第39話 バチェラーの完全なる終幕
悪役令嬢を宿した私は、殿下の耳許で言った。
「どうして、昨日、私にキスをしたのですか」
殿下はびくり、と姿勢をただし、汗がぶわっと吹き出した。
「してま、せん」
「私の手も握っていましたね」
「なにかの、まちがい、です」
片言になって、ばつが悪い表情の殿下をじろりとにらむと、怯えるというより、困ったような雰囲気をだした。
「リンジー様に告げ口しますよ!」
殿下は急に笑い出した。私は腕組みしてにらみ続けた。
「俺の役割は、アニマ嬢に新しい劇場を用意し、共演者候補の令嬢と会わせるところまででした。そうしたら、アニマ嬢は親元から離れ、疫病神のマシューとも決別し、自活するとまで言い出した。大満足です。後は俺が結婚して王になれば、なにも……思い残すことはないですね」
途中まで、はしゃいでいたかと思うと、急に最後にかけて声のトーンが落ちた。
「答えになっていません。なぜ、キスを?」
「あ、挨拶です。頬におやすみのキスをしただけです」
私は唇をとがらせた。
「口! 口! 私の口に! しましたね!」
殿下は私の唇を見て、顔を背けた。照れたのだ。
――なんでそこで、照れるの!!!!!!
悔しいが、私も照れてしまった! 一生の不覚!!!!!!!!
「いまさら気がついたのですが、私のことを怖がらなくなりましたね」
いまは悪役令嬢を宿した状態。恐怖顔面のはずだが。
「アニマ嬢を怖いなどと思ったことは一度もありませんよ」
殿下は平然と言った。たしかに怖がっているようには見えないが……。なにかがおかしい。
「その汗、挙動不審っぷり。それはなんなのです?」
「……てっきりバレているものだとばかり思っていましたが。思い込みというのは強固なものですね。アニマ嬢は前から自己評価が低すぎますよ」
殿下は頬を赤らめた。
「アニマ嬢に近づかれたら、照れるに決まっているではないですか。俺の好きな人……なのですから」
「は、ははは、はぁぁぁぁぁぁぁ?」
令嬢たちが一斉にこちらを見る。
「冗談は私の顔だけにしてくださいよっ!」
「自分を卑下するのはやめてください。俺の好きな人を否定するのは、アニマ嬢でも許しません」
「いや! 私のことだからいいでしょう! は? 殿下はそんな、私のことを? もう! わけがわからない!!! じゃあ、なぜ、私を選ばなかったのですか」
――血の気が引いた。失言だ。顔が歪む。興奮してはいたけれど、おさえるべきだった。殿下は前に言っていた。結婚さえ満足に自分で決めることはできないと。子爵令嬢では、位が低すぎるのだろう。
殿下が苦しそうな顔になった。私の耳のそばで、ひときわ声を落とした。
「王妃になれば、演劇をやる時間はありません。現王妃を見ていたらわかります。アニマ嬢には素晴らしい演技の才能がある。王妃の仕事に費やして欲しくはなかったのです」
――予想を上回っていた。私は最初から妃に選ばれることはないと決まっていた。だから殿下は、最初に愛すことはないと宣言したのだ。私を、傷つけないために。
殿下から愛されていた。もったいないほどの愛情を、私はもらっていたのだ。
私のなかに殿下の
「殿下の
殿下の
殿下は、私との出会いで、失礼な発言をしたことを後悔していた。
違う言い方はなかったのか。私の家族とのしがらみ、劇場での扱いを知っていたからこそ、残酷な出会いに見えてしまったのではないか。
私の主役デビューを楽しみにしていた。しかし、殿下は公務にかかりっきりとなり、見ることは難しいこと。
私とともに、舞台に立って、生きていきたいと思ったこと。しかし、病弱の弟しか跡継ぎがいないこと。
本当は、私と――結婚したいこと。
以上のことは、私に絶対言わないようにしている。
この計画になくてはならないリンジーの為に、思いは、伝えることができないのだと。
殿下の
ただ、これで十分だった。十分すぎるほどだった。
自分がなぜ、悪役令嬢としてバチェラーに呼ばれたのか。やっと、理解した。
主役令嬢を演じる為でもない。他の令嬢と会うためでもない。それは、バチェラーの都合であり、殿下の都合だ。
私だけが、なすべき役目をようやく、理解した。
私は、殿下の望みを叶えるために、バチェラーに呼ばれたのだ。
ゾクゾクした。演じたい。舞台という枠を取っ払い、この身のまま、世界を騙すのだ!
そして、唐突に理解する。私のこれまでのすべては、この時のためにあったのだと!!!
