人間園
佐々井 サイジ
第1話
キュピラは入場券を買う母の横にぺたりと張り付くように寄り添っていた。この『テテコマシ市立人間園』にはキュピラが三歳のときに家族で訪れたと母は言っていたが、記憶にない。テテコマシ市立人間園だけでなく、三歳の時の記憶など頭からすっぽり抜け落ちている。そのときに買った白人の人形が今でも家にあるが、埃がまとわりついて灰色になっていた。
母はキュピラに手を伸ばしてきたのですぐに手を繋いだ。
「キュピラ、どこから行く?」
母は園内マップを広げた紙を見せてきた。白人ゾーン、黒人ゾーン、黄色人種ゾーン、ふれあいゾーン。大きく四つに分けられた人間園。実質どこからでも見たくて決められなかった。
「とりあえず一番近い白人ゾーンにしようか」
母は額に生えた四本の触覚を白人ゾーンの方に向けた。キュピラも頷いて触覚を繋ぎながら移動した。
白人ゾーンは三階建てのビルくらいの高さに匹敵する檻があった。檻の中は人間の住居のような造りになっている。
ベッドには二匹の雄と雌の白人が、身体をぴたりと合わせ合っている。雄の方は忙しなく腰を前後に揺らしていた。
「お母さん、あれ、何してるの?」
「交尾よ。人間はああいうふうにして幼人をつくるの」
野性の人間で交尾するのは見たことがなかったので、キュピラはしばらく見惚れていた。
「でも、人間って他の動物よりも頭悪いのかな?」
「どうