第5話 リビング、シオンと〇〇〇


 びしょ濡れで帰宅した。


 今はシオンがシャワーを浴びていて、俺はベタつく服を脱ぎ捨てパンツ一丁でソファに座っている。


 服を着たまま川に飛び込むなんて、ありえない。場所によっては死にかねない非常に危険な行為だ。


 あの橋はここらでは有名な飛び込みスポットなのでそれほど危険なわけではないが、でも安全が保障されているわけじゃない。


 そういったことを何も考えず俺の後を追って飛び込んだシオンはやはり馬鹿に違いない。


 そして俺とシオンが飛んだからと流されるように飛んだカエデも、やはり同じく馬鹿だ。


 出会った当初のシオンは積極性などかけらもない少女で、俺とカエデは打ち解けるのにそれはそれは苦労した。


 二人でシオンを連れまわしているうちに彼女は少しずつ変わって、今ではさっきみたいに俺とカエデを牽引するようになっている。


 シオンの変わったところは性格だけではない。


 中学2年生から高校2年生になるまでの変化――異性の同居人である俺にとってはもっと死活問題な変化――体つきである。


 すなわち胸と尻が膨らみ、髪も不思議な光沢を帯びて、なんかいい匂いがするようになった。


 これは世界滅亡にも匹敵する大問題である。


「おまたせ、シャワー空いたよ」


 柔らかな声が聞こえてきて、扉が開く音がする。


 髪をタオルで拭きながら脱衣所から出てきたシオンは、いつものように下着姿だった。


 濡れて輝きを増すブロンドヘア、くっきりと浮き出た鎖骨、つんと上を向いたおっぱい。それを彩るレースのついた黒い下着は肌の白さを際立たせている。


 目に焼き付けるべし! こっちに近づいてきて、通り過ぎていくシオンの体を上から下まで舐め回すように見る。


 彼女は俺のいやらしい視線をまったく気にせずキッチンへ向かうのだ。


 下半身も素晴らしい。ふりふりと揺れるお尻の肉は細めのショーツからはみ出していて、むっちりとした太ももは触れれば吸い付きそうなしなやかさがある。


 なんてエロい体なんだ。


 しっかり楽しませてもらった。今日のデイリーミッションを終えて満足した俺に、シオンが牛乳を飲みながら寄ってくる。


「ぷはああっ。――牛乳いる?」


「いらない」


 唇の端から白い液体がこぼれそうになって、真っ赤な舌がそれをなめとる。


 意図しない艶やかな仕草にどきっとしてしまった。ここらが限界だろう。これ以上は俺の理性がもたない。


「服着ろよ。そんな格好でうろつくなって」


「はいはい。――でも下着も服でしょ?」


「下着姿は全裸よりもエロいからアウトだ。特に黒はまずい」


「それはコウくんの趣味じゃん。妹をそんな目で見ないでください。てかコウくんもパンツ一丁だし」


「男はいいんだよ」


「なにそれ。ずるーい」


 唇を尖らせながらもシオンは近くにあったスウェット――俺が今から着ようと思ってたやつ――を頭から被った。


 当然シオンにとってはオーバーサイズで肩も落ちて裾も余り、だぼっとした装いになる。


「なんで俺の着るんだよ」


「いい匂いするから」


「……同じ家に住んでるんだから同じ匂いだろ」


「えー! この違いが分かんないの!? ぜんぜん違う匂いだけどなあ」


 シオンは俺の隣に腰を下ろした。そしてくたりともたれかかってきて、


「わたしの匂いを嗅いでよ。それで分かるでしょ」


 人形みたいに綺麗な顔を寄せてくれば、甘くて華やかな匂いが鼻をくすぐった。同じ安物のシャンプーを使ってるのに。


 ま、まずい。

 俺の性欲ゲージがぐんぐんと溜まっていく。


「ほら。これがわたしの匂い。兄としてちゃんと覚えておいて」


「はい覚えた。覚えたから離れて」


「えへへ。やったぁ」


 それでもなおくっついてこようとするシオンを引き剥がす。


 こいつは2人きりになるととにかくベタベタ甘えたがるので、注意しなくてはならない。もちろん俺の股間にある火山が噴火しないための注意だ。


「――ねえ、夏になったらまた飛び込みしようね。楽しかったからさ」


「水着でな。服着たまま飛び込むのはやめろよ」


「いやいや、だからわたしはコウくんに続いただけなんだけど」


「…………」


 それを言われると言い返せなくなる。俺は飛び込むつもりなんてなくて、DIOが助けてくれると思っていたのだ。


 そう、DIOだ。


 シオンを見る。シオンも俺を見た。


 不思議な沈黙。青い瞳ってのは魔力を持っているのだ。深い淵に引きずり込んで逃げられなくなるような魔力を。


「なあ」


「なに?」


「お前、時を止めれるのか?」


「……またそれ? なわけないじゃん。そんなことできたら今頃わたしは大統領になってるよ」


 純真な眼差し。

 嘘をついているようにはとうてい見えない。


 だが俺は知っている。この天然娘も狡猾で計算高い一面を持っていることを。ときには嘘もつくし、誰かを出し抜いて目的を果たすことがあることを。


「本当か?」


「……うそ。わたし時間を止めれるよ」


 シオンは何でもないことのように言い放った。


「まじか」


 やはりシオンだったのか? 


 信じられない思いで見つめるが、その微笑みさえ作り物のように思える。何が何だかわからない。


 シオンだと言われれば納得できることもあるが、納得できないこともある。


 シオンがいるはずのない場所で時間停止が起こったこともある。


 いや、時間停止能力に制限がないならばこの世に”いるはずのない場所”なんて存在しないのだ。


 いつだってどこにだって存在しうる。


 それが時間停止能力者。


 シオンは立ち上がった。そして俺の前に仁王立ちして、見下ろすように睨んでくる。


「見せてあげようか?」


 その瞳に映り込む俺は笑えるくらい間抜けな顔をしていて、呆然としたまま小さく頷いた。


「まばたきしないように」


 自信満々なその笑顔には一点の曇りもない。そして上体を大きく大きく反らし、斜め立ちで片腕を前に突き出す。


「――ザ・ワールド! 時よ止まれッ!」


 その瞬間、世界が凍りついた。


 あらゆる音が消えて、心臓だけがバクバクと激しく胸をノックしている。時計の針に一瞬だけちらりと目をやれば、それはたしかに止まっていた。シオンは彫像のように微動だにしない。


 これが時間停止。やはり圧倒的な能力。


 今なら――シオンの胸も触り放題というわけだ。


 揉みたいな。揉んでいいかな。どうだろう。でも時間停止ってそういうことだよな?


 俺は立ち上がった。そして腕を伸ばす。スウェットの厚い生地の下に隠されたあのたわわな果実をついにこの手で収穫するときが――


 待て。


 ……あれ? 

 なんでシオンが動かない? 

 てか俺はなんで思考できている? 

 まさか俺も能力を得たのか?


 シオンがぱちりとまばたきをした。


 耳をすませば川のせせらぎも聞こえてくるし、時計の針もチクタクと秒を刻んでいる。


「おい。とまってねえじゃねえか」


「昨日ジョジョ読んだからいける気がしたんだけどなあ」


「…………なんだそれ」


 シオンはすぐ漫画やら映画やらに影響される。スパイ映画を見た翌日にはスパイの修行をはじめ、野球漫画を読んだ翌日にはキャッチボールに誘ってくるのだ。


 だが……これはいよいよわからない。


 こいつがDIOなのか、そうでないのか。


 嘘だとは思えないが、すべてが演技という可能性も捨てきれない。裏の裏をとり、あえてこんな小芝居をしたのかも。


 分かんねえよ!


 シオンは上体を逸らしまくった立ちポーズ――かのジョジョのポースをさらに誇張したような姿勢――を続けていたが、運動をしていない彼女の筋肉に限界が訪れた。


「もうむり!」


 ピクピク震えながら、シオンは背中から倒れこもうとする。俺は慌てて支えるべく腕を伸ばして、それが届く直前――


 唐突に訪れた"あの感覚"。時間停止だ。


 なんだ、何をした。何が起こった。


 しかし違和感は探すまでもなかった。


 気づけば俺はシオンを押し倒していた。


 しかも両手でおっぱいをしっかりと握りしめている。


 手の中に収まらないほどボリューミーなこの感触。揉み込むたびに形を変え、シオンの顔は真っ赤に染まる。いくら鈍感で性に疎いとはいえこれはさすがに恥ずかしいらしい。


「ちょちょっと!」


 こんなことがありうるのか? 令和のこの時代にこんなベタなラッキースケベが発生するなんてはずはない。だってあれは平成に取り残されたはず。


 つまりこれも――DIOの仕業。


「コウくん!? その……おっぱいに手が当たってるっていうか……」


 なんだそのわざとらしいセリフと恥じ入ったような表情は。


「ふざけんじゃねえ!」


「あぁ……あんっ、もうっ!」


 たまりにたまった憤懣を両手にまとわせて、丹念に揉む。


 沈み込むような柔らかさと指を弾くような若々しさを両立させた神秘の双丘。


「お前がDIOなんだろ。正直に言え。じゃなきゃずっと揉み続けるからな」


「だめだよ……っ」


 だめなわけあるかいっ! 


 頭の中の悪魔は天使をたやすく血祭りにあげた。今日は宴じゃ! 


 下着姿で俺をさんざん誘惑したくせに、だめだよなんてどの口が言うのか。どちらが上でどちらが下かを思い知らせてやらねば。


 口ではだめなんて言いつつも、シオンは抵抗らしい抵抗をすることはない。いやいやと首を振って唇を噛んでいるだけ。


 スウェットが邪魔だ。手を突っ込んで直にいじめてやる。


 いやいっそ脱がせるか。脱がせましょうそうしましょう。押し倒したシオンのスウェットを半分ほどずり上げれば、彼女も脱がせやすいように腕を上げてくれる。


 大人ぶった黒い下着と再会を果たしたそのとき。


 それはまるで全てを見ているみたいなタイミングで。


 ピンポーン、と場違いな音が鳴った。


「カエデちゃんだ……」


「…………」


「コウくんどいて」


 鬼気迫る声の圧に俺は押しのけられた。


 シオンは俺の下敷きから脱出し、何事もなかった風を装い始める。


 急いでズボンを履いて服の乱れを直し、インターホンに出ていつもと変わらない声音で、


「あいてるよ!」


 そして大きく息を吐いた。インターホンを切って俺に向き直る。眉を寄せて珍しく怒った表情だ。


「急におっぱい揉むのはやめてください」


「ごめんなさい」


「カエデちゃんに見られたら……怒られるじゃ済まないよ。過去存在したすべての拷問器具を試されるよ」


「それは言い過ぎだけど。シャーペンブッ刺されるくらいで許してくれるはず」


 ちなみにこれは経験談だ。あのとき俺が100パーセント悪かったが、それでも痛かったぜ……


「……とにかく、びっくりしちゃうから。もうやめてね」


「ごめんなさい」


 ガチャリと玄関が開いた。カエデは自分の家のような気軽さで上がってくる。いつも通りの澄ました顔だ。特におかしなところはない。


「夕食の前に宿題を少しでも済ませておきましょう。今夜は寝れないかもだから」


 濡れた制服を清楚で小綺麗な装いに変わっているカエデ。パンツ一丁の俺とシャワー終わりたてのシオンを目にして言った。


「何やってたの?」


 シオンがパタパタと顔を手で仰ぐ。


「なんにもしてないよ」


「なんにもしてないのが問題よね。――早くドライヤーしないと髪が痛むわ。それからコウはいつまでも裸を晒してないでシャワーを浴びたらどう?」


「うっす!」


 こういう時は逃げるが吉。体育会系のごとき従順さを示し、俺はいそいそとリビングを離れて脱衣所へ向かう。


 どでんと我が物顔でソファに腰を下ろしたカエデの死角で、シオンが囁きかけてきた。


「(セーフ!)」


「(セーフだな)」


「(……ていうかさ、そんなにすきなんだ)」


「(え? なに?)」


「(……なら次も黒買うね)」


 それだけ言ってシオンは脱衣所へ入り、ドライヤーを持ってすぐに出てくる。黒とはなんのことだ。


「急がないと先に宿題始めちゃうから」


「うっす!」


 今夜は長い戦いになるだろう。ここらで性欲ゲージをリセットしておかねばな……


 俺は風呂場へ向かう。

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