第7話 百合の色仕掛け

「……ふぅ」


 百合から解放されたボクはベッドに寝転んで一息吐く。

 いや、彼女が鬱陶しいと思っているわけじゃない。むしろ感謝……いや、申し訳なさを感じている。


 ボクが女性になってから三日、百合は今日もボクに付き添って学校を休んでいる。ボクが一人で現実に打ちひしがれて落ち込まないよう気を遣ってくれているんだと思う……多分。そう思いたい。


 ボクも兄として……とは、もう物理的な意味でそうは言えないかもしれないけれど、とにかく百合の前で情けない姿はあまり見せたくないんだ。

 百合の足を引っ張りたくない。


「白姫女学院かぁ……」


 百合はああ言ってくれたけれど、多分ボクはそこにはいけない。

 やっぱり学力が足りないし、仮に百合の兄、姉だから進学を許してくれるという事態になっても、それは百合の努力に相乗りしているだけだ。


 百合が努力しているのは総理大臣になるっていう夢があるため。

 直接口に出すのは恥ずかしいけれど、ボクは百合ならなれるって信じてる。百合は特別なんだ……それは人としてもそうだし、ボクにとってって意味でもある。


 なのに、もしもボクがいることで百合に何か不利なこと、悪評が広まりでもしたら、それはもう性転換がどうとか、そんなレベルじゃない失態だ。


 一人暮らしするっていうのは悪くないと思う。慣れない女の子の体、家事もろくにできないボクには不安が大きいけれど、このまま引きこもるよりはずっとマシなはず。

 問題はやっぱりお金かぁ……高校中退でアルバイトしながらなんとか生活できるかも。それとも、もしかしたら何か補助金が出たり……いや、でもどの程度のものか分からないし、そんな生活がいつまで続くだろう。

 いつか百合が有名になったとき、彼女にそんな姉がいるって世間に知られたら、やっぱり百合の足を引っ張る気がするし。


「……はぁ」


 心が重たい。胸も重たい。寝転がっているだけで息苦しい。


 性転換する直前のあの夜に見た夢――バスケに挫折しながら辞められない悩みも、今ではすごく浮かれたものに思えた。

 まあでも、こうなった結果、あの現実から解放されたのは、数少ない良かったことになるのかな……。


(……なんて、現実逃避もいいところだ。ボールに触りたくたって触れないんだから)


「兄様」

「百合、もう戻ってきた……ってなんだその格好!?」

「似合いますか? 我ながら、少々大人っぽすぎるという自覚はありますが。いざという時の為に用意しておいたのです」


 服の裾を指でつまみつつ、その場でくるっとターンする百合。

 先ほどまで普通の私服を着ていた彼女が、なぜか今は見たことのない、スケスケのネグリジェを纏っていた!


「今日はこれで、兄様に添い寝してあげようかと」

「いや、意味がわからん!」

「兄様、お辛そうなお顔をされているので」


 百合はそう心配そうにボクの頬を撫でた。

 そうか、ボクは、百合の前でも不安を顔に出して……。


「はぁ、はぁ。兄様の頬、すべすべで気持ちいい……」

「…………」


 ボクの素直な反省を返してくれ。


「ほら、兄様。早速お昼寝しますよ。お昼寝はとっても体にいいのです。私の成功の秘訣は、お昼寝(※主目的は兄様のにおいの摂取)と言っても過言ではありませんので」

「今、何か注釈がついていた気がしたんだけど」

「はて、ちゅーしゃく? それってチューを拝借したいという意味でしょうか。まったく兄様はえっちな人ですね。私でなければ引いていたかもしれません。でも私は兄様の妹ですから、チューでもキューでもなんでもござれですよ。はい、ん~~……」

「ちょ、ちょ、ちょ!? ガンガン進むな! ツッコミを待て!!」


 目を閉じ、顔を近づけてくる百合を必死に押し返す。

 案外力は弱くて、簡単に引いてくれたけれど……もしかして冗談だった? って、冗談に決まってるよな。どうか冗談であってくれ、一生のお願いだから!


「……なあ、百合。こんなことしてないで、明日はちゃんと学校に行けよ?」

「なんですか、藪から棒に。ツンデレですか」

「素直に心配してるの! 兄として!」


 優等生の百合がもう三日も学校を休んでしまっている。それは絶対に良くないことだ。後から、実はそれまで皆勤賞だったことにも気付いて……もっと早く気付けていたら、絶対休ませたりなんかしなかったのに。


「ボクなんかに気を遣って、自分を犠牲にする必要ないんだぞ。今だって……」

「聞き捨てなりません」

「え?」

「兄様はなんかではありません。自分を犠牲にしてもいません。今、ここにいることこそ私の使命。私の生きる意味です。今の兄様を一人にしてしまうなんて、そんなの……」

「百合……」


「もったいないじゃないですか!」

「……へ?」

「確かに兄様が女の子になられたときは驚きました。ショックも受けました。おっぱい、私より大きいし……でも、冷静になったら、兄様がこんなに可愛い女の子になるなんて、いっぱい堪能して少しでも独り占めしないともったいないと気がついたのです!」


 珍しく興奮した様子で、力説してくる百合。

 もしかしてこいつ……女の子が好きだったのか!? そういう意味で!


「ぼ、ボクは兄だぞ?」

「兄様だからいいのです」

「いや……」

「ああ、もっと嗅がせてください。抱きしめさせてください。大丈夫、兄様が嫌がることはしません。むしろ女の子同士ならこうして抱きしめ合ったり、一緒のベッドで寝ることは当たり前。白女の学生寮でも、ベッドは一つしかないという話ですし」

「そうなの!? 添い寝強要してくるの!?」

「だから、事前に練習しておくべきだと思うのです。予習復習は大事ですから」


 百合はそう言いながら、ボクに抱きついてくる。一人用のシングルベッド。それが広く感じるくらい、ぴっとり密着してくる。


「ちょ、百合……」

「兄様は嫌ですか……?」

「う……」


 うろたえたのは百合の色仕掛けに乗せられたからじゃない。


 ただ、上目遣いにボクを見てくる百合のその表情……不安げで、今にも泣き出してしまいそうなその頼りない姿に、兄としてのボクが揺さぶられたんだ。


 こんなこと、多分良くない。学校をサボって、昼間っから実の兄と抱き合って眠るとか、高校生として、さらには未来の総理大臣として良くない……っていうのは分かってる。

 でも、妹にこんな表情をさせるのも間違っていると、そう思ってしまって……。


 こんな時、こんな妹を前に、兄の取れる行動なんて、たったひとつしかなかった。

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