碧い人魚と鮮血の恋

岡田リョウリュウ

第1話

 夏の某日。漁村の男たちはいつも通りに漁へ出る。

 その中に二〇代真ん中くらいの若い男が一人。

 名をイツキと言って、過疎化が進む村で自ら漁師の道を選んだ男だ。

 同級生が皆県外へ就職し見栄え至上主義へと染まる中、彼は堅実に歩みを進めていた。


 両親が飛行機事故で亡くなり大学を中退したイツキは、顔なじみのオヤジどもに交じって漁師になる道を選ぶ。

 彼は社会不適合者だが、海が大好きだった。

 漁師というのは肉体面でも知識面でも覚える事が多く、おまけにえらく専門的で、

『陸の役立たず!』などと嫁や子供に笑われる場面が多々ある。

 しかし過度な集中力と強度の知識収集癖を持つイツキにはうってつけだったらしく、今のところは上手くいっている。


 ある晩、イツキは夢を見る。

 どこかの砂浜でユラユラと浅瀬に漂っていた。

 温もりのある柔らかな砂を、穏やかな波が攫っていく。

 手を空にかざせば浅黒く焼けた肌と入道雲のコントラストが美しく、イツキは海に包まれる心地よさを満喫していた。


 その時。ふいに臀部を何かが掠っていく。

 浅瀬にしては結構な大きさだった。

 イツキは姿勢を変え辺りを見回すが、景色は先ほどと変わらず沖へ流されている気配も無い。

 と、何かが彼を真下から押し上げた。

 まるで犬猫がじゃれつく様に、何かがその巨体を擦り付けてくる。

 大方イルカや小型のクジラだろうと、イツキはそれの鼻先を撫でる。

 背ビレには擦り傷が無数にあり、根本が少し欠けていた。


 しかし哺乳類にしては随分と尖った背ビレだな……などと思っていると、その近くに奇妙なモノを見る。

 大きな裂傷が、胸ヒレの近くにいくつも入っていた。

 まるで巨大なカギ爪で引っ掻いた様だ。

 海の哺乳類は厚い脂肪を纏っているとは言え、この深さの傷を負って元気でいられるだろうか? ――致命傷だろう。


 そうこうしているうちに、謎のデカブツは首をもたげこちらを見上げてきた。

 鼻先はハンチング帽のつばを肉厚にしたような形で、目は光を吸い込む真っ黒さで、口は大きくナイフの様な歯がビッシリと並んでいる。

 デカい。三メートルは優に超える立派なサメだ。

 齧られたら一溜りも無いだろう。

 しかし奇妙な事に、イツキは特に恐れも無くサメを撫で続ける。

 そもそもの話、サメからしたら人間というのはローカロリーなのだから、彼(もしくは彼女)がこうしてコミュニケーションを図るには理由があるのかもしれない――

 イツキがサメの鼻や背中を優しく撫で続けると、サメは胴体をずるりと押し付け「こちらへ来い」と手招くように振り向く。

 試しに背ビレに掴まると、サメはイツキを連れて広大な海を泳ぎ始めた。


 イツキは様々なものを見た。

 極彩色の魚が泳ぐ珊瑚礁、朽ち果てた沈没船、巨大なクジラが回遊する氷河の下、古代文明の水中遺跡……。

 実に美しい情景だった。


 そうした遊覧を終え、イツキを乗せたサメはあの砂浜へと戻る。

 彼が背ビレから手を放すと、サメは名残惜しそうに身体を摺り寄せ、そのまま沖へと泳ぎ去った。

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