思ってたので」

「全然」

そう言いながら、智希はタバコに火をつける。

「相田美和子と話したかったから抜けてきたわ」

「・・・なんでフルネーム?」

「なんとなく?」

そういって笑うと、智希はベンチにもたれて空を見上げた。

「その絵、完成したら見してくれよ」

「あ、わかりました」

「敬語なしな。さっきの奴らに聞いたけど、同い年みたいだし」

「・・・わかった」

時計をみると22時を指している。1時間以上絵を描いていたらしい。

「くしゅん」とくしゃみがでる。

「この時間はさすがに冷えるな。帰るか」

智希は立ち上がると、「スマホ」と言って手を差し出している。

「ん?」

「連絡先交換しないと、その絵の完成見れねぇじゃん」

「あぁ、確かに・・・そうだね」

あまりよく知らない人と交換していいのだろうかと一瞬悩んだが、美和子は連絡先を交換した。

人生は思い切りも必要だ。

帰り道、美和子は大学に入って初めて連絡先を交換したことに気づいた。

ポケットに外側から触れると何かが入っている。

取り出すと、あの時のいちごみるくだ。

左右をひねって、飴を口へ放り込む。

甘く、優しい味が広がっていった。

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