第36話 姉(兄)として
「あーちゃん、ここの訳し方だけど、使うのはこっちの意味じゃなくて」
「あ、そっか」
そして放課後、今日は食堂できょこに個人授業をつけてもらっている。
これは入学したときからずっと変わらずだ。例のグループワーク室を使うときもあれば、食堂や、今日みたいに放課後の教室でやる場合もある。
毎日欠かさず付き合わせてしまっているのは罪悪感も覚えるけれど、きょこにそれを聞いても絶対「私は大丈夫」と返されてしまう。
実際、彼女は一瞬たりともネガティブな反応は見せなかったし、今日も、どうしてかすごく楽しそうに勉強を教えてくれている。
「ねぇ、きょこ」
「なに、あーちゃん?」
「きょこは、先生とか目指してるの?」
「え、どうして?」
きょこが目をぱちくりと瞬かせる。
「なんとなくだけど……教え方どんどん上手くなっていくから、教え方の勉強とかしてるのかなって思って」
「先生かぁ……考えたことなかったかも」
「そうなんだ」
「私、将来のこと自体ってあまり考えてなかったから」
きょこはそう恥ずかしげに笑う。
「私はただあーちゃんに教えるのが……ううん、一緒にいるのが好きなだけ。私が先生役でいれば、放課後だってあーちゃんと一緒に過ごせるでしょう?」
好き、という言葉に一瞬ドキッとしてしまう。
もちろんそういう雰囲気ではないし、きょこの言葉に大げさに感じるような他意が無いのは分かっているけれどさぁ……! たぶんこれが天然タラシってやつだ。心臓に悪すぎる!
「それにあーちゃんもどんどん吸収してくれるから。私の教え方が上手いんじゃなくて、あーちゃんが凄いのよ」
「そ、そっかなぁ……」
「うん。そうだよぉ」
きょこはそう言って、ボクの頭を撫でた。
突然の、けれど自然すぎるその所作に、ボクは唖然としつつただ撫でられ人形になってしまう。
「やっぱり、あーちゃんって可愛い」
きょこはそう目を細めつつ、追い打ちしてくる。
「ふふっ、あーちゃんって可愛いって言われるの苦手でしょ」
「そ、そりゃあ……そういうきょこはどうなのさ」
「え、私? そうねぇ……。あまり言われないかな。親も、美也子の方が可愛がっていたし」
「ああ、長な……長女の宿命だね」
「そうね。でも美也子が可愛がってもらってるのを見ると、自分で言われる以上に嬉しいの。姉バカっていうのかしら」
「それは……」
ボクだって同じだ、と言いかけてつい口ごもる。
妹の百合。普段あまり褒められないボクと違って、いつだって周りから褒められている彼女の姿を見るのは、兄として誇らしくもあり……一方、足りない自分を補うために、余計な期待をかけてしまっているのではないかと、後ろめたさもあった。
純粋に百合のことを見てあげれていないんじゃないか……そう思うからこそ、ボクは未だに、百合のあの言葉……告白にちゃんと返事をできていない。
「ねえ、きょこ。変なこと聞くけどさ」
「なぁに?」
「もしも……美也子ちゃんから告白されたらどうする?」
「え?」
きょこは目を丸くする。
言っている意味が分からない、そんな反応だった。
「告白って、どういう告白?」
「えっと……」
まぁそうなるよな。
ボクだって、こんな風に聞かれれば絶対同じ反応をする。
世間一般で言う『告白』という言葉が何を意味するのか当然理解しているけれど、それが妹から向けられる言葉だって理解はやっぱり無い。
百合の場合は、告白なんてものよりもっとずっと深いものだったけれど。ボクが百合の兄で、妹のことを誰よりも理解できていなければ、冗談だって一蹴したところだ。
「恋人になりたいって意味の告白」
ボクの付け加えた補足に、きょこは目を瞬かせた。
驚き、戸惑いつつ、ボクの質問の奥にある真意を探ろうとしている感じ。
もしかしたら「これは友達の話なんだけど」が話者本人を指すように、ボクのこの質問もボク自身が実際にこの問題に直面していると疑われてしまったかもしれない。いや、それが事実なんだけどさ。
「美也子が、私と付き合いたいって……そういう告白?」
「う、うん……」
そう聞き返されると、ボクもはっきり頷きがたい。
この場において間違いなく、ボクの方が変なのは間違いないから。
「そうね……私は美也子をそういう風に見たことはないけれど……もしも本気なら、真剣に考えなきゃいけないって思うかなぁ」
「……嫌じゃない?」
「嫌じゃないよ。だってからかってるとかじゃなくて本気なんでしょう? でも、私が美也子を妹として好きだからって、簡単に答えを出していい話じゃないから」
「そう……だよね。ごめん、変なこと聞いて」
「ううん。理由は分からないけど、あーちゃんも真剣に聞いてくれてたのが分かったし、それなら私もちゃんと答えたいって思っただけだから」
そうにっこり笑うきょこ。変な質問をしたボクに対する嫌悪感は一切ない。
彼女ならきっと、もしも美也子ちゃんに告白されたとしたって、迷いながらでもお互いが納得できる答えを頑張って出すのだろう。
ただ言葉を濁し、答えを避けたボクとは人間レベルが違う。
「……もしかして、だけどさ」
きょこがボクの目を見る。じいっと、見てくる。
ボクもそんな彼女を見返して…………でも、言葉より先に、きょこは逃げるように手元へと視線を落とした。
「ううん、なんでもない。続きやりましょ」
「え? う、うん……」
きょこが何を聞こうとしていたのか、なんとなく分かっていた。話の流れ的にそれしかないし。
でも、踏みとどまった理由は…………駄目だ、ちょっと分からない。
(ただ本当に聞かれちゃってたら絶対困ったしなぁ。きょこに嘘は吐きたくないけど、本当のことなんて絶対言えないし。もしかしてきょこはそこまで察したから聞かなかった? いや、うーん……?)
「あーちゃん、勉強再開するんだから集中しないと駄目だよ?」
「あっ、ごめん」
やんわりと叱られ、ボクは姿勢を正す。
考えたって仕方が無い。話を逸らしてくれたことに感謝しなきゃ……そもそも、ボクが変な質問したのが全部悪いんだけど。
ああ、本当に口に戸を立てられたらいいのに。
そう思いながらも、きょこの時間をもらっているのだからとなんとか意識を勉強に戻す。
けれど、集中しようとする意識の片隅で――。
「…………」
普段より若干、きょこがじいっとボクの横顔を見てきているような、些細な違和感を覚えた。
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