戦花繚乱 ブルー・ローズ ~三角大陸戦記~

みたよーき

第一話 芽吹き ―1―

 

 ――ブルゥンディ・ベルを知るひとは、幸せなひと?――


 全き静寂の向こう、遠く遠くから、優しく囁くように、透明な歌声が聞こえたような気がした。

 そして、頬をそっと撫でられるような感触を、微かに感じる。

 ほんの僅かその余韻に浸ってから、それはおかしい、と気付いて、立川夢希は、きつく閉じていた目をそっと開いた。

 おかしいと感じた理由は明白で、身に着けていたはずのヘルメット・ユニットが、無くなっているからだった。

 だが、すぐにそんなことは頭から抜け落ちた。そうさせたのは、夢希の目が捉えた「夜の中にいる」という認識だった。

 目を開いた前方遠くには、青の中に広く広がる、所々穴あきの白が映る。だが、それ以外の全方は闇に包まれていた。それが、夜、という認識に繋がった。

 身体はその闇の中、宙に浮いていた。そして、正面に向かって真っ直ぐ、ゆっくりと進んでいる。

 そして気付く。

 青は空、その中に浮かぶ白は雲であり、切れ間に覗く青や緑や茶は、海川や木々や大地だ。身の周りの闇は、夜よりも暗く深いと感じる。

 夢希は認識を改めた。

「宇宙に、浮いて……ううん、違う。……落ちて、いる?」

 それでも恐怖を感じなかったのは、重力に引かれている実感が無かったからだ。身体はほぼ一定の、軽く駆けるような速度を保ったまま、“落ち”続けている。

 だが、眼下の“世界”は、上手く表現できないが、以前に軌道エレベータの宇宙側ターミナル展望室から見た地球の印象とは、何かが違う、と感じる。

 だから、これは夢だ、と思った。

「明晰夢って、初めてだな……」

 いや、忘れているだけなのかも知れない。だが、少なくとも夢希が記憶する中では、今まで夢の中でそれを夢と認識した経験は無かった。

 そんなことを考えていた夢希は、不意に、自分の身体が何か薄い“膜”のようなものを通り抜けたような感触を全身で感じた。

 瞬間、周りを包んでいた宇宙の闇を瞬く間に塗り替えた空色のグラデーションの中を、それまでとは違うはっきりとした強い風が吹き、夢希の髪をなびかせるそれが運ぶ、大気の“匂い”とでも表現したいような感触が、やけにリアルに感じられた。

 そのありありとした現実感に脳が軽い混乱を来したが、身体は相変わらずゆっくりと落ち続けている。端から見れば、その身体全体がうっすらと光を放っているのだが、本人に気付く術はなかった。

「これが夢なら、こんなにリアルに感じさせる人の脳って……すごいな……」

 そんな呟きが思わず口を衝いて、夢希はふと思う。

 ――もしかしたら、私はこれが現実と認めたくなくて、夢だってことにしたいだけなのかも知れない。

 そう思うくらいには、重力感を除く他の感覚たちは、この“世界”にリアリティを感じていた。

「でも、これが本当に現実なら……」

 こんな上空で、息苦しさも感じず、寒さも感じていない。それは、おかしいと思う。

(そもそも重力加速度が働いていないじゃない……)

 だけど、今の自分の身体感覚は、やはり夢とは思えない。

 だからって、こんな現実、有るはずない。

 そんな混濁する思考を抱えたまま、夢希の身体は、いつしか雲の中に入り込んでいく。

 その“白”が、視界いっぱいに広がった瞬間、夢希の脳裏には、先ほどの光景が思い返されていた――。



 二十一世紀も半ばを過ぎると、各分野に於ける技術的ブレイクスルーは鳴りを潜め、日進月歩だった技術進化も牛歩となり、それまでのAIの進化によるシンギュラリティという概念は、SF小説の中でのみ語られる夢物語となった。

 さらなる年月が過ぎ、海洋資源の開発の停滞によって、地下資源の枯渇がその世代で起こりうる現実的な危機として認識され始めたその頃、日本の宇宙探査プロジェクトによって、遥か遠い宇宙から地球圏まで運ばれた中規模小天体サンプル、そこから発見された新物質があった。

