絶対に兄様と結婚したい妹VS突然女の子になっちゃったお兄ちゃん

としぞう

第1話 僕の自慢の妹

「ゆり、しょーらいそーりだいじんになる」


 僕の背中におぶられながら、妹はそう、涙声で宣言した。


 その日、妹は珍しく……いや、始めて友達と大げんかをして、そりゃあもう周囲を巻き込んで大変な騒ぎになってしまったらしい。

 妹とその喧嘩相手は容赦なくお互いを叩き、ひっかきの大乱闘で、先生方さえ萎縮してしまうほどで……。


 僕が話を聞き駆けつけた頃には沈静化して、両者痛み分けって感じで蹴りはついていたみたいだったけれど、どちらが最初に喧嘩をふっかけたのか、どちらが被害者なのか、結局分からないまま、僕は妹を連れて帰路につくこととなった。


 両親に連絡するという方法もあっただろうけど、余計な心配を掛けてしまうのが申し訳なく……いや、終わったことなら大事にするのも面倒で……そう、僕は面倒を優先して、この話を親には黙っておくことに決めた。

 その点は教師とも合意。彼らも親を巻き込んでの大事なんて避けたいのだ。教育者として、他人の子どもを預かる身として正解かはともかく、僕にとってはありがたかった。

 とにかく、そんな帰り道で妹はさっきの宣言をしたのだ。なんの脈絡も無く、けれどとてつもなく真剣な表情で。


 妹が小学一年生。僕が小学二年生の頃の話である。




 それから時が経ち――現在、妹は高校一年生になった。


 小、中と同じ地域の公立校に通っていた彼女が、高校からは僕とは別の、電車で片道一時間かかる私立高校に進学した理由は、彼女が酷く優秀だったからだ。

 あの日の宣言以降、元々好きじゃなかった勉強に真剣に打ち込むようになった彼女は、あっという間で僕が持つ一年というアドバンテージをひっくり返し、小学校を卒業する頃には既に中学二年生分の勉強を独学でかたづけるまでに至っていた。


「総理大臣になるには、誰よりも努力をしなければいけませんから」


 背筋をピンと伸ばし、妹は当然のように言った。

 両親はその優秀さとひたむきな努力に胸を打たれ、妹に中学受験を勧めた。


 けれど、彼女は頑なに拒否し、僕と同じ最寄りの公立中学への入学を決めた。

 誰もが、僕さえももったいないと思ったけれど、妹の狙いは別にあった。

 妹はあらゆる全国模試、統一テストで一年から三年まで、通して全国一位を取り続けた。

 もしも有名私立中学に通っていたら、学校の名前によって薄まっていただろう。


 しかし、どこにでもる、誰でも入れるような公立中学校から、優秀すぎる天才が輩出されたとなれば……それは彼女の力に他ならない。

 そうして、当然のように伝説を作り上げた妹は、多くの高校からスカウトを受けつつも、県内屈指のお嬢様校である、白姫女学院高等学校への特待生入学を決めたのだ。



 

