第8話 性別が変わってもお兄ちゃんはお兄ちゃん

「……今日だけだぞ。明日からはちゃんと学校行けよ」


 結局、ボクは押し切られた。かろうじて今日だけという制限は設けたけれど、かろうじてだ。

 百合がこの制限を守る保証は全く無い。


 思えば、百合と並んでベッドに横たわるなんていつぶりだろうか。散々勝手にベッドで寝られてきたけれど。


 布団に残った残り香よりずっと、百合の香りを感じる。同じシャンプーやボディソープを使っているはずなのに、やけに鼻に残る甘い香り。

 同じ屋根の下に暮らし、同じ血を流し、今では性別まで同じになった。そういう意味ではより近い存在になっただろうに、こういうところは別の生き物って感じさせる。


 ……なんて考えてしまうのはちょっと気持ち悪いかもしれないけれど。

 でも……。

 


「すぅ……はぁ……兄様の香り、とても良いです……」


 積極的にボクの首元に鼻を近づけ嗅いでくる、こいつほどじゃないけど。

 あんまり嗅がれるとボクってもしかして臭いんじゃ……って気がして、別の意味で怖くなる。

 同時に、百合が臭い物フェチなんじゃないか、とか。


「……兄様」

「なんだよ」

「大丈夫ですよ。兄様は、どんなお姿になっても、私にとって大切な兄様ですから」

「ん……ありがと」


 急に真面目な感じになる。今ボクが心配していたのは全く別のことだけれど……でも、その気遣いは素直に嬉しかった。

 どこまでも自由にボクを振り回す百合だけれど、その言葉はなんだか今自分が求める一番のものな気がして……。


「ボクも……ボクにとっても百合は大切な妹だ」


 寝転がったまま、百合の頭を撫でる。

 百合は嬉しそうに頬を緩めて、ボクの大きく腫れ上がった胸に顔を埋めてきた。

 くすぐったいけれど……まあ、いっか。別に減るもんじゃないし。むしろ減らしてくれたら男に戻れそうな気もするんだけど。


「明日から……ちゃんと学校に行きます」

「うん。そうしてくれ」

「兄様は家に一人で寂しくないですか? ご飯とか、ちゃんと食べられますか?」

「なんとかするよ。父さん達もいない間のご飯はいつも買っておいてくれてるし」

「お外に出ないで……気持ちが沈んだりしませんか?」

「……大丈夫」


 百合を軽く抱きしめ、頭を撫でつつ、ああ、随分心配かけちゃってたんだなぁ、と反省するボク。

 突然降りかかった災難への向き合い方はまだ分からないけれど……少なくとも妹の前ではボクはお兄ちゃんなのに代わりはない。


 だから、しっかりなくちゃ。こんな状況でも、どんなに混乱しても、未来が真っ暗でも、泣いてわめいて当たり散らしたりしちゃ絶対にいけない。

 そう理性を保てるのは、やっぱり百合がいてくれるおかげだ。

 もしもボクが一人っ子で、百合みたいな優秀だけど手の掛かるちょっと変な妹がいてくれなかったら……本当に塞ぎ込んでしまっていかもしれない。


「兄様……私、眠くなっちゃいました……」

「うん。そのまま寝ちゃっていいよ」

「兄様も一緒に眠ってくれますか……? なんだか、一緒に眠れたら、兄様と同じ夢が見られる気がして……」

「どうだろ……いや、そうだな。たまには百合の夢に相乗りさせてもらうか」

「はい……やっぱり兄様、百人乗っても大丈夫ですから……」

「何がやっぱりなんだ?」


 既に微睡みの中にあったんだろう。百合はそのまま、気持ちよさげな寝息を立て始めた。

 あまりにすぐすぎるけれど、そういえば百合はずっと一緒にいてくれたんだもんな。


 万が一ボクが誤った行動を取らないように、気を張っていたのかもしれない。


「すぅ……すぅ……にいさま……」


 軽く寝言も言いつつ、それでもまるで起きているかと思うくらいに百合の両腕はボクの体をがっちりホールドしてきていて……抜け出すのは無理そうだ。


 正直こっちはなんか変な緊張感があって、逆に目も冴えてしまっているんだけど……いや、そもそも妹と添い寝するくらいで緊張するなんて、お兄ちゃんとしてどうなんだろう?


 それってなんか変に妹を意識しているみたいで、違う気がするし……いや、これは変にいびきかいちゃったり、寝返りを打った弾みでうっかり潰しちゃわないかとか、そういう心配故の緊張だ!


 兄たるもの、もっとどっしりと構えて、妹のちょっとしたワガママくらい受け止められるくらいじゃないといけない。

 甘えてくれるのだって今だけだと思うし、そのうちボクの服と一緒に洗濯するのも嫌がるようになるかもしれないし……いや、同性になった今、そこまで拒否もされないだろうか。どうなんだろ……。


(とにかく、女の子にはなっちゃったけれど……ボクは百合の兄としてちゃんとしよう。うん、それが百合にとっても一番な筈だ!)


 あの女医さんの話じゃ、もう戻るのは絶望的かもしれない。


 正直信じたくないし、完全に受け入れられたわけじゃない。

 このまま女の子として生きていくのは不安だ。周りの目も怖い。


 でも、やれることからやっていかなきゃどうしたってつらいことばかり考えてしまうから……ボクはぐっと拳を握り、決意を固めるのだった。

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