カルペ・ディエム 〜瞬く日々は花のごとく〜
#zen
第1話 時を止める力
————熱い……苦しい……喉が渇く。
でもたったの五分では、どうにもできない。
中世ヨーロッパを思わせる、とある小国——その城下町。
普段は人で賑わう広場が、今は静まり返っている。
観衆の視線の先には燃え盛る炎があって、その中心に私はいた。
縄で縛られた私は、全身を纏う炎の熱さに震える中、ゆっくりと瞳を開く。
すると、数歩先で翡翠色の双眸が私をじっと見据えていた。
この国で一番美しいと言われる王子様は、金色の髪を風に流しながら告げる。
「……まだ息があるのか?」
火の粉がかかるのも構わず、炎のゆらめきを瞳に映した王子様は、こちらの様子をうかがっていた。
だけど、その表情は読めなかった。
「あなたは……どうして……こんな」
私が震える唇で言葉を吐くと、美貌の王子様は顔を強張らせた。
「————はっ!」
ベッドの上で目を覚ました私は、慌てて身を起こす。
今もまだ残ってる。身を焼き尽くす熱さに、肌の焼ける痛み。救いだったのは、途中で意識を落としたこと。
もしも意識があったなら、きっとその痛みや苦しみに耐えられなかっただろう。
それは、前世の夢だった。
とある理由により魔女とみなされ、火あぶりにされた夢。
思い出すだけで鳥肌が立った。
「はあ……よりにもよって、なんであの時の夢ばっか見なきゃいけないのよ」
私はパジャマを脱いで下着になると、流れた汗をタオルで軽く拭いた。
「これじゃあ、夜にお風呂入る意味ないじゃん……やっぱり気持ち悪いから、シャワー浴びてこ」
登校前ということもあって、時間なんてなかったけど、気持ちを切り替えたい私は、仕方なくシャワールームに向かった。
そしてサッパリしたところで、ブレザーに着替えて自宅マンションを飛び出したのだった。
「今日も遅刻かな。私に一時間くらい時間を止める力があれば、余裕なのに」
秋も深まり、紅葉が鮮やかな並木道を走っていると、冷たい風に吹かれて身震いをする。
朝からシャワーをしたことで、余計に冷えた体が縮こまるもの——それでも遅刻するのだけは避けたいため、私は懸命に体を動かしていた。
けど、急いでいる時に限ってハプニングは起きるものである。
ふいに曲がり角から飛び出した影にぶつかった私は、その場に尻餅をついた。
反射的に見上げると、同じ学校のブレザーを着た男の子が驚いた顔で見下ろしていた。
「あ、悪い!」
「いえ、こちらこそ」
————わ! めちゃくちゃカッコいい人。
遅刻しそうなのに、思わず相手の顔をガン見してしまった。
焦茶色の髪に同色の瞳が、輝く白い肌に映えて中性的な雰囲気を醸しているその人は、地面に座り込む私に手を差し出した。
「大丈夫か?」
「あ、え、はい! 大丈夫です」
けど、知らない男の人の手を掴むのはなんとなく照れ臭くて、私が自力で立ち上がると、中性的なイケメンは爽やかに笑って去っていった。
「すごくかっこよかったけど、どこかで見たことあるような……もしかして、芸能人かな? ——て、やばい! 時間が」
————その時だった。
激しいエンジン音とともに、一台の乗用車が一つ先の曲がり角を飛び出した。
しかも車の鼻先には、横断歩道があって、幼稚園児が手を上げて歩いていた。
—————ヤバい、ぶつかる!
そう思った頃にはもう、乗用車が子供に触れる寸前だった。
それでもまだ間に合うと思った私は、恐ろしい状況を目にしながらも、自然と動いていた。
「時の神様、私に永遠をください!」
乗用車が子供に触れる直前、早口でそう唱える私。
すると次の瞬間、世界がまるで一枚の絵のように動きを止めた。
けど、静止した世界で唯一動きを止めなかった私は、慌てて横断歩道の幼児を抱えると、歩道側に移動する。
そして二メートル先にある花屋さんの軒下に入った瞬間、世界は再び動き始めて——車が近くの雑貨店に突っ込んだのだった。
「……あのお店、大丈夫かな?」
雑貨店の奥へとめりこんだ乗用車を見ながら、そう呟く私だけど。
そのうち私が抱えていた幼児が、大きな声で泣き始める。
「うえーん」
「わ、泣いちゃった」
私は幼児を腕からおろすと——幼児の頭の高さまで屈んで訊ねる。
「大丈夫? きみ」
「うっ…うっ……」
ふわふわの茶色い髪にアーモンド型の目をした、可愛らしい男の子だった。
幼児は泣きながら私の肩に縋り付いてくるけど——そこでふと、背中から耳覚えのある声が聞こえた。
「……あの、すみません」
「え?」
思わず立ち上がって振り返ると、そこにはさっきぶつかった人と同じくらい整った顔立ちの男の子が立っていた。
しかも同じブレザーってことは同じ学校……だよね?
ウエーブがかった黒髪に大きな丸い目をした男の子は、困惑気味に笑っていた。
綺麗ながらもどこかで見覚えのある笑顔。
私がその顔を何気なく見つめていると、男の子はそのうち思い出したように幼児の手を引き寄せる。
「うちの弟を……助けてくださり、ありがとうございました」
「あなたの弟さん?」
「俺が駆けつけるには間に合わなくて……ヒヤリとさせられました。でも不思議ですね」
「え?」
「あの短時間で、よくここまで移動できましたね」
どうやら、私が幼児を助けたところを見られていたらしい。
けど、私が時間を止めて移動したことで、瞬く間に助けたように見えたのだろう。
「あはは……私、足が速いんです。——っと、私急ぎますので、失礼します!」
「あの! お礼を——」
「けっこうです!」
イケメンに声をかけられて、一瞬ふわふわした気持ちになるもの、時間がないことを思い出した私は、慌ててその場を離れた。
そして地元の公立高校の校門を急いでくぐるけど——教室に入った頃には、すでにショートホームルームが始まっていた。
数分遅れて入室した私に、教壇にいた女性教師は呆れた顔をする。
「——
「十二回目です」
「放課後、職員室にきなさい」
「……はい」
その後、担任から長いお説教を聞くことになったのは、言うまでもなく。
***
「あんた、いつも何時に起きてんの? もしかして睡眠障害とか?」
休憩時間になり、私——久美の机にやってきた友達の
可愛いけど短髪でボーイッシュな真紀は、毎日運動部の朝練をしているから、遅刻する私が信じられないという感じだった。
「そういうわけじゃないんだけど……悪夢ばっかり見て、なかなかうまく睡眠がとれないんだよね」
「悪夢って……何か悩みがあるなら、相談に乗るけど」
「ありがとう」
と言っても、前世の夢を見てるなんて、言えるはずもないんだけど。
私が苦笑していると、真紀はすぐに話題を変えた。
「それはそうとさ、隣のクラスの王子様、今日は登校してきたらしいよ」
隣のクラスの王子様といえば、イケメンで有名だけど、あまり学校では見かけないので、出会うこと自体がレアだと——真紀は言った。
そんな真紀の情報に、あまり興味がない私はてきとうに相槌を打つ。
「……ああ。真紀の好きな人ね」
「違うわよ、私が好きなのは生徒会長」
「じゃあ、なんで隣のクラスの王子様まで把握してるのよ」
「人気のイケメンだし、気になるじゃない?」
「イケメンで思い出したけど……今朝、ものすごいイケメンにぶつかったよ」
「へぇ、
「うん。好みだったかも」
そういえば、車から助けた幼児のお兄さんもイケメンだったよね。
しかも前世で愛し合った恋人に似てたな——なんて思っていると、ふいに周囲がざわめき始める。
何事かと思って周囲を見回していると、そのうちあまり馴染みのないクラスメイトの女子に声をかけられる。
「ねぇ、
「え、私?」
「教室の外で、隣のクラスの王子様が呼んでるよ」
「え? なんで?」
「やだ、早く行っておいでよ」
私よりも嬉しそうな顔をする真紀にせっつかれて、私は狼狽えがちに教室を出たのだった。
***
私を呼んでる人がいる、そう聞いて教室の外に出た私だけど。
廊下で待っていたのは、今朝ぶつかった綺麗な男の子だった。
焦茶色の瞳と同色の柔らかそうな髪に、透き通るような真っ白な肌。
中性的だけど、確かに王子様と呼ばれてもおかしくない風貌をしていて、改めて納得してしまった。
そして男の子は私を見るなり、屋上に移動するよう指で示したのだった。
「——あの、それで、私に何か用ですか? 王子様」
「
屋上にやってくるなり、マチダくんは腰に手を当てて言った。
————なんだか喋るとイメージが違うなぁ。
その態度は王様級だったけど、波風立てたくない私はあえて下手に出る。
「あの、マチダくん……どんな用件ですか?」
「お前」
「はい」
「今日、瞬間移動しただろ?」
「へ?」
「俺は見たんだ。乗用車にひかれそうだった子供を助けたところを」
「瞬間移動?」
私はごくりと固唾を飲む。
まあ、そう見えても仕方ないよね。
なぜなら私は、幼児が車に轢かれそうになった時、不思議な力を使ったのだから。
————そう、何を隠そう私は、たった五分間だけ時間を止められるのだ。
少し便利だけど、煩わしくもある力。
そんなものがあるせいで、私は前世で火あぶりにあったのである。
そんなわけで、普通の人とは少し違う私だけど、まさかそんなことを説明するわけにもいかず——私はとびっきりの笑顔で否定した。
「違います」
「誤魔化しても無駄だ」
「へ?」
「俺がこの目で見たんだからな」
堂々と告げるマチダくんは、なぜか自信満々で笑みを浮かべていた。
「証拠はあるんですか?」
私がおそるおそる訊ねると、マチダくんはキッパリと告げる。
「ない」
「証拠がないなら、私はこれで失礼します」
驚かさないでよ——そう言いたい気持ちを堪えて、踵を返す私だったけど、そんな私を呼び止める声が響いた。
「おい!」
私が屋上の出口に向かっていると、ふと背中でガシャンと金属音が響いた。
なんとなく嫌な予感がして振り返ると、マチダくんが屋上を囲むフェンスの向こう側に立っていた。
「ちょっと! 何をするつもりですか!」
「飛び降りるんだよ」
「やめてください!」
今にも落ちそうなマチダくんを見て、心臓が冷えるような感覚に陥った私は、慌てて時間を止めた。
そしてフェンスの隙間から、マチダくんのいる外側に移動するけど——。
「ほらな、やっぱりできるんじゃないか」
私がマチダくんの腕を掴んだ瞬間、彼はしてやったり顔で親指を立てた。
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