 そして、現在――。


「ただいまー」


 バスケ部の活動を終え、帰宅すると、家の中は真っ暗だった。

 両親は共働き、内父親は現在単身赴任中と、この暗さには見慣れている。

 ただ、片道一時間かかるとはいえ、妹は帰宅部で、大体この時間には帰ってきているはず。

 なのにリビングに灯りが無いってことは……いつものか。


「ただいま」


 誰もいないだろうな、と思いつつもそう言ってリビングに入る。当然返事はない。

 次に、脱衣所に向かい、汗だくになったシャツとタオルを洗濯カゴにイン。

 そしてキッチンに戻って、適当に飲み物を飲んで脱力した後……溜息を吐きつつ、自室に向かう。


――コンコンッ。


 自室だけれど、一応ノックしておく。返事が返ってきたことは今までないけれど。


「……入るぞ」


 自室だけれど、そう宣言してからドアを開ける。返事が返ってきたことは今までないけれど。

 ……ただし、自室だけれど、部屋の中には既に誰かの気配があった。


「すぅ……すぅ……」

「……やっぱり」


 部屋の電気を消し、ベッドの上で寝息を立てる……僕の妹。

 素晴らしき秀才であり天才。その名も天海百合。

 僕より先に帰り、僕のベッドで惰眠を貪る――それが、妹の日課だった。


「うぅん……にぃ、さま……」


 軽く寝返りを打ちつつ、間抜けな寝言を漏らす未来の総理大臣様。

 最初の頃は驚き、尻餅をつき、何が起きているか分からないまま数分フリーズした僕だけれど、今ではもう慣れてしまった。

 なんたって僕が高校に入学してから、彼女は度々、こうしてベッドに侵入するようになったのだから。この四月に高校に入ってからもなお、この悪癖は解消される気配がない。

 こうも堂々と繰り返されては、今更驚きも、呆れも無かった。


「百合」


 そう彼女を呼びつつ、部屋の電気をつける。

 突然の、網膜を刺激する光の到来に、百合は不快そうに身じろぎつつ……ゆっくりと目を開け、僕を見た。


「あ……兄様」

「ただいま、百合」

「おかえりなさい、兄様」


 大きな犬のぬいぐるみ(百合が自室から持参したもの)を抱きしめつつ、彼女は起き上がる。

 今日もやっぱりいつも通り……なぜか、下着しかつけていない。


「百合、いつも言っているけれど、その格好……」

「格好がどうかしましたか?」

「……風邪引くぞ」

「私が生まれてから一度も風邪にかかったことがないのは、兄様もご存じの筈です」


 心外そうに頬を膨らます妹。

 彼女はなぜか、いつも、下着姿で僕のベッドで寝ている。

 おかげで、毎晩寝ようとすると、ベッドの中は百合の匂いが染みついてしまっていて、落ち着かない。


「兄様」


 ベッドの上で女座りをしながら、手を広げて見せてくる妹。


「しません」

「してください」

「しないって」

「未来の総理大臣の命令です」

「職権乱用は駄目だろ」

「まだなってないので無問題です」


 どやっと胸を張る妹。ブラジャーで押さえられた胸がぷるんと揺れた。

 成長期甚だしい彼女は、日に日に女性らしく成長を続けている。

 バスケ部でありながら、高校入学以来殆ど全く身長が伸びない僕からしたら羨ましい意外の何物でも無い。


 そんな妹だけれど、僕の前では時が止まったように、小学生の頃と変わらず甘えてくる。

 今のも、「ハグして」という何の脈絡も無いおねだりだ。

 思春期真っ盛りな今、そろそろ反抗期でも迎えそうなものなのに……言葉遣いや普段の態度が洗練されていくのに、こういうところは変わる気配を見せない。


「兄様成分が足りていないのです。もしも拒否されるのであれば、私もこうやって、毎日兄様成分の補給に勤しまなければなりません」


 こうやって、というのは昼寝のことらしい。


「そう言いながら、前に応えてやった時も変わらなかったじゃないか」

「だって、あれは一瞬だったじゃないですか。せめて一時間は抱きしめていただかないと」

「……どうしてうちの妹はこんなにブラコンをこじらせてしまったんだ」

「それは私にとって最高の褒め言葉です。家族思いの良くできた妹をもっと褒めて、頭を撫でて、抱きしめて、そのまま一緒にお昼寝の続きを楽しんでもいいと思いますよ」


 こんな残念な妹だが、外では褒めそやされ、名門女学院では通い始めたばかりにも関わらず、才女として注目を集めているらしい。まあ、首席入学だからなぁ。

 この、家での問題行動を広めてしまえば、彼女への評価も変わるだろうけど……僕には妹の顔に泥を塗る勇気は無い。そもそもメリットも無い。

 妹のブラコンを矯正しようと強硬手段に出たって、どうせ彼女はケロッとした顔で受け入れるだろうし。


「あっ、そうだ。こうはしていられません。早く脱衣所に行って、兄様が使ったシャツとタオルを回収しなくては」

「すな!」


 断じて断っておくけれど、僕は、全く、シスコンなんかじゃないのだ!



 さて、それが僕の妹、どこに出しても、出す分には恥ずかしくない我が家の長女。

 天海百合の話。

 もしも総理大臣になれなくても、きっと彼女は何かしら歴史に名を刻むだろう。

 身内贔屓でも何でも無く、客観的にそう思う。


 対して、兄である僕はきっと大成することはない。

 バスケ部に身を置きながらも、きっと一度だって試合のコートに立つ未来はないだろう。

 大学に行くか、就職するかはともかくとして……僕の未来はきっと、さほど明るい物でも無い。

 それは妹が才覚を露わにした頃から……いや、たぶん、あの日。

 僕の背で、百合が果てしない未来を見始めたあの時から、僕は分かっていたんだ。

 僕は彼女のようにはなれない。

 なりたいと思うことさえ、失礼なのだと。



 だから、この世界の、少なくとも僕の手が届く範囲での主人公は、天海百合。

 僕は、天海百合の兄にすぎない……と。



 けれど、これは僕の物語だった。

 天海百合は、天海碧の妹だった。



 その劇的な『逆転』は、誰にも想像できないほど突然に、当然のようにあっさりと起きてしまったのである。

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