第6話

 イツキは「日が昇る前に」と、彼女を浜辺へ送り届ける。

 明け方のマジックアワーの下、彼は人魚を助手席から抱き起して浜辺へと座らせた。

 正直な所、港から海に投げ込んでも構わないのだ。

 ただ、二度と逢えないだろうと思うと妙に名残惜しくなって、イツキは人魚を浜辺へ連れてきたのである。


 イツキが人魚の隣に腰かける。

 人魚は彼の腕をそっと指でなぞった。

 水掻きがあり、それでいてか細い女の手が、血管の浮き出た褐色肌の上を辿る様に滑っていく。

「ここ。血が出てます」

 人魚の指先が触れるとヒリヒリと痛む箇所。

 どうやら彼女を抱き起こす際に擦り剥いてしまったらしい。

 人魚は左手の薬指を己の唇に当て、その鋭い歯で掻いた。

 何をするのかと眺めるイツキの腕をそっと取り、擦り傷に血を塗り込む。

 傷は跡形も無く消えてしまった。


 人魚に纏わる伝承。

 その血は万能の妙薬となり、その肉は食す者に不老不死を与える――


「ねえイツキ」

 人魚は彼に甘く囁く。

「私の肉を喰らいなさい」

 訳が分からなかった。「どうして?」と人魚に聞き返す。

 彼女は只笑って

「貴方には生きて欲しい」

 と言った。


「――いや。いらない」

 イツキは人魚を押しのける。

 親が死んでヤケになって、そんな俺を拾ったのはここの人で、あの船乗り達なのだ。

 人魚の肉など食らったら、恩も返せないまま戻れなくなるだろう。


「俺、結婚してんだ。子供もいる」

 嘘だ。こんな顔で言っても説得力に欠けるだろうに、ほんとバカだよなぁ。


 人魚は驚きの表情一つ変えないまま、ぽろぽろと涙を流した。

 涙はきらきらと眩しい宝玉となって、二人の足元へ落ちた。


「――分かりました」

 彼女は突然、イツキの腕を握り潰した。

 余りの痛みに彼が身を引くと、人魚は彼を押し倒し砂浜へと沈める。

 細腕に見合わぬ剛力で首を絞められ、イツキは訳も分からずこと切れた。


 人魚はイツキの亡骸を胸に抱きしめ、声も出さずにただ彼の顔に宝玉を降らせた。

「頂きます」

 人魚はイツキだった肉塊を全て平らげ、静かに海へと還った。

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