「殿下、ロイド様はあの、演劇界で名をはせた、特殊メイクのロイドですか?」
「そうです。よくご存じですね」
変装。ロイド。隣国。演劇。悪役令嬢の私の身体能力。うまく合わせれば、殿下の望みを叶えてあげられる。
「皆様、提案があります。いかがでしょうか」
私は殿下に関する作戦をみんなに話した。
殿下は怒った。
「隣国で主役を張ってほしいという願いが、どうしてそうなってしまうのですか。アニマ嬢に危険なことはさせられません!」
「殿下はどうなります? このままリンジー様と……ご結婚なさって、自分の望む自由は選べない。ほんとうに後悔なさらないのですか? ここまでしていただいたご恩をお返ししたいです。それに、私ならばうまく逃げることができるでしょう」
リンジーはどんなリアクションをするのかまったく読めなかったが、つまらなそうにため息をついただけだった。
「リンジー嬢と結婚することは最初から決まっていました。後悔など、あるわけがないでしょう! 俺のためにアニマ嬢が危険にさらされるなど、意味がわかりません」
殿下は意地になっているようだった。
「殿下の望みが叶うのなら、どうなってもかまいません。私はようやく、悪役令嬢として呼ばれた意味がわかりました。このシナリオをひらめいてしまった以上、演じないわけには参りません。私は女優ですので」
ドラクロアが手を上げた。
「その役目。私にさせてください」
首を振った。髪のしぶきが頬に飛んだ。
「危険すぎます」
「私の方が世間への損害が少なくてすみます。アニマ様は宝ですから。私がやります」
「ドラクロア嬢! 勝手に話を進めないでください。アニマ嬢もどうしたのですか! そんなことを望んではいません。俺が王になれば、なんの問題もないではありませんか」
殿下がいらだたしげに言った。
ドラクロアが殿下の胸をつかむ。
「いい加減にご自分に素直になったらいかがですか? なぜ、最初から選ばれることはないバチェラーに、アニマ様を参加させたのです? なぜ王城に泊めたのですか? 最初から、バチェラーにアニマ様を参加させず、事情を話して説得すればよかったではないですか。では、なぜこうしたか。殿下が結婚する前に。残りわずかの時間をアニマ様と一緒に過ごして、別れる準備をしていたからですよね。もう見ることができないアニマ様の演技を、いちばん近くで見たかったからですよね」
ドラクロアの言葉に静寂が満ちた。
殿下の揺れる瞳は私を射て、それが真実であることを知る。
私は言った。
「さきほどから、殿下はまったく自分の立場については言及されません。ご自身が大変な立場におかれるということはよいのですか? 捨てるものはあまりに重く、そちらを悩まれたりしませんか?」
殿下はずいぶん経って、口をひらいた。
「アニマ嬢が、心配なのです」
殿下は自分が捨てるものにはいっさい頓着していない。
リンジーが濡れた髪をかき上げ、言った。
「つまんないなぁ。あたしは殿下の計画を聞いて、令嬢の幸せは結婚しかないっていう現状を、打ち破れると思って楽しみにしていたのに。このままでは王家の言いなりになって、あたしと望まない結婚をするだけのつまらなすぎるシナリオじゃないですか。せっかくアニマちゃんがシナリオを大胆に書き換えたのになぁ。あたしだってアニマちゃんが許すなら、隣国の劇場で一緒に舞台に立ちたいですよ。だって演劇って、楽しいんですもの。まぁ、でも、危険ではありますね。というか、危険すぎる……」
まさかのリンジーの援護射撃によって、殿下がうろたえた。
「リンジー嬢、話が違いますよ!」
「いやぁ。あたしもこうなるとは思ってなくて。やっぱり、自分が楽しいと思う方に行きたいんですよね。なにせあたしはあたしに正直100%なので」
殿下にたくさんのウィンクをよこす、リンジー。
「私にやらせてください。きっとうまくやります」
ドラクロアがうなずく。驚くほど、私の言い方にそっくりだった。声の調子から、表情の動かし方まで。
ひらめいた! さらなる妙案を。
この案なら、格段に成功率をあげることができる。ドラクロアに直接罪をかぶせることもない。
「ドラクロア様に任せたいと思います」
「はい! もちろんです!!」
「ただし、役目を入れ替えます」
さらなる進化をとげた案を、皆様に話す。
「ああ、それは素晴らしい! 私なら、うん。できると思います」
ドラクロアが自分を鼓舞するように、首を縦にふった。
「いい! アニマちゃん。それで行こう! あたしはずっとアニマちゃんの演技を見てきた。うまくいくって確信がある。天命みたいなものね」
リンジーが言った。
「話を勝手に進めないでください。俺は許しませんよ。たしかにさっきよりはましには……なりましたが。アニマ嬢やドラクロア嬢が危険すぎます!!」
私は流し目で殿下を見た。
「逆にこちらからオファーを出します。殿下が主役を演じてください。見てみたくないですか? ご自身が主役を張る、リアルな劇を。私とダブル主演で。受けてくださるなら、私は隣国で主役を演じることを約束します。さあ、選んでください。私ならば、セシル様をなんとかできます。この世のすべては演劇なのです。こんな簡単なことも、私にはわかりませんでした」
セシルは眉間にしわを寄せ、言った。
「見てみたいし、演じてみたいに決まっているではないですか! しかし、しかし、しかし!!!」
懊悩し、苦しんでいた。
いつの間にか、晴れ間が見え、日差しが降りそそいだ。
私はくしゃみをした。そうしたら、ほかの令嬢もくしゃみをして、互いに笑った。
こんな話をしておいて、私たちは馬鹿みたいにずぶ濡れで、寒かったのだ。
私は笑った。セシルはその笑顔に負けたように、笑いかけた。
「私達は演者です。そこに、素晴らしい劇がある以上、そこから逃れることなどできない。セシル様、あなた様も一緒です」
セシルは私の手をとった。その手に他の令嬢たちが手をあわせた。
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