第32話 妹に体を洗われるお兄ちゃん

「痒いところはありませんか、兄様」

「うん……」


 小さくぼそぼそと、周りに聞こえないように配慮しつつ話しかけてくる百合。

 ごしごしと手でボクの体にボディソープを塗りたくりつつ、時折股の間やおっぱいの谷間に手を滑り込ませつつ、体を洗ってくれる。


 妹に体を洗われるなんて……っていう気持ちもあるにはあるけれど、きょこにされるよりはまだ抵抗が薄いから不思議だ。

 百合にはボクが性転換して茫然自失としていたときに散々お世話されたっていう、ちょっとした諦めみたいなのもあるからかもしれない。


「むぅ……」


 そんな反応の薄さが気に食わないのか、百合は不満げな声を漏らした。


「別の女のこと、考えてますね」

「言い方、なんか怖いんだけど……」

「せっかく世界一可愛い妹が体を洗ってあげているというのに」

「世界一可愛いって……まぁ、間違いじゃないか。妹はお前しかいないわけだし」

「素直な兄様も素敵です」


 素直というか……この状況で百合の機嫌を損ねたら色々ピンチだと気がついたというか。


「しかし……まさか京子先輩にじゃんけんで負けるとは思いませんでした」

「お前、じゃんけんにも絶対勝てる自信あんの……?」

「いえ。ただ兄様と私を繋ぐ運命の強固さを思えば、兄様を巡ったじゃんけんで私が勝つのもまた必然だと信じていただけです」

「何言ってんの、お前」

「世界の真実です」


 どこの世界だよ、それ。


「しかし京子先輩はさすがですね。決して侮っていたわけではありませんが、この私が敗れるとは……素晴らしい運命改変力です」

「ああ、そう」

「しかし兄様。お気をつけください。先ほどまでの先輩とのやりとり……兄様に対して失礼とは承知の上で言わせていただきますと、少々悪手だったと言わざるを得ません」

「悪手……?」

「以前に言いましたよね。京子先輩には気をつけた方が良い、と」


 確かきょこたちと出会ったばかりの時に忠告された筈。でも、きょこ本人が危険とかじゃないとも言っていたし、ボクも気にしていなかったんだけど……。


「いや、確かにあのおっぱいは気をつけるべき危険なものだったかも……」

「そういう意味ではありません。言っておきますが、私はまだ成長過程ですから。いずれ兄様だって無視できない魅惑のバストを手に入れてみせます」


 何の宣言なんだ、それは。

 ボクとしては、そうですか頑張ってと言うほか無い……いや、そう言うのも変な気がする。相手は妹だし。


「話を戻しますが、気をつけるべきは京子先輩の取り巻きです」

「取り巻き?」

「いえ、それでは語弊がありますね。ファンというべきでしょうか」

「それって……お姉様とか慕うアレってこと?」

「はい」


 きょこに特定の、特別親しい後輩がいるというのをボクは見たことがない。

 というか、他に友達がいるかも分からないくらい、きょこはボクと一緒にいてくれている。

 まだ転入初日、寮に入って二日だから、きょこのことを知ってるって自信を持って言えるわけじゃないけれど。


「兄様は色々鈍感なので、やはり気がついていないかもしれませんが……兄様はさっそく京子先輩を慕う人達から、ものすごく嫉妬の視線を向けられているのです」

「えっ」

「だってそうでしょう。ぽっと出の、突然現れた転入生に京子先輩はべったりつきっきりで、妹のみゃこくらい……いえ、みゃこ以上にお世話してもらっているんですよ」

「でも、ただ転入生だからって気を遣ってくれているだけなんじゃあ……」

「そうかもしれません。けれど、それだけでないかもしれません。少なくとも私は、一週間、一ヶ月……少し時間が経ったからと、京子先輩が兄様から離れる姿は想像できません。俗な言い方をするならば……京子先輩は兄様にゾッコンなのです」

「ぞっ……!?」

「まあ、兄様の魅力を以てすれば当然のこと。もちろん兄様は私のものであり、私は兄様のものであるという、相互所持関係であることは明白であり、ゆくゆくは辞書にも五ページほどに渡って記載されるであろう普遍的な一般常識ではありますが、だからといって京子先輩が兄様に恋慕することを責める謂れはありません」


 れ、恋慕!?


 それよりも前に並べられた謎の言葉群が吹き飛ぶぐらい、衝撃的な言葉だった。

 きょこが、ボクを、そういう意味での好きってこと!?


「か、考えすぎだろ」

「そうかもしれません。けれど、そうでないかもしれません」

「気に入ってるのかよ、その言い回し……」

「多少」


 そうなんだ。


「まぁ真偽はともかくとして。先ほどから、ちらちらと視線を向けられていましたよ。目隠しをされている兄様はともかく、京子先輩も兄様の髪を洗うのに夢中で気がついていなかったようですが」

「それって、ボクがきょこに世話してもらってたから嫉妬されて……ってこと?」

「おそらく」


 百合は当然のように頷く。

 見えないから予想だけれど、きっといつもの憮然とした表情を浮かべているんだろう。


「自分はこんなに京子先輩を慕っているのに、ぽっと出の転入生に京子先輩を奪われた。しかも誰にも見せたことのない慈愛に満ちた表情で、熱い視線を向けて、あだ名で呼び合っている。まるで恋人ではないか……と、まさに京子先輩のその座を狙っていた人達からすれば脅威以外の何ものでもないでしょう」

「ま、まさかぁ……」

「女の子同士の恋愛なんて、フィクションの中だけだと思っていますか?」


 百合が、ボクの体を洗う手を止める。

 怒らせた、と一瞬疑ったけれど、なんてことのない、ただ体を流そうとシャワーに手を伸ばしただけだった。

 視界を塞がれながらも、百合が丁寧に、シャワーを適温に調整してくれているのが分かる。


「私も多少疑う気持ちがあったのは事実ですが……いざ誰かを好きになれば、性別もなにも関係ないと理解しました。好きになってしまったら、どうしようもないのです」

「私も理解した……って?」

「お体、流しますね」


 百合はそう言って、ボクの体にシャワーを当てる。


「当然、兄様が姉様になられても、私が兄様に向ける愛は依然変わりなく、という意味です」


 シャワーでボクの体を流しながら、耳元で囁く百合。


 先ほどからの『兄様』呼び、周りに聞こえないくらいのぼそぼそとした声量で気を遣っていたのは分かっていたけれど、シャワーの音でかき消されないよう、しっかり吐息が触れるくらいまでの距離に口を近づけてきた。

 当然、何も見えていないボクには不意打ちも良いところ。思わず肩を跳ねさせてしまったけれど、そんなの当然予期している百合にがっしりと押さえられてしまった。


「なので、兄様。もしも女子とイチャイチャし、その柔肌を弄びたいと思われた際は、ぜひ私にお声がけください。兄様の頼みであれば火の中水の中。私はいつでも全てを捧げる覚悟ですから」

「な、なんだよその着地のさせ方……!?」

「なんなら、今からでもいいですよ。さすがに行為に及べば今している密談のように周りに隠してはおけませんが……行き過ぎた――いいえ、素晴らしく先進的な姉妹愛としてきっと祝福されるでしょう」

「なんだそれ……」

「ふふっ」


 百合は意味深に笑いつつ、シャワーを止める。


「さあ……姉様、綺麗になりましたよ」


 わざわざ『姉様』呼びに切り替える百合。

 もしかしたら視界の塞がれたボクへの配慮だったのかもしれない。同時に、後ろの方から声がした。


「百合ちゃん、終わった?」

「はい、京子先輩。私も同時に洗っていたのでバッチリです」


 声を掛けてきたのはきょこだった。

 きょこが自分の髪を洗って、体を洗い終えるまで……きっちり、じっくり、百合はボクと、ついでに自分の体を洗い終えた。


 百合がしてきた話は、その間を持たせるだけの雑談だったのか、それとも本気の忠告だったのか……表情も見えないボクには、どうにも測りかねるけれど。


(チラチラ見られてる……嫉妬されてる、か)


 百合が変なことを言うから、つい疑心暗鬼になってしまう。

 例えば……きょこがボクの髪を洗い終わった直後、百合がタイミング良く声を掛けてきたこととか。今、百合がボクの体を洗い終えたちょうどのタイミングできょこが声を掛けてきたこととか。

 そんなことにも何か意味があったんじゃないかと、少し、疑ってしまう。


(って……それは考えすぎだろ)


 ミステリー映画で、登場人物全員怪しく見えるみたいな話だ。まぁ、今のボクには誰も見えていないけれど。

 ただ、きょこのファンから鋭い視線を向けられていたっていうのは本当だろうなぁ。できれば余計な恨みなんか買いたくないし、きょこに矛先が向いても嫌だし……。


 うん、できるだけ気をつけよう。ボクときょこは出会ったばかりの普通の友達なんだ。きょこだって転入してきたボクに気を遣ってくれていて……それにボクが甘え倒しているから、周りには変に見えているに違いない。


 ボクがもっとしっかりすれば、自ずと誤解も解けるはず! きょこが良い友達であることには変わりはないけれど、ちゃんと節度は保たないとナァ!




 そう………………思ってました。

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