第22話 自殺計画初日~毒舌女の場合~

 興奮冷めやらぬ中、自室に戻る。

 三十秒で興奮が冷めた。

 やっすい興奮だった。

 残るのは後悔だけである。


 どうしてあんな条件を認めてしまったのか。

 原因を考え、思い浮かんだのは名を呼ばぬ親を忌み嫌う涼帆の姿だった。


 ……まさか同情でもしちまったのか。


 拳で床を殴った。何という驕り。

 同情は他人を下に見ていることの証左だ。

 己を感傷的な気分に浸らせるための道具として他人を使っている証左だ。 


 そんなものに支配されたくないから自殺をしようというのに!


 苛まれ、逃れるために行きついたのはデータ入力アルバイトだけであった。

 楽しいな、データ入力。楽しいな単純作業。

 狂ったように鼻歌をしながら金を稼ぎ続けた。


 あっという間に夜になっていた。

 無意識に立ち上がり、今自分が何をしようとしているのかを察する。


 そう、自殺だ。同情を抱かず自殺をするために今日も俺は行かなければ。


 玄関で靴を履く。


「そろそろ夕飯よ」


 背中から女性の声が聞こえた。

 靴紐を結びながら答える。


「野暮用だ」

「野暮ばっかり、忙しいのね」

「ああ、お前らのせいでな」

「ということは、昨日の女の子に会いに行くの?」


 返答をしないことで肯定に変える。


「気をつけてね」


 言葉の響きに違和感を覚えた。

 どうしてか、重みが乗っていた。

 念の為に女性に目を向ける。


「どういう意味だ」

「あの子、様子がおかしかったから」


要領を得ない答え。

詳細に聞くのも馬鹿馬鹿しくなり、俺はさっさと東尋坊に向かった。






 女は変わらない。

 同じ姿で飛び降り防止の柵の前で佇んでいる。

 膝の上に顔を押し付けて突っ伏していた。

 俺が来ても反応は示さない。

 単に気づいていないのか――いや、俺の存在に気づいていようがいなかろうが女はこうなのだ。


 常に冷たい壁を自身の周囲に張っている。

 無理に触れれば凍傷するほど効果的であからさまに。


 俺にとって、それは居心地が良かった。


 それが普通なのだ。今までが異常だったのだ。

 他人とは本来こうであるべきなのだ。


 俺も無言で横に座る。


 電車の座席、端から端ほどの距離を保って。

 風が寒い。寒さが安心を与えてくれる。しばらく浸る。


 ただ、いつまでもこうしているつもりもない。

 説得だ。今日のうちに一人でも多く。

 目線は海に向けつつも、はっきりと伝えた。


「そろそろ諦めてくれないか?」


 返事がない。

 ……「普通」ではないな。他人と言えども流石に無視はしねえな。

 コイツは変人だ。俺は認識を改めた。


「あんたにとって俺の存在が虫けら程度なのは分かるがな、いつまでもこうしていたって埒が明かないだろ。譲る気が無くたって話し合いをしなかったらお前の望む結論にすらならないぞ」


 なおのこと返事がない。

 こうなったら、返事をせざるを得ないことを言うしかない。

 つまり侮辱。


「おいボクっ子女、答えやがれ」


 それでも返事がない。


「ビッチ!」


 これで返事がないのは、流石におかしいと思った。


 海から視線を外し、女を観察する。

 やはり膝に突っ伏している状態で少しも動かない。


 眠っている……のか?

 その仮説を否定しきるのに、俺は数秒を要した。


 マイナスとは言わずとも気温は一桁である。

 来ている服は三日連続で薄手、白のワンピース。

 女性の警告。

 どれでも良かったのだ。

 どれでもいいから意識すれば、分かったのだ。


 ――すなわち、女が気を失っているという事実に。


 急いで駆け寄り、背中を強く叩く。反応なし。

 体勢を解除させて寝かせた。

 額に触れる。

 とにかく熱かった。思わず、すぐに手を離すほどに。

 

 救急に連絡しようとポケットに手を伸ばし、携帯がないことに気づく。

 当然、人は見当たらない。

 公衆電話を探さなければならない。


 女を持ち上げようと腰に手を回した瞬間、右手が鈍く抵抗した。


「……やめ、ろ」


 回復ではない。良く言って混濁。うなされているような声。

 抵抗を無視して、背負った。


「ふざけんな。俺を殺人者にして死んでいくな。死ぬならちゃんと自殺してくれ」


 俺が来てから五分経過している。俺は五分も意識不明の人間を放置している。

 どう考えても他人であることの安心感に浸った俺の失態だ。


 そもそも、この女は俺が来るのを待っていた。

 俺さえいなければ、この女はとっくに自殺を完遂できていたのだ。


 未練があるか、ないか。

 結果が死でもその差は人生の全てだ。


 背負ったまま、走る。

 華奢なのが幸いだった。

 女の荒い呼吸が背中から伝わる。


 絶対に助けなければならない。

 ――そうでないと、俺が未練なく死ねない。




 

 ここまでの脚力を発揮したのは生まれて初めてだった。

 図らずもここ数日の走りが俺を鍛えていたのだろう。

 迅速に公衆電話を見つけて連絡。病院は近く、救急車が来るのにそう時間は掛からなかった。

 そして、そんな脚力の影響とは無関係に女は無事であった。

 病院まで運ばれている最中に意識を取り戻していた。

 呼吸器のようなものをつけさせられながら「余計なことをしてくれたな」と言いたげな目で俺を睨んでいたぐらいだ。


 早計だとは思わない。

 お嬢の時とは違って高熱であり、何より原因は俺にあるのだ。

 躊躇する道理がなかった。


 診断結果としては大したことはなく、風邪の重症に留まる。

 とは言え、熱は下がらない。

 一晩入院する手筈となった。


 ……と、こうも事の経緯を知っているのは救急車に付き添いで乗ったせいで病院側に親族と勘違いされたからである。好都合だったので、あえて俺も否定しなかった。


 が、費用を請求されたのでそれは困った。金が足りん。

 今はまだ手持ちがないと伝えると、経過の観察がてら明日の朝にまた来てほしいと言われてしまった。


 俺は人殺しをせずに済んだことに胸をなで下ろし、帰宅した。

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