第19話 二人暮らし

「むぅ~……」

「うい、いえんをあおいえうえお(百合、機嫌を直してくれよ)」

「兄様がデレデレなさるからです」


 僕らにあてがわれた寮の部屋は、三○六号室。

 学生寮はちょっとしたホテルみたいな出で立ち、確かに高校の生徒ほぼ全員が入れられるんだろうなってくらいには巨大だった。


 実は管理人さんも奏さんだけじゃないらしく、何人かいらっしゃるらしい。でも、それぞれ担当する生徒が決まっていて、ボクらを見てくれるのはやっぱり奏さんらしい。

 でも食事の準備は複数人でやるから、別に毎回奏さんの手料理が食べられるって感じじゃないみたいで……それはちょっと残念かも。


「……兄様」

「いあい、いあいお、うい(痛い、痛いよ、百合)」


 そして今、部屋まで段ボールを運んでもらい、「荷ほどき手伝おっか?」と聞いてくれた奏さんに遠慮し、二人きりになって……百合はさっそくボクの両頬をぐにっと抓ってきた。

 ちゃっかり呼び方を姉様から兄様に戻しつつ。


「さっそく当たりましたね。兄様はもっと警戒なさるべきだと」

「いたた……ボクが何したっていうんだよ」

「さっそく管理人さんを誘惑していたじゃないですか。妹に思ってもいいか、なんて」

「別にボクが何かしたってわけじゃ……それに向こうだって、ただからかってただけだって」

「分かりませんよ。だって兄様だけ名指しだったではないですか。私には妹になってほしいなんて言わなかったのに」

「そんなの、百合にはもうボクがいるからだろ」

「あ…………なるほど」

「気付いてなかったのか?」


 百合の兄――でなく、姉はもうボクがいるのに、そんな百合を妹にしたいなんて言ったら、それこそボクから取ろうとしているみたいじゃないか。


 ボクだけに言ったのは場の雰囲気を和ませるためだけ。案外、ボクの魅力がどうのっていうのも、百合が気にしすぎなだけな気がするなぁ。


「ほら、荷ほどきやっちゃおう。のんびりしてたら明日までに間に合わないぞ」

「はい。兄様」

「あ……そうだ、百合。ベッド、どうしよっか」


 ボクらがこれから寝泊まりすることのなる三○六号室には二段ベッドが一つ置かれていた。他には勉強漬けが二つ、クローゼットが二つ置かれていて、フローリングの床にはラグが敷いてあった。


 トイレは部屋の中に一つあるけどお風呂はない。あと廊下に一口コンロ(IH)がついた小さなキッチンがあって、そこに冷蔵庫も置かれていた。

 テレビはないけれど、必要であれば奏さんに言えば置いてもらえるらしい。でも、共用スペースにも置かれているみたいだし、部屋に置いたらその分狭くなっちゃうので、レイアウトとかは追々だろうな。


「上と下、どっちに寝たい?」

「……兄様は?」

「ボクはどっちでもいいよ」

「そうですか。それでは……上で」

「あ、そうなんだ。てっきり下がいいって言うと思ったけど」


 こういう二段ベッドって上の方が取り合いになるイメージだ。なんとなくだけど。

 そして百合はこういうとき結構遠慮するタイプ。当たり前に上を譲ってきそうな気がしていた。


「確かに、下なら兄様の背中を眺めながら眠れますが」

「千里眼の持ち主かよ、お前は」

「いいえ。残念ながら私には感じることしかできないので……それであれば、兄様の視線を背中に感じながら眠る方が、よほど幸せなのではないかと思ったのです」


 大げさな……ボクだってベッドを透視できる特別な目は持ち合わせていない。そもそもボクが仰向けで眠る保証もないし。

 正直、性転換してからというもの、胸が重くて仰向けだと上手く眠れないんだよな。

 ……なんて言うと、まさにやぶ蛇になりそうなのでそんな本音はぐっと飲み込み――


「いや、ボクにもそういう能力ないから」


 それらしいツッコミで代用しておく。まぁこれも本音ではあるけれど。

 そんなわけであっさりベッドも決まったので、引っ越しの荷ほどきを進めていく。

 といっても段ボール四個、一人二個分しか持ってきていない。着替えをクローゼットに詰め、教科書類を机の本棚に挿していくくらいであっという間に終わってしまった。


「なんだか、ほわほわします」

「ん?」

「兄様と、これから、同じ部屋で暮らすんだって思ったら……」

「そうだな……ボクもなんだか不思議な気分だ」


 生まれたときからずっと同じ家で育ってきた兄と妹だけれど、性別の違いからそれぞれ個室が与えられていた。百合は何度も勝手にボクの部屋に侵入してきていたけれど、おおっぴらに同じ部屋で過ごすというのは、またそれとはちょっと違う感じがする。


「この部屋なら、兄様の寝顔も、下着も、何もかも堪能し放題……」

「し放題じゃないが!?」


 感傷もほどほどに、早速妹の狂気に触れ早速内心ガタガタ震えていると、不意に入口のドアがノックされた。

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