魔法、ダンジョン、報告書

羽根突餃子

『ドルマ社出版 ドルマ冒険者通信:第258号』インタビュー記事より抜粋

 ダンジョンを扱うプロから、偶然迷い込んで奇跡的に生き延びた一般の方まで……ダンジョンというものに関わった人々は一様に同じようなことを言うんじゃないですかね。


『ダンジョンの恐ろしさとは、そこに人間の意志があることだ』と。


 ……あんまり、ピンとこないですかね。


 そうですね……では、ダンジョンでの死に方ってのについて、ひとつ例え話をしましょうか。


 あなたは、身の丈が巨木ほどもある巨人の家に迷い込み、歩き疲れてへたり込んだその場所は厨房のまな板の上でした。そこを巨人に見つかりました。

 さて、あなたはどうなるでしょうか?


 ……想像もつかないですか? でも、想像してみてください。


 例えば、ギロチンよりも巨大な包丁で足先から細切れにされるかもしれない。

 例えば、溶き卵の海で溺れ足掻きながら、巨大なオムレツの中で煮え死ぬかもしれない。

 例えば、まな板にこびりついた汚い虫のように叩き潰されて、へばりついた肉片が洗剤で綺麗に洗い流されるかもしれない。

 もしかすると……そのどれでもない、普通の人間では到底想像もできないような、悍ましい末路を迎えるかもしれない。


 それがダンジョンです。


 当然知ってるとは思いますが、ダンジョンとは、“欲望”ってやつを強烈に抱えた人間が何らかの要因により変質することで誕生する異常な空間のことです。

 生き物なんです、ダンジョンは。より厳密に言うと、狂った人間なんです。

 館や、森や、要塞や、お菓子でできた家の形をした、ね。


 そんなところに入って起きる現象は、洞窟に入って毒鰐に食われたり、火山のドラゴンテリトリーに迷い込んで赤い息に焦がされるのとはわけが違います。

 だって、彼らのすることは、わかるから。

 お腹がすいているから獲物を食べる。縄張りを荒らされたから侵入者を排除する。そんな、動物としての習性に基づいた、“際限”ってのがある行動です。


 人間の持つ……際限がない、意志ってやつと違ってね。


 ……私の左腕、ないでしょう?

 ……10年ほど前、とある砂漠に、水の代わりに血が湧き出る巨大オアシスが出現しました。

 私はそれの調査に出たのです。


 当時の私は冒険者と傭兵を間くらいの生き方をしてました。

 界隈じゃ、結構な有望株だったんですよ? 剣の魔法が得意で、巨大なサイクロプスだってバターみたいに刻めたんです。


 調査に出たのは……まあ、若い冒険者特有の、ばかげた理由です。

 最奥にはすごいものがあるらしい。それを売れば、お金になる。

 それだけでした。

 そんな理由で、近隣の街の酒場で人を集めて、軽い気持ちで乗り込んだ。

 本当に、ばかです。


 そして、こうなりました。


 ……この腕がね、いきなり“ほどけた”んです。

 前触れ? さあね。

 血の湖に近づいたことかもしれないし、変なトカゲみたいな生き物を斬ったことかも。それとも、ただ単に運が悪かったのかな。


 編み物がね、糸に戻っていくみたいでしたよ。

 左腕の肉の内側から、血管がはみ出たんです。しゅるしゅるって。そのまま肉も骨も、一緒くたにほどけていくのが見えました。

 私は、急いで左腕を根本から切り落としました。ヤバい! と察して。

 おかげで、腕だけで助かりました。


 同行していたメンバーは……対処が遅れたのか、もしくは顔や腹みたいなどうしようもないところがほつれちゃったんだか。

 この世の終わりみたいな悲鳴が止んで…砂の上に糸くず”が固まって落ちているのが見えました。


 そりゃあもう、逃げましたよ。泣きながら、必死に必死に。

 金? 名声? 冗談じゃないですよ。

 ……死ぬにしたって、死に方ってのがあるでしょう? 魔物と戦って死ぬならカッコいい。でもこんな、わけのわからない死に方は嫌だった。


 そんな私の姿を、血のように赤いヤシの木の葉っぱ一枚いちまいが、足元の砂のひと粒が、見つめていました。

 ただの感覚ではありませんでした。

 あれは確かに、視線だった。


 さっき、まな板の例えを出しましたね。

 その視線ですよ。

 人間の、それです。

 意志を持った視線です。


 一番近いのは、これから捌く食材へ向ける視線かなって、そんなことを思ったんです。

 残酷で冷たくて、だけど『かわいそう』という気持ちも多少はあるような……人間が、人間であることを理解していて、それでもなお必要だから殺す、ような。


 ……あのオアシスは、何らかの目的があって、私達をほどいたんでしょうね。

 その意志が、狂った意志が、とにかく恐ろしかった。

 金ほしさに刺してくる暴漢のがよっぽどかわいいですよ。


 もしかすると本当に料理人だったりするかな、あのダンジョンの主は。

 糸くずにされた同行者たちは、あの後でどうなったんだろう。少なくとも、手厚く埋葬されたりあのまま放置されたりはしてないことは確かですが。


 ……そんな感じで。

 剣術の使い手なのに片腕になっちまったもんで、引退しましてね。あと、ちょっと心も病んじゃって。

 いろいろありましたが、当時のツテで魔導具屋の店員に雇ってもらって、今は結構まともに生きてますよ。


 世の中には、体が裏返しになっちまったり、まともに呼吸もできない枯れ木みたいな爺さんにされたのに不自然なほど死ねなかったり、そんなダンジョン犠牲者もいると聞きますからね。

 それに比べれば、片腕がほどけたことなんて全然マシですよ。


 もう、狂気に触れるのはごめんです。この生活が幸せ。


 ……そういえば、その血のオアシスについてですが、解決したそうです。

 私が引退して5年後くらいですね。冒険者時代の知人が教えてくれました。

 やったのは、最近いくつかできてるっていうダンジョン専門の組織ではなく、個人だったそうです。


 どんなやつが解決したかって? さあ、わからないですね。

 調べりゃわかるんでしょうけど、調べるつもりはありません。


 言ったでしょう? 狂気に触れるのはもうごめんだって。


 ダンジョンの主にせよ、解決したどこかの誰かにせよ、関係者にまともな人間はきっと、一人としていませんよ。

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