第16話 中庭、カエデと〇〇〇
電車から降りた俺たちは学校まで小走りで駆けていく。
「催眠にかかったってどういうことだ?」
「さあ…… 催眠にかかったんでしょ」
さっぱり理解ができない。時間停止能力といい催眠といい、この世界はどうしちまったというのだろう。
「どこにいるって?」
「中庭だ」
駅へと向かう生徒たちの流れに逆行しながら校門へたどり着いた。
中庭はすぐそこ。
狭いスペースだ。中心には百葉箱みたいなよくわからん設置物があるせいでドッジボールだってできない。
ただ木で周囲からの視線が遮られるので俺はよくサボりに使っていた。
ベンチがあって、そこにカエデが座っている。アキはその前にいて俺たちを見つけるなりぴょんぴょん跳ねた。
「コウ! こっちだ! ――ほら八王子さんコウが来てくれたよ」
カエデはどこか疲れたような表情をしていた。いつも完璧を気取っている彼女にしては珍しい。慌てて駆け寄る。
「カエデ! 死ぬな!」
カエデは鋭く睨みつけてくる。
「死なないわよ」
「それは良かった」
すこし遅れてシオンがやってくる。
「カエデちゃん、大丈夫?」
その瞬間。
あの感覚がやってきた。コンマ一秒よりずっと短い小さな刺激。時間停止が行われたのだ。
違和感を探す。だが何も見当たらない。オレの体にも何も起こっていないし、アキも大丈夫そうだ。
カエデとシオンも変わりない。二人とも澄まし顔をしているが……どちらかが犯人なのだ。
だがまあいい。ひとまず置いておこう。
「それで催眠ってどういうことだ?」
「そのままの意味よ」
カエデは立ち上がった。腕を組んでわずかに背を反らし、ちょっと上から目線で語りかけてくる。
「まずは頭を撫でてほしいのだけど。心配が足りなくない?」
「……え?」
カエデの頬がさっと赤くなった。
俺の知ってるカエデはこんなこと言わない。二人きりでもこんな素直に甘えてこないのに、ましてシオンやアキがいる前でこんな振る舞いはしない。
「どうした……?」
「じゃあ、あとは、よろしくねー。僕はお先に失礼させていただきますっ!」
アキがおずおずと別れの文句を残して去っていった。カエデに怯えているようだった。
カエデは口を真一文字に結んでいる。
「あの……カエデさん?」
「私は催眠にかかりました」
「はい」
「どのような催眠かというと……どんな男でも好きになってしまう催眠です」
それは大変だ。ちなみにいうと俺はどんな女でも好きになってしまうような性格をしているが、カエデがそうなるのは大変だろう。俺には辛さがわかる。
「分かるよ。俺も惚れやすいんだ」
「……例の催眠術師にやられたわ。この中庭に追い詰めてやったと思ったらこのざまよ」
カエデは悔しそうに唇を噛んでいる。
「どこのどいつだ? 引きずってきてやるよ」
「猫耳と猫の尻尾が生えてたわ」
カエデはとても真剣な顔をしていた。ジョークではないらしい。いよいよ馬鹿げてきたぞ。
シオンも真面目な顔で頷く。
「分かったよ、猫耳だね。探してくる――駅前のメイド喫茶とかにいるかも!」
「待て待てストップ」
駆け出そうとするシオンの腕を掴んで止めた。こいつを一人で行かせたら絶対に二次災害が起こる。
「カエデ……そいつはどこにいったんだ?」
「消えたわ。幻のように忽然とね。――とにかく帰りましょう。もう暗くなる。探偵ごっこはまた明日」
それでいいのだろうか。催眠にかかったまま家に帰るといろいろ困るだろう。
うーん。でもうちに来てもらう分には困らないな。むしろ俺だけ得するかも。色々考えた結果俺は首を振った。
「よし。帰ろう」
「うん。帰ろう!」
シオンも言う。
カエデは黙って大きく腕を広げた。おれをまっすぐ見つめてくる。
「その前に抱きしめてくれる? 好きがもう我慢できないの」
「は?」
すぐにカエデは俯いた。顔は真っ赤に染まって羞恥にプルプル震えている。
「いや……その……催眠だから……」
「さいですか」
抱きしめてあげたほうがいいのだろうか。ぜひとも抱きしめたいところだが、催眠を理由にしてそんなことをするなんてどうなんだろうという気持ちもある。
だがカエデがおねだりしてくるのなんて初めてで、とっても可愛い。
「じゃあハグしていい?」
「して」
誰でも好きになる催眠。今のカエデを他の男の前に出すわけにはいかない。ここは幼馴染として――守ってやらねば!
ぎゅーっと抱きしめる。抱きしめられる。唇が胸元に押し付けられて、熱い息が制服を貫通して熱を伝える。心がじんわりと満たされていく。
頭を撫でた。カエデの両手が俺の背中を所在なさげに這い回る。
「わあ。えっちだ」
シオンが呟いた。どこがえっちなのか。こんなのはおままごとだ。
「俺でよかったな。鋼の心を持つ俺じゃなかったら即お持ち帰りされてるぜ」
「うん……好き……」
上目遣いになるカエデ。心臓がどきりと跳ねる。気づかれていないことを祈った。
「お持ち帰られたい……」
カエデはうっとりした表情で頬ずりしてくる。
……本当に俺でよかった。誰でも好きになる催眠ってヤバすぎる。
「カエデ、動けるか? 帰ろうぜ」
「うん。好き」
好き連呼ボットになってしまったカエデの手を引きながら歩き出す。シオンは「あちゃー」と口に手を当てていた。
ピロン。
スマホがなった。スマホ世代は通知が鳴ると反射的に確認する。片手で取り出し画面をみると、それはアキからだった。
――押し付けてごめん。八王子さん、本当の気持ちを言う催眠にかかったっぽいから、任せたよ。
「……え?」
本当の気持ちを言う催眠だと? カエデの話と違うが。
俺は立ち止まってしまった。呆然としてカエデを見る。カエデはもじりと体を揺らした。
「好きです。付き合お?」
「…………」
なんだか語尾にハートがついてるように聞こえる。とんでもなく可愛いのだが……
「誰でも好きになる催眠なんだよな?」
「そうよ。何か問題でもある?」
「……ございません」
問い詰めるのはやめておこう。これは地雷だ。踏み抜いてはならない。
「今日はそっちに泊まるから。ママとパパとは話したくないし」
「……まじ?」
カエデの目つきがナイフみたいに鋭くなる。寒暖差で心臓が止まりそうです。
「問題ある?」
「ございません」
シオンは「連日でお泊りだ!」なんてはしゃいでいるが、俺はそんな気分にはなれない。これはつまり地獄ってやつだ。それも快楽でいじめてくるタイプの。
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