第76話 聖女様と放課後練習

 夕暮れ時、放課後の教室には誰もいなかった。

 クラスメイトたちは全員帰るか部活に勤しんでおり、静まり返った室内には窓の外から聞こえる風の音だけが響いている。


「──益山くん、ちょっと練習付き合ってくれる?」


 教室に残っていた俺に、水沢さんが声をかけてきた。

 彼女は、少しだけ恥ずかしそうにしながらも、真剣な眼差しで俺を見ていた。


「練習?」


 俺は一瞬驚いたけど、彼女の真剣な様子を見てすぐに頷いた。


「もちろん。俺で良ければ」


「良かった……ありがとう」


 水沢さんはホッとしたように微笑んだ。

 その笑顔に少しだけドキッとしたのを、俺は慌てて胸にしまい込む。

 なんだか放課後の教室2人きり、何気にこのような状況があまりないのでそれにもドキッとしてしまう。


 ……よし、まぁ切りかえて水沢さんと頑張ろう。




 ******



 

 前の方の机を端に寄せ、教室の中央の教壇を簡易ステージのように広く使う。

 水沢さんは台本を持ちながら、劇のクライマックス部分をもう一度やろうと言った。


「このシーン、やっぱり難しいよね。でも、私もちゃんと演じられるようになりたいから……」


 彼女の言葉には覚悟があった。

 そしてやはりその言葉に俺はつられる。水沢さんがこんなに頑張ってるのなら俺も頑張らなければ、と。


「ヒロインの水沢さんがこんなに頑張ってるのに、俺も負けてられないな」


 そのまま自分の気持ちを言葉にしてみた瞬間、水沢さんが驚いたように俺を見つめた。


「……益山くん、そう思ってくれてるんだ」


「当たり前だよ。水沢さんが一生懸命なのに、俺だけ諦めたり手を抜いたりしたら、かっこ悪いだろ?」


 こうは言ったものの、なんだか自分でも思ってもみなかったような言葉が口から出て、少し照れくさくなる。

 けれど、そんな俺に対して水沢さんは目を輝かせて嬉しそうに笑ってくれた。


「そんなこと言われたら、私ももっと頑張らなきゃって思うね」


 その笑顔を見た瞬間、俺の胸の奥がじんわりと温かくなった。




 ******



 

 練習を再開する。

 俺たちは台本を片手に、実際の動きを加えながらセリフを交わした。


「これ以上、姫を危険に晒すわけにはいかない!」


 俺のセリフに合わせて、水沢さんが驚いた表情を作る。


「でも、あなたが傷つくのは嫌……!」


 彼女の声には、少しずつ感情が乗ってきているのが分かる。

 水沢さんは頑張ってる。本気でこの劇を成功させようとしてるんだ。


 ふと、彼女が演技の合間に見せた自然な笑顔を見た瞬間、胸がまた少し熱くなった。


 ……水沢さんの笑顔を見ると、やっぱり頑張れるな。


 自分の気持ちを整理する暇もなく、次のセリフが頭をよぎる。そして発する。


「──今日はここまでにしよっか」


 台本を閉じた水沢さんが、少し疲れたけど充実した表情でそう言った。

 俺も深呼吸して一息つく。

 


「お疲れさま。水沢さん、セリフの感じ、すごく良くなってたよ」


「そ、そうかな……?」


 彼女は少し照れながら、けれど嬉しそうに頬を赤らめた。


「うん。水沢さんのセリフを聞いてると、自然と俺も引っ張られる感じがする」


 自分でも意外なほど素直に言葉が出た。彼女の笑顔を見てると、なぜか言葉がスムーズに出る気がする。

 それは俺たちが練習を重ねてるからこそどんどん上達している、というのもあるだろうし、なんだか水沢さんと姫と騎士の役をやっていると、なんというか、こうどんどん役に入り込める自分がいる気がするのだ。


 水沢さんは少し目を丸くしてから、ふわりと笑った。その笑顔は夕日を受けてさらに輝いて見えた。




 ******



 

 教室を出る帰り道、私は益山くんの横顔をちらりと盗み見た。

 真剣に練習に取り組む彼の姿が、ふと頭に浮かぶ。


 益山くん、どんどん変わってきてる気がする。眩しいな。


 最初主人公の役に選ばれた時は自分に自信がない感じだったのに、今は少しずつだけど堂々としてきた。

 その成長が、なんだか単純にすごく嬉しかった。


 すごいな……やっぱりカッコいい。


 胸が少しだけドキドキする。でも、今はこの気持ちをそのままにしておこう。

 私も頑張らなきゃ。益山くんに負けないように、全力でこの劇を成功させようって。そう自分に言い聞かせる。


 教室にはもう誰もいないけど、何か温かなものが二人の間に残った気がした。

 それを胸に抱えながら、私は今日の練習をそっと心の中にしまい込んだ。

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