第23話 はじめての夜

「遅いぞ! 何をやってんだこんな時間に!」


 ドアをくぐるといきなりじじいに怒鳴られる。


「遅いと何か問題でもあるのか」

「とっくに門限過ぎてるんだぞぅ!」

「何時だよ門限」

「午後五時だ」

「俺は今年で二十一だ」 

「うるさあい! 父の言うことは聞きなさい!」

「毒親じゃねえか……」


 否、親ですらないからただの毒である。

 じじいはそれまで腕を組んでは般若のような形相だったが、すぐに切り替えてにんまりと笑う。


「まあいい、皆待っている。夕飯を食うぞ」

「わざわざ待たんでいい」


 むしろ、先に食っていて欲しかった。

 玄関を上がると刺激的で濃い匂いが鼻腔をくすぐる。

 間違えようがない。カレーだ。


「あ、おかえりなさ~い」

「おかえりです」


 既に女性と少女が定位置で座っている。

 人数分のカレーと銀色のスプーンも用意されていた。

 俺も座り、その横にどかっとじじいが腰を下ろした。


「少し遅れたが、それでは――いただきます!」


 今回も合唱が始まる。

 俺は不快さを飲み込む。この空気はやはり気遅れする。

 じじいはカレーをすくったスプーンを口に突っ込みながら、今朝までは埋まっていた一人分のスペースを見やり、ため息をついた。


「まったく嘆かわしい。健司のせいで一人の同志を失ってしまったではないか」

「自殺するのに同志なんか必要ない」

「そうだ! 分かってるじゃないか! 自殺はするべきではないのだ!」

「国語を勉強しろ」


 俺とじじいが言い争っている横で少女が悲しげに呟く。


「でも、実際寂しいですね」

「寂しく感じるほど仲良くもないだろ」

「あら、健司くんは仲良いじゃない」

「……どうしてそんなトンチンカンな結論が飛び出してくる」

「リンちゃんの忘れ物、探してたから」


 疑問符が浮かぶ。

 なぜそれが仲が良いという根拠になるのか。

 首を傾げている俺に女性は生温かい目を向けた。


「確実に言えるのはリンちゃんはあなたに懐いていたってことね」

「それはあんたが大嘘をつくからだろうが!」


 一喝するも今回は効いてないご様子。

 昼間に女性に不覚を取ったからか、舐められている節がある。


「すまんの、うちの息子が。反抗期真っ最中で」

「いいのよ気にしなくて」


 …………ちっ。

 くだらないやり取りを無視する代わりにカレーを乱暴にかきこむ。

 辛口のルー(おそらくじじいの希望)が舌に染み、いくらか怒りを紛らわしてくれた。

 視線を浴びていることに気づく。

 少女に睨まれていた。


「なんだよ」


 問いかけて、思い出す。

 薄ら寒く、おぞましく、傲慢な契約を。

 吐き気がする。

 だが、反故にする気はない。


 名前を呼んでやるだけで1人の人間が自身の意思で人生の最後の華である死の舞台を譲ってくれるものなのだから安いものだ。

 そうだ。呼び名などただの記号だ。

 じじいと呼ぶように和敏と呼び、女性と呼ぶように千景と呼び、少女と呼ぶように涼帆と呼べばいいだけだ。


 そこに心理的距離を縮める要素など、ない。


「私は悲しいぞ! 父上とかお父さんとかパパとか相応しい呼び名などいくらでもあるのにいつもじじい呼ばわりだ!」

「あ、でもそれで言うと私は名前で呼ばれたけどね」

「な、何だと! 今の話は本当か健司!? 親の私には一度だって呼んだことがないクセに赤の他人にはそれを許したというのか!」 


 ちゃぶ台に拳を打ち付ける衝撃。


「ち、ちょっと」

「女か!? 女だからか!? 女の色香に騙されてそんな暴挙に走ってしまったのか!」

「正解! その一見、言いがかりにしか思えない糾弾は実際のところ正解だけど! とにかく落ち着いて!」


 殴るどころか、ふちに手をかける。


「け、健司くん! このままだと昭和の時代から急速に文化が発達して近年お目にかかるどころか、存在すら認知されなくなってきた伝家の宝刀がまさに今炸裂することになってしまうわ! 和敏さんを止めてぇ!」

「許せえええええええんぞおおおおおおお!!」 

「和敏」


 和敏を見る。


「千景」


 千景を見る。


「涼帆」


 涼帆を見た。


 次に胸に手を当てる。

 吐き気は、ない。

 どうにか俺は自分の中で折り合いをつけて適応できたようだ。

 周囲に意識を向ける。場はしんと静まり返っていた。


「急にどうしたお前ら」

「け、けんじいいい」


 いきなり泣き出す和敏。

 驚いた顔でこちらを凝視する千景。

 さっきの怒りはどこへやら、ふふんと得意げな涼帆。


「急に心変わりをしたのはどうして?」


 俺は目を見開いた。

 初めてかもしれない。

 千景が真面目な顔で、真面目なトーンで訊いてきたのは。

 戸惑いつつ質問に答える。


「お前らが名前を呼べってギャーギャーうるさいからそうしてやっただけだ」


 これは嘘ではないが、涼帆との契約のせいだとは……なんだか言うのは憚られた。


「……そう」


 声に覇気が感じられなかった。

 そのまま沈み込むように千景は閉口した。

 確かにいきなり名前で呼んだらなんだこいつってなるのはわかるが。

 あれだけ名前を呼ぶように要求してた千景がこの反応は納得できん。


「嫌だったら別に今まで通りでいいが」

「駄目です!」


 涼帆の断固としたツッコミが入り、断念。


「ついに……反抗期が……終わった。うおんうおん」


 和敏はまだ泣いている。

 赤の他人の家で赤の他人同士で過ごす奇妙な食卓。

 自殺計画開始から第一夜はこのように過ぎ去っていった。



 計画進捗状況


 じじい◯(当人に自殺する気がないため)


 少女 △(条件次第でクリア)


 女性 ×


 お嬢 〇


 女  ×(高難易度。早急に攻略を開始する必要あり)

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