 それ単体では極めて扱いにくく、未知が既知になった以上の価値を見出すのが難しいと思われたそれは、だが地道な研究の中で、他物質に対して『量子リインフォースメント』と呼ばれることになる作用(元の物質の特性を残しつつ、重量の大きな変化無しに、硬度、靱性、対劣化性などを大きく補強するという作用)を及ぼすことが発見されると、一転して『夢の物質』と呼ばれるようになった。

 とはいえ、元の扱いにくさ故に、その性質を引き出す為の技術的ハードルもまた極めて高かったが、やがて日本、次いでドイツが、その現実的なレベルでの実用化に成功する。これによって、人類は夢を現実に引き戻す足がかりを手に入れたと言って良い。

 日本が最初に金属でその実用化を示したために、俗称として『隕鉄』と呼ばれていたそれは、いつの間にかこの技術そのものが世界中で『インテツ』として俗称され、そのまま定着、広く使われるようになった。

 ともあれ、そのインテツ技術には、テクノロジィとポリティクス、主にその二つの面で大きな変化を生んだ。

 まず、テクノロジィ――といっても、技術的、というよりはむしろ、マテリアルやリソースというべき面の進展と言うべきか。僅かな重量増に対する性質や性能の大きな向上は即ち、同じ強度を得るのに必要な材料の少量化と、それによる軽量化をもたらした。それは資源量の問題に光明を射し、副産物的にエナジィ効率の向上をももたらしてエナジィ問題の先送りにも貢献した。また、この、素材の質を高める技術が、それまで思うように進まなかった海洋資源の開発にも進展をもたらしたことも忘れてはならない点である。

 そしてもう一方。この時代、先進国の中で、旧世紀よりもさらに対GDP比で軍事関連費用の割合を減らしていた日本とドイツという二国がこの新しい宇宙資源の活用に先んじて前進を見せ、その資源自体の確保にも踏み出したことは、宇宙開発に力を入れていた“大国”たちに対して小さくないショックと危機感を与えた。

 それでも簡単には軍縮に踏み切れない各国だったが、そんな折、降って湧いたように発表されたのが『超広域対弾頭機構構想概論』なる論文だった。

 “建前”を得た大国らは結託し、それを褒めそやした。曰く、「人類史上初の完全平和への重大な一歩である」などと。

 そうして作られた『世界恒久平和条約』の完全締結への大きな流れは、それを形式上は実現させるに至らしめた。

 その、平和の象徴として作られたのが、世界初の軌道エレベータ『バベル』。その建造を現実的なものとしたのもまた、インテツ技術だった――。


 ――午前中の材料工学の講義を思い返しながら、夢希はニュー・アクアラインを千葉方面へ向かって“走って”いた。

 前後には一定の間隔を開けて自動運転の水素自動車が走る中、ひとり生身に近いシルエットは異質だ。

 その身は青を基調としたレーシングスーツに包まれ、頭は同系色のフルフェイス・ヘルメットで守られている。そして、足元は『ハイ・スラッグ(Hi-“s”peed “ru”nning “g”ear=Hi-srug)』あるいは単に『スラッグ』と呼ばれる、本来は重心検知式で駆動する走行装備が、今は自動走行モードで動き続けていた。

「時間、大丈夫かな……。リニア使えば余裕だけど、高いしなぁ……」

 ヘルメットのシールド・モニタをディスプレイ・モードから切り替えながら独り言ちた。

 夢希は大学に在籍しながら、スラッグレースの『ランナ(走者=競技者)』としてプロの舞台で活躍している。祖母がスラッグレース最初のシーズンに高校生の部に参加して以降プロとしても活躍して、そこから三代続けてのレース一家だった。

 この日はそれに関連して、風洞テストのために、夢希は千葉へ向かう必要があった。

 二世紀前、あるいはもっと以前の人々が夢想したような、宙に浮かび、ビュンビュンと滑るように走る自動車、なんて光景は結局、実現していない。せいぜいが最大二人乗りのホバーバイクが、公道で走ることを許可されるサイズと安全性を実現した程度だ。鉄道でさえ、全国的に見ればマグネティック・レヴィテイション――所謂『リニア』――が現在も増えてこそいても未だ主流とまではなっていないのだから、日本の狭く入り組んだ道路でそれを実現するには、技術的な面はともかく、現実的な面でのハードルが高すぎたようだ。

 それでも――と思いながら、夢希は、南の方へ視線を向ける。

 クリア・モードに切り替わり、景色を鮮明に写すシールド越しに、空の水色にその輪郭を溶かしながら遥か天空へ伸びる、直線的なシルエットが見える。

 ――日本の軌道エレベータ、『天御柱』だった。

 本来、風神の名前であったはずのそれを、文字通りの天へ伸びる柱の名前にするセンスを、夢希は、どうかと思う。

 それでも“あんなもの”を実際に見れば、名前などどうでも良く思えるくらい、理屈抜きに、すごい、と圧倒される。

(大きさって、それだけで力だな……。ああ、神様とかって概念も、元はそういうのかな……)

 そんな、解ったふうな思考は、実際の理解とは違う、ただの暇つぶしでしかない。

 今の時代、スラッグで高速に乗ってしまった以上、どんなに急いでも自動運転に任せるしかない。やることが無い以上、技術の進歩に想いを馳せるふうに頭の中で言葉を弄ぶことが、今の夢希の暇つぶしだった。シールド・モニタを使って小説や映像作品を見ることも出来なくはないが、走りながらではいまいち集中できないので、夢希は好まなかった。

 ともあれ、その技術の進歩は、高速道路の自動運転レーンの速度制限でさえ時速百五十キロまで引き上げたのだから、夢希が時間を気にしているのは単に昼食選びに時間をかけすぎたせいで、自業自得だった。

 ――キィン――。

 不意にそんな音が聞こえた気がして、夢希は反射的に上空を見上げた。

(飛行機……じゃない? 何の音?)

 落ち着いて耳を澄ませば、前方からそれは聞こえる気がする。

(前の……車?)

 そう思ってそちらを見ていると、次の瞬間、夢希の世界は、光に包まれた。

 思わず閉じた瞼の裏さえ光で塗りつぶすようなそれに、夢希は、その光の中に自分が溶けてしまうのではないか、と思った。

 暑いようにも寒いようにも思える感覚の中、どこか遠くに花火の音が聞こえたように思ったのを最後に、夢希の世界は静寂に包まれた――。



(そう、眩しさに目を閉じた。そして目を開いたら……。記憶は連続しているように思えるけど……)

 今し方想起した記憶は、ついさっきのことだと感じている。

 ――これが夢なら、こうまで現実との連続性を自覚できるものなのか?

 そんな疑問と、全身で感じ続けているリアリティが、夢希に現状を、現実だと思わせ始めていた。

 雲を抜け出た身体は、風の爽やかさを、陽の暖かさを、その全身で感じている。

(でも、長く気絶していたって、こんな状況になるはずはない……。何が起こったっていうの……私に)

 だが、夢希の、自分自身に関する思考はそこで止まった。

 眼下に、宙を飛びながら戦う人の姿が見えたからだ。

(違う。あれは、ヒトの形をした……何かだ……)

 それらは、三対三に別れて戦っているように見えた。中でも目を惹くのは、片方の“白”と、もう一方の“赤”だった。

 それを認識したその時、夢希は自分の内側で何かが震えるような感覚を感じると、同時に、胸元が一際強く光り始めた。

(ッ! ……なに!?)

 胸元に、円形に白く光り出したそこから、現れたものを見た目通り表現するなら、それは“芽”だった。

 その認識に夢希が混乱を来す間もない内に、“芽”はぐんぐんと伸び、葉を開き、蕾を現し、そしてその蕾が開き――だがその開花は三分ほどで止まり、そして、その状態から、花びらそのものが恐るべき速さで伸び始めた。

「なんなの!?」

 そのリボンのように伸びた花びらたちは、混乱の声を上げる夢希の周りをあっという間に隙間無く包み込み、“蕾”と形容するしかないそれを創り出した。

 さらに、その“蕾”を核として、その周りに更に新たな何かが形作られていく。

 そして、遂に形作られ終えたそれは――ヒトの貌をしていた。

 それは正に、夢希が眼下に見たヒトガタと同種のものだった。

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