第7話 廊下、シオンと〇〇〇
俺は朝に弱い。
とっても弱い。これのせいでカエデには長いこと迷惑を掛けてきた。小1の頃から俺を起こして学校に連れて行ってくれるのはカエデと決まっていた。それはシオンと同居している今でも変わっていない。
どのくらい弱いかといえば、ぼーっとしたまま支度を済ませ、夢遊病者のごとくふらふらと登校し、はっと気付いたら教室の自席にいる、なんてことが多発するくらいには朝に弱い。
例によって、俺は今日も気付いたら学校にいた。ぐぐぐーと伸びをする。ようやく意識がはっきりしてきた。
右にはカエデがいて、左にはシオンがいて、それぞれ友だちと話している。
ふと、横から肩をつんつんと突かれた。
「うっすー。おはよ、コウ」
「うっす」
声をかけてきたのは夏山アキ。小動物みたいで可愛く、男子の間でもトップクラスの人気を誇る――男の子だ。
アキとは去年も同じクラスで、よくつるんでいた。気の置けない友人ってやつだ。シオンもカエデも友人とは少し違うからな。
「アキ、話したいことがある」
「な、なに?」
俺は女子みたいな細い腕を掴み廊下に連れ出した。
「そんな真面目な顔でどうしたの?」
こいつにはDIOの件を話しておこうと思う。どちらがDIOなのか探るうえで協力してもらうこともあるだろうからな。
「このクラスに――時間停止能力者がいるって言ったら信じるか?」
「は……?」
すべてを包み隠さずに説明した。一週間前から続く異変、そして昨日の英語の試験で起こったことについて。
「うーん……」
アキは首を捻りながらも頷いて、
「信じがたいけど、信じてあげるよ。そういう思考実験だと思ってみれば楽しそうだ」
「ああ。シオンかカエデか、どちらがDIOかを当てたい。協力してくれるか?」
「それはいいけど。当ててどうするわけ?」
「そりゃあもちろん、そっちを一生俺のモンにすんだよ。そして楽しく遊んで暮らす」
アキはうげえと顔を歪めた。普通の男がしたらただの変顔なのに、小顔で整った顔立ちのアキがすると不思議と可愛らしくなる。
「さすが自他ともに認めるクズだね」
「少しだけ欲望に素直なだけだ」
「ならいっそ二股すればいいのに。高校生の間はともかく、大学生とか社会人だったら二股三股加えてセフレなんてザラじゃない?」
「……俺はクズだが、クソゴミ野郎じゃない。だから二股はしないしヤリ捨てもなしだ」
「ふーん。かっこいいこと言うじゃん。――八王子さんと五月雨さんのどっちかがDIO、か。どっちだろうね。2人は一緒にいることが多いから決定的な証拠を掴むのには苦労しそうだけど」
「頼むぜ、アキ」
「任せてよ、この推理小説フリークの夏山アキ、もといシャーロック・ホームズの生まれ変わりにね」
アキは得意げに鼻を膨らませて胸を張る。こいつは俺よりずっと頭がいいのだ。
「さて、推理小説愛好家としては『時間停止なんてありえない。何かトリックがあるはずだ』と言いたいところだけど、ホームズは『全ての可能性を消去して最後に残ったものが、いかに奇妙であってもそれが真実である』という名言を残しているし」
「なら俺がワトソンだな。ホームズ警部、よろしくお願いします」
「ワトソン。ホームズは警部ではなく、探偵だよ。――まずは時間停止能力の限界を確かめなくちゃ。漫画やラノベじゃ制限があるのが鉄板だからね」
「おお。良いじゃねえか。それを手がかりにDIOへ迫っていくってわけだな」
本物のディオだって数秒しか時を止められなかったのだ。何か制約があったっておかしくない。
俺とアキは謎に近づいているワクワクで笑みを深くした。
そのとき。
唐突に"あの感覚"。決まった時間の流れに異物が入り込んだ違和感。時間が止められたのだ。
「アキ、感じたか……? 今時が止められたぞ」
「……ほんとに? 何も感じなかったけど」
「こめかみにチクッと来るような感じがあるはずだ。それよりも――変化を探せ」
また間違い探しだ。
教室の中を覗き込めばカエデもいるし、シオンもいる。何も変わった様子はない。2人とも平然と友人と会話している。
クラスの誰もこの違和感に気づいていないようだ。
「なんだ。いったいなにが…… アキ、何か分からないか? アキ……?」
いつの間にかアキは廊下にへたり込んでいた。内股になって下腹部を押さえるように、真っ赤な顔で俯いている。
「おい、どうした? 大丈夫か?」
DIOが俺の友人を傷付けるような真似をするはずはない。ならばいったい――
「ん? なんだこれ?」
空のはずのポケットが膨らんでいる。手を突っ込んで取り出してみると、それは白い布だった。
白い布というか、パンツだ。それも小学生とかが履いてそうな白いブリーフ。
「なんでパンツが俺のポッケに」
きっとDIOだ。DIOに違いない。しかしなぜパンツを?
「それ……僕の……僕のパンツ……」
アキが呟く。
「え、お前のなの?」
アキってこんな子どもっぽいパンツ履いてんのか。なんか意外だ。
「返してください……」
上目遣いの火照った顔は破壊力抜群で、男子人気が高いのも納得である。しかしこいつは男だ。
ふと気付いた。
股間周りが妙にスースーするような。ズボンの中を覗き込んでみる。
――俺のパンツがない。
「クッソォッッ! やりやがったな!」
「これはDIOからの警告なんだ…… 真相に迫ろうとすればこうなるぞという。今回はパンツで済んだけど次はどうなるか……」
「俺のパンツを盗ってどうするつもりなんだあいつは!」
「……僕は大事な秘密を知られてしまった。もう捜査はできない。諦めるべきだ! 降参しよう!」
降参。降参か。
俺は手の中にある白い布を握りしめた。
「分かったよ。ひとまずは降参だ」
白旗を掲げる。そして振る。
「DIO! 降参だ! 俺のパンツを返せ!」
「おいこらコウ! 僕のパンツを振り回すな! おい!」
また"あの感覚"。
今度の変化は明らかだった。
俺はパンツを履かされていて、手の中にあった白旗は消えている。
パンツが消えたり現れたり、ふざけやがって。俺のパンツをマジックの小道具みたいに扱うんじゃない。DIOへの怒りがメラメラと湧き上がってくる。あいつのおもちゃのままではいられない。
アキがのろのろと立ち上がった。きっとこいつもパンツを履かせてもらったのだろう。
「コウ。こんなことをされたんだ、時間停止能力の存在は信じる。でも協力はできない。すまない」
「そんな……」
アキは俺に背中を見せて教室へと入っていく。その後ろ姿は敗北者のそれであった。こんなアキをみるのは初めてだ。DIOはいったい何をしたというんだ。
「くそ……」
協力者は一瞬で潰されてしまった。
これはきっとDIOからの宣戦布告なのだ。一対一で戦おうではないかという宣言。
「いいぜDIO。かかってこい」
廊下で一人立ち尽くし、俺は誓う。
「コウくんどしたの~ 一人で突っ立って。もしかしてまだ寝ぼけてる?」
教室から出てきたのはシオン。いつも通りの笑顔だ。生きてるだけで楽しくてたまりませんみたいな顔で、陽気をまわりにも振りまいている。
こんな顔しておきながら俺とアキのパンツを弄ぶ変態なんてことがありうるのだろうか。
「もうすぐホームルームはじまるよ」
「シオン。お前、俺のパンツが好きなのか?」
「え? やっぱり寝ぼけてる?」
……やはりどれだけ口で聞いたところで無駄だな。証拠を掴まなければいけない。
「おーきーてー」
シオンが俺の体を揺する。
そのとき。
また"あの感覚"がこめかみを襲った。
こんな短時間のうちに三回も時を止めるなんて、クールダウンとか存在しないのか。
イライラしつつも異変を探す。
今度はすぐに気づいた。またズボンのポケットに何かが入っている。取り出して確認すれば――
「またパンツかよ!」
黒い女物のパンティだ。レースやなんやらで飾り立てられ、おまけにかなり細い。
「誰だこんなエロイパンツ履いている女は。学校をラブホかなんかと勘違いしてるだろ」
シオンの顔がゆでだこみたいに赤くなる。
「なんでわたしの……」
そしてスカートを両手で押さえた。
「いつの間に…… 返して! コウくん返して!」
涙ぐみながら手を伸ばしてくるシオン。
どうやらこれはシオンのものらしい。だが……ただで返すつもりはない。2分の1の確率ですべてがシオンの自作自演なのだ。まったく白々しい奴。
「返さん。これは預かっておく。今日一日はノーパンで過ごせ。もしいつの間にか俺のポケットから抜き取られているようなことがあれば……お前が犯人で決まりだ」
「ええええ……! 犯人ってなに!?」
「男のパンツを脱がして回るド変態がクラスにいるんだよ」
「わたしじゃないよ!」
手の中のパンティを鑑賞する。それにしても華やかだ。同居しているのにシオンがこんなものを持っているとは知らなかった。
「とにかくこれは貰うから」
匂いを嗅いでみよう。そう思って鼻に押し当てると、シオンが飛び掛かってくる。
「嗅ぐのはダメ! 嗅ぐのはダメだよ! 持っててもいいから嗅がないで!」
「……ふん。分かったよ。嗅ぐのは勘弁してやる」
あとでトイレで嗅ご。それから写真も撮っておこう。
チャイムが鳴った。
ホームルームが始まる。
プルプル震えるシオンを廊下に残し、俺は戦利品をポケットの中で握りしめて自席に戻った。
アキに伝えておく。
「仇はとったぜ。2分の1の確率でな」
「……どういう意味?」
まだ顔の赤いシオンが慌てて教室内に駆け込んできて、俺の左の席に座った。そして囁いてくる。
「黒、好きすぎだよ。さすがにこれは……困っちゃう」
担任教師が教室に入ってきた。会話はおしまいだ。俺はポケットの膨らみをポンポンと叩き、シオンににやけた笑顔を送る。シオンはスカートの裾を必死に伸ばそうと試みているが……
今日一日はこれで揶揄ってやる。まだ1限さえ終わっていない。今日は長い一日になりそうだ。
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