第33話 遂に女医さんが突き放される

「ごちそうさま。今日はありがとう、付き合ってくれて」


「いや、誘ってくれてありがとう」


 葉山さんとのディナータイムが終わり、二人で店を出る。


 結局、また会う約束については、後日改めて連絡をするって事にしておいたが、こんな誘いをされたって事は葉山さんは俺の事を……どうしても、期待しちゃうじゃないか。


「明日も仕事なんでしょう? 近くまで送ろうか?」


「大丈夫。タクシーで帰るから。紀藤君こそ、一人で平気?」


「はは、大丈夫だって。いざとなれば、親に迎えに来てもらうからさ」


 酒を少し飲んでしまったので、車の運転が出来ないのだが、まあいざとなれば親父かお袋に迎えに来てもらえばいいさ。



「ただいま……」


「まあ、お帰りなさい、英輔さん。遅かったんですね」


「すみません、ちょっと友達と飲んでいたので」


 葉山さんとの食事の後、やっぱりそのまま電車に乗って、京子先生の家に戻ることにし、彼女のマンションに着いた頃にはもう日付が変わろうとしていた。


 遅くなることは告げていたが、待っていてくれたのは嬉しいなあ……それと同時に、罪悪感も出てしまい、心配そうに見ていた


「お父様の容態はどうですか?」


「もう大丈夫みたいですね。朝には退院出来ましたし」


「それはよかったです。でも、再発の恐れもありますし、英輔さんもくれぐれも気を付けてくださいね」


「わかりました。京子先生、あの……」


「何でしょう?」




「俺、やっぱりそっちの方が好きです。最近、俺の事、呼び捨てにしたりしていましたけど、何て言うか……お医者さんとして接してくれている先生の方が優しくて良いというか……」


 京子先生は、医者としては本当に患者想いで一生懸命な人なんだなと言うのは、一緒に住んでいてわかった。


 俺が好きなのは女医としての京子先生なのだ。


 彼女ぶっておかしい事をしている、京子先生は……何か自分を見失っているようで、好きではない。



「よくわかりませんけど、普段から敬語を使ってくれという事ですか?」


「まあ、そうですかね……もちろん、好きにしてもらって結構なんですけど、俺はそっちの方が好きなんですよ。京子先生に似合っているというか」


「わかりました。英輔さんが、そこまで言うなら、そうしますね」


「すみません、我侭言って」


 思いのほか、すんなり俺の言う事を聞いてくれて、ホッとする。


 別に呼び捨てで呼んでくれても構わないんだけど、京子先生に限ってはそっちの方が話しやすいんだよな。


「それでは、英輔さん。婚姻届けはいつ出しますか?」


「きゅ、急ですね」


「ふふ、お父様も退院したのですし、もう気兼ねする必要はありませんでしょう? ああ、その前にご両親に挨拶しましょうか。英輔さんのご実家、見てみたいですう♡」


 と、敬語で話してくれたのは良い物の、相変わらず勝手な妄想を話し始めて、自分の世界に入り込んでしまう京子先生。


 こういうのがなければ良いんだけどな……俺も結婚を真剣に考えていたかもしれない。


「はは、もうちょっと落ち着いてからの方が……んっ!」


「んっ、んんっ!」


 もう少し待ってくれないかと言おうとすると、そんな事は許さんとばかりに京子先生は俺といきなり口づけをしてきた。


「んっ、ちゅっ、んん……あん、もう散々待ったんですよ……良いじゃないですか、もう出しても」


「いやー、その……俺も、もう少し京子先生と愛を育みたいと言うか……」


「メスの匂いがする……」


「はい?」



 何とかいつものようにはぐらかそうとすると、京子先生は俺の胸に顔をくっつけて、そう呟く。


「ワインの匂いがします……今夜、誰と飲みました?」


「地元の友達と……」


「誰ですか? 男か女かで答えてください」


 おいおい、何て鋭いんだよ、この女医さんは……まあ、ちょうど良いか。



「女です。ちょっと、誘われちゃって。二人きりでディナーしました」


「はっ?」


 と、あっさりゲロってやると、京子先生は面食らったような顔をして、固まってしまう。


「学生の頃、知り合った人と偶然再会しちゃいまして。そこで、誘われて、一緒に食事したんですよ、はは」


「え、えっと……冗談ですわよね?」


「すみません、冗談じゃないんですよ」


 まさか、こんなにもあっさり白状するとは思わなかったので、京子先生も呆気に取られた表情をし、信じされないという感じで俺を見つめていた。



「でも、それだけですよ。食事しただけですから」


「な……何で……」


「いや、誘われたんで……」


「嘘よ! 英輔、何考えているのよ!? 私達、婚約しているのよ!」



 今、普段から敬語で話すと言ったそばから、京子先生は血相を変えて、声を荒げて俺に詰め寄る。


 いやー、悪いとは思ってるんだけどね。俺も、もう限界なんだよな。


「悪いですけど、婚約したつもりはないんですよ。あんなやり方で、無理矢理判子押させて、満足なんですか?」


「ええ、満足よ。当たり前じゃない。どんな形でも英輔と結婚出来れば、私はそれでいいの。だって、そうすれば私の事、大事にしてくれるのよね?」



 そりゃ、本当に結婚すれば、京子先生の事も大事にしたいけど、あんな脅迫まがいの事をやらかしたら、俺だって平穏な結婚生活を送れるとはとても思えない。


「そ、その女とは何もしてないのよね? だったら、良いじゃない。さ、もう二度とその女とは会わないって約束して」


「食事しただけなのは本当ですよ。別に付き合っても居ないんですけど……」


「何よ、その歯切れの悪い言い方は!? 許せない……私の事、裏切る気!?」



 裏切るも何もさあ……同棲始めたのだって、そっちが強引に進めた訳で。


 まあ、追い出すってなら、それで良い。


「京子先生の事は好きになりたいんですよ。でも、どうしましょうか……許せないってなら、俺、ここから出ますよ」


「そんなの許すわけないでしょ! ああ、その女が英輔をたぶらかしたのね……許せない、殺してやる! スマホ寄越しなさいっ! 連絡先あるんでしょう!?」


「ちょっと、勘弁してくださいよ」



 相当パニックになっているのか、鬼のような形相で京子先生は俺のスマホを奪おうとするが、何とか京子先生を宥めようとする。


 めっちゃ怖いけど、ここまでの反応は予想通りなので、思いのほか、冷静になれた。


「何よ! 結婚するって約束だったのに、浮気なんかして! 最低! 英輔、こんな酷い男だったのね!」


「す、すみません。謝りますから、もうちょっと落ち着いて……近所迷惑ですから」


「これが落ち着いてられる!? ああ、何て日なの……折角、英輔と結婚できると思ったのに、こんな……ねえ、こんな事をしてタダで済むと思っているんでしょうね?」



「どうしたいんですか?」


「ふふ、結婚するか、死ぬかの二択ですよ。ああ、そんなんじゃ脅しにならないか。とにかく、その女と絶縁して、私に今すぐ、土下座して結婚すると請いなさい。そうすれば、水に流してあげる。優しいでしょう。浮気までした婚約者にこんなんで許してくれる女は居ないんだからね!」


 まあ、無茶を言いなさる先生だが、確かにこの程度で婚約者の浮気を許すってなら、優しいだろう。


 本当に『婚約』しているならな。俺はそんな気はないので、余計に話が拗れているのだが、ここからどう京子先生を納得させられるか……考えろ、考えるんだ。


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