第30話 重大イベント
女子寮に入るに辺り、最も避けられない重大イベント――それは、お風呂だ。
先述の通り、この寮には各部屋にお風呂がついていない。
あるのは大浴場。そして軽く汗を流すためのシャワールームが幾つかだ。
昨日、入寮初日はシャワーでこそこそさっと済ました。
確かに元男子であるボクからしたら、女子風呂というのは実に心が躍る桃源郷と言えなくもない。さすがに犯罪を犯してまで覗こうという気はないけれど、興味を引かれないと言えば嘘になる。
ただ、ボクは突然性転換し、合法的に女子風呂に入る権利を得てしまった。地味に整備された法的なガイドラインでも、今後は女性用施設(風呂やトイレなど)を利用するよう明言されている。マッチングアプリも女性用料金で使用できる、らしい。知らんけど。
現実問題として、性自認がどうこうっていう話が社会で強く語られる話題なのは薄らとだけれど知っている。でも、こうなった今となっては、女性の体で男子風呂に入るなんてのは、それはそれで無理だって思う。でも……。
とはいえやっぱり、この環境においてはほんの一部の人を除きみんな、ボクが生まれながらの女性だと思っているわけで……。
「あーちゃん、この後一緒にお風呂行かない?」
「えっ」
晩ご飯を食べていると、さっそくきょこにそう誘われてしまった!
「いいね。アタシも一緒していい?」
「もちろん、恵那さん」
「あ、いや……」
「昨日誘おうとしたら、もうシャワー浴びたって言われちゃったから……今日はさすがにまだでしょう?」
「そ、そうだけど……」
ちらっと、隣のテーブルで美也子ちゃんと食事を取っている百合に視線を向ける。
美也子ちゃんと会話しつつもバッチリ聞いていたんだろう、百合は控えめに肩をすくめた。
性転換し、合法的に女子風呂には入れる……けれど、正直ボクはそれに抵抗があった。合法とはいえ、やっぱり卑怯なことをしている気分が拭えないからだ。
未だに公共の女子トイレも使いづらいし、ましてや女子風呂……それも友達となんて!
きょこも恵那ちゃんもどっちも美人だ。とんでもない美人だ。その裸を見てしまったら、絶対に興奮してイヤらしい目を向けてしまうだろうと確信できるくらいに。
そしてそれは役得なんてものじゃなく、必ず罪悪感になって帰ってくる。友達に、自分を無害だと思い信頼してくれる人達に、一方的に邪な感情を向けるなんて、人でなしにもほどがある。
「ぼ、ボクはちょっと、恥ずかしいから……」
「恥ずかしい? どうして」
恵那ちゃんが素直で真っ直ぐな目で見てくる。うう、罪悪感が……。
「だって、二人とも綺麗だし……」
「えー、それ、碧が言う? 謙遜通り越して、嫌味みたいになっちゃうよ」
「そうね。あーちゃん可愛いし、スタイルだって、なんかこう……妖精さんみたいですごく素敵だと思うわ」
ああ、駄目だ。恥ずかしいなら仕方ないね、という慈悲を願ってみたけれど、二人にとってボクは慈悲を与えるほど弱い存在じゃなかったらしい。まったく買いかぶりもいいところだ。
「あーちゃんは、そんなに私達とお風呂行くの、嫌?」
「うぐ……!」
むしろ逆に、上目遣いに、こちらの庇護欲をかき立てるような潤んだ視線を向けてくるきょこ。
駄目だ……可愛すぎる……!
ボク如きが考える理論武装では到底拒絶しきれない……けれど、ここで誘惑に負けてしまったら、ボクはもうきょこや恵那ちゃん達と普通の友達には戻れない気がする。
こうなったら……!
「京子先輩、そのくらいで」
百合!
ボクが頼ろうとしたその瞬間、既に百合は動き出していた!
まるでテレパシーか何かでボクの思考を覗いていたような、そんな狙い澄ましたタイミングに頼もしさを覚えずにはいられない。
「姉様はシャイな方なのです。妹である私に対しても、その素肌を晒すことに非常に後ろ向きでして……」
「百合ちゃんにも……そうなんだ」
家族にも裸を見せたくない。
それはきょこにも恵那ちゃんにも、説得力ある言葉だったみたいだ。
さすが百合。よっ、未来の総理大臣っ!
「……私としても姉様の素肌は、ぜひ拝み、撮影し、ゆくゆくは写真集としてその神性さを世界中にあまねく知らしめたいと思っているのですが」
「そんな野望が!?」
自分の裸の写真が世界に広まるとか……それは女子風呂に入るのとはまた別の意味で嫌だ。普通に、絶対嫌だ!
「……姉様。どうでしょう。多少勇気を出してみるのは」
「一瞬でそっち側に!?」
味方だったんじゃないの!?
「私だって人並みに、いえ人並み以上に姉様の裸に興味があります。なんたって、今日の姉様は今日限りの存在。明日には明日の姉様になってしまう。今日、この瞬間を収めるチャンスは今日しかないのです」
すごく真面目な表情でよく分からないことを自信満々に言い切る百合。
「確かに……!」
「百合ちゃんの言うことも尤もだ」
それに同意してうんうん頷くきょこと恵那ちゃん。
本当に分かってる? 百合という味方を手放さまいととりあえず乗っかっているだけじゃないのか!?
「喉元過ぎれば熱さを忘れる、という言葉もあります。怖いのは最初だけですよ」
「うんうん、百合ちゃんの言うとおり!」
「何事も経験だよ!」
「あたしも碧先輩と一緒にお風呂入りたーい!」
三人と、更に美也子ちゃんも加わって、ボクの劣勢は加速していく。
民主主義、多数決の原則からすれば完全にボクの負け……そもそもボクの事情を知っている百合があちら側に回った時点で、どうしようもなかったのかもしれない。
いや、でも……。
「でしたら姉様、こうしましょう」
百合はそう言ってボクの後ろに回り……両手で、ボクの目を覆ってきた!
「姉様は周りからの視線が気になるのでしょう? であれば、逆に姉様の目を覆ってしまえばいいのです」
(こいつ……!)
本当に「みんなに裸を見られるのが恥ずかしい」という理由でまごついているのならば、自分の目を塞いだところで全く解決にはならない。ただの気休めだ。
しかし百合は、ボクが元男だからみんなの裸を見ることに罪悪感を抱いていることを分かっている。
その上での最大の解決策――そしてこれは、これ以上の譲歩はないと暗にほのめかしている。ボクに「お風呂に入らない」という選択肢はない、と。
「もちろん、私が誠心誠意、姉様の入浴を隅から隅までサポートさせていただきますのでご安心ください。いかがでしょうか」
ここが底値。これを断れば、「それでは京子先輩にも手伝っていただきましょう」とか言い出して、ボクにとって不利な条件が加算されていくことも十分あり得る。
いつも通り感情薄めでありながら、どこか勝ち誇ったように見える百合を恨みをこめてにらみ返しつつ……こうなってはボクに取れる選択は一つしか無かった。
「……分かったよ」
項垂れるボクに、百合は満足げな笑みを浮かべた。
一つ良かったのは、きょこも恵那ちゃんも、百合が良いって言ってるならボクがそれほど本気で嫌がってないんだろうって思ってくれているだろうってこと。
こんな状況になってしまったら今となっては、二人の顔色が曇らないのが一番だ。
百合の言うとおり目隠しして入れば多分問題無い……他ならぬ女性である百合がそう言っているんだから。
「兄様」
百合が顔を近づけ、耳元に囁いてくる。
「私は、兄様になら全て見られても大丈夫ですよ。なんなら今日の夜、私の裸を隅から隅まで解説しても構わないくらいです」
「どういう理由でだよ、それ……」
「兄様が兄様で、私が妹である以上の意味はありません」
さも当然のように、百合はそう言ってくすりと笑う。
もしかしたら百合も、ボクが肉体的に女性になったから、その辺の価値観が緩んでいると思っているのかもしれない。
「やったぁ! あーちゃんとお風呂!」
「楽しみですっ!」
「なんだか緊張しちゃうなあ」
きょこ、美也子ちゃん、恵那ちゃんが盛り上がるのをよそに、ボクは四面楚歌ってこういうことかと深く実感するのだった。
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