第20話 中庭、催眠術士と〇〇〇
次の日。
俺は寝ぼけたまま学校へと向かい、意識が覚醒したと思ったら自分の机に座っていた。
カエデも隣にいる。取り澄ましたような無表情で窓の外を眺めていた。あくびをしながら声を掛ける。
「今日くらい休めばいいのに。催眠術師は俺がどうにかしといてやるよ」
「休まないわ。こんなものに負けてられないもの」
「……でも困るだろ」
本当の気持ちを言ってしまう催眠にしろ、誰でも好きになってしまう催眠にしろ、学校生活を送るには致命的だ。
まあ俺ならわりかしなんとかなりそうだが。惚れやすい正直者だからな。
「いいえ。コウがいるから……何があっても大丈夫よ」
カエデはそう言ってぷいと顔を逸らした。素直なカエデというのは、どうにも調子が狂う。
「任せとけ」
シオンが友人を引き連れて廊下からやってきて、カエデを取り囲みわちゃわちゃ話し出す。賑やかなことこのうえない。
そして俺は策を練っていた。催眠術師をおびき出して解除方法を聞き出さなくてはいけない。
催眠術師はパンツが好きらしい。
俺はクラス中を見渡して女どものスカートの下の布地をイメージした。どれが一番良い餌になるだろうか……
「うっすー、おはよ、コウ」
肩をつんつん突かれる。アキだ。今日も今日とて女子にしか見えないツラをしている。
「……こんなことを頼めるのはお前だけだ。アキ、パンツを貸してくれ」
「へ?」
▼△▼
数学の授業中。
俺はアキの子どもっぽいパンツをポケットに突っ込んだままぼーっとしている。男のパンツを持ってるなんて想像するのも嫌だが、アキだけは別だ。こいつのパンツは男臭くないんだ。
だが男だ。だから俺は別に興奮するわけでもなく、難解な数式を前にして催眠術師をどうやって懲らしめようかと頭を悩ませているのだが……
数学の教師は田村女史。
こいつがなかなか意地悪な女性であり、俺とシオンにネチネチ嫌味を言ってくる。なにやらシオンの父親に恨みがあるらしく、コネ入学した俺たちが気に食わないようだ。
だがシオンは遠回しな嫌味になんて気づかないし、俺もどうでもいい。
「こんな問題も分からないんですか? 親御さんの顔が見てみたい」
あくびする。早く授業終わんねんかなと前の女の透けるブラを観察していたその時――
カエデがすぱんと立ち上がり、まっすぐ田村女史を見つめていった。
「田村先生ってすごく性格が悪いですね。授業も下手だし、生徒をいびるし、教職が向いてないのでは?」
クラスが凍りつく。
田村女子は厚化粧のお顔をしわくちゃに歪めた。見たことがないほどに怒っている。
「あなたは賢い生徒だと思っていましたが、違うようですね。生徒指導室までついてきなさい!」
田村女子は金切り声で叫び教室を出ていった。カエデは「すっきりした」なんてセリフを残してついていく。
俺とシオンとアキは視線を交わし、そろって「あちゃー」と天を仰いだ。
催眠による弊害はいくつか可能性があったが、想像していた中でも最悪の類だ。田村女史の説教は短くても三時間は続く。俺は何度も被害にあったのだ。
そのうえカエデが言い返しでもしようものなら……永遠に終わらないのではないだろうか。
ざわつき始めた教室、シオンが話しかけてくる。
「まずくない? カエデちゃんが田村先生をボコボコにしちゃうかも」
「……そっちの心配はしてなかったけど、確かにありうるな。このままじゃ田村先生が挽き肉になっちまう」
シオンは口元を震わせて不安げだ。
俺はポケットの中にそれがあるのを確かめた。実行に移すしかないようだ。
「……オペレーション・アキズパンティを開始する。シオンはここで待機しておくように」
「なにそれ? なにするの?」
「大人しくしてろよ」
俺は教室を抜け出して授業中の校舎をそろそろ歩き、放送室に忍び込んだ。
スイッチをONにして息を吸い込む。
「生徒の呼び出しです。催眠術師さんは
さすがの俺も放送設備でケンカの呼び出しをするのは初めてだ。誰かがやってくる前に部屋を飛び出して目的の場所へと向かう。
カエデを泣かせてしまったからには、もはや戦わないわけにはいかない。
催眠か何か知らないが……そんなの俺に効くわけない。催眠なんて信じてないからだ。ちょこっとビビらせてやればすぐに降参するはず。
ケンカの前特有の不安と高揚感を胸に、俺は静かな廊下を歩いた。
▼△▼
中庭。
木が校舎からの視線を遮ってくれるのでサボりには絶好のスペースである。
庭の中心には百葉箱みたいな木箱がある。中には虫の巣があるので開けてはいけないらしい。その向かいにベンチがあって、そこがサボりの定位置だ。
俺はそのベンチに座り、決闘を控える侍の心持ちで待っていた。カエデの話では相手は女だということである。男であれば話は単純なのだが、女では殴って蹴飛ばすわけにもいかない。
言葉でビビらせなければ。
縮み上がるような脅し文句を考えていると――
そいつは
百葉箱みたいな木箱の上に立っていた。俺は決して居眠りなんかしていないのに、どこからともなく現れた。不気味だ。
そいつは制服を着た少女だ。
顔は――可愛い。背は俺の胸までしかないのではないだろうか、顔立ちもまだ幼さを残していて、小学生かなという印象を受ける。
確信した。こんな生徒はこの学校にはいない。こんな可愛いロリっ娘がいれば新入生であっても話題になるはずだ。
俺は男友達と一年生の可愛い子探しだってしたのだ。こんな印象的な女の子を見逃すわけはない。
その少女は俺を見てニヤリと笑う。容姿の幼さに似合わない表情だ。
「五月雨コウ。お主のことはよく知っておるぞ」
「……何者だ。制服なんか着やがって」
少女は肩にかかるくらいの黒髪をふわりと払い、ふんぞり返って言う。
「神であるぞ!」
「何言ってんだ。ガキのくせに一人で来た度胸は褒めてやるが、大人を舐めちゃいけねえ」
「高校生がガキだの大人だの、笑わせてくれるのう」
「君みたいな女の子を殴るわけにはいかないが、パンツを奪うくらいはするからな。俺は本気だ」
「わらわはノーパンである」
なん……だとッ!?
風でスカートが揺れた。少女は箱の上に立っているので、太ももの奥がチラリと見える。俺はすぐに目を逸らした。俺は――ロリコンではないのだから。
「…………ノーパンが好きなのか?」
「うむ。スース―する感じがよいのだ。一度試してみれば、もうやみつきというやつである。わらわはその布教のためにパンツを盗んで回っているのだ」
「…………布に守られてる感じが好きってやつもいるだろうからな。自分の価値感を押し付けるのは――」
いや、待て、俺。こんな話をするために呼び出したのではない。ノーパンについてなんてどうでもいい。
「カエデの催眠を解いてもらおう。さもなきゃ裸にひん剥いてうさぎ小屋の中に放り込む」
少女はふんと鼻を鳴らした。
「あの催眠は手助けのつもりであったが……実際に良い思いをしたであろう? しかもキスだけで解除できる。何が不満であろうか。恋のキューピッドであるわらわをそのように睨みつけるとは……不敬であるぞ」
「あいつは少女漫画が好きな夢想家なんだよ。たぶん理想のシチュエーションがあるんだろ」
「ふむ。そうであるならば解いてやろう。――しかし、力には代償が必要であり、神頼みには生贄が必要だ」
「生贄? お断りだ」
引きずり降ろして尻でも叩いてやろう。少しは素直になるはずだ。
俺は大股で近づいていく。肩を怒らせて、眉を寄せる。少女には俺がとても腹を立てているように見えることだろう。
声が響いた。
「動くでない」
俺の体は停止した。片足が浮いたままの姿勢でぴくりとも動かない。コンクリートの中に詰められたみたいだ。透明な何かに押さえつけられている。
冷たい汗を背中が伝っていく。これが……催眠だというのか。催眠なんて生易しいものとは思えない。
「神頼みには生贄が必要じゃが、どうする? 誰があの娘の身代わりを引き受ける?」
神を自称するロリ。そいつはあくまで無感情に俺を見下ろしていた。畏怖の念が膨れ上がってくる。
「なんでもいいのか?」
「申してみよ」
「アキのパンツを持ってる。これを捧げます」
「物が人の代わりになるわけあるまいて。人を差し出すのだ」
「……なら、俺が引き受けるよ」
それしかない。少女はそれこそが求めていた答えであるとばかりに満足げだ。
「とにかくカエデの催眠は解いてやってくれ」
「よろしい。効果は明日の朝からだ」
そいつは指を鳴らした。体を押さえつけていた不思議な力が消える。
「力には代償、神頼みには生贄。この一件は覚えておくがいいぞ」
まばたきをすると、そいつは霞のように消えた。
中庭に静寂が戻ってくる。
ベンチに腰を下ろした。理解できないことばかりだ。俺の平穏な日常はどこへ消えてしまったのか。
大きく息を吸って、吐き出したその時。
"あの感覚"がやってくる。こめかみを小さな針でちくりとやられるような違和感。時間停止が行われたのだ。
「いったいなんだよ……」
違和感を探す。しかし何も変化はない。パンツもあるし、服も脱がされていない。
そもそも今は授業中で、この中庭には俺しかいない。
「コウ」
声をかけられて振り向く。
微笑むカエデがそこにいた。手を後ろで組んで少し恥ずかしそうにしている。
「なんで、ここに……?」
まだ田村女史の説教は始まったばかりのはず。どうやって抜け出してきたと言うのか。
「平謝りしたら許してくれたの」
そんなはずはない。俺だっていつも平謝りしてるが、それで許してくれたことなんて一度もない。
やはりカエデがDIOなのか……?
「座っていい?」
カエデが俺の隣を指差す。俺は頷いた。頷くしかない。それ以外のことはできなかった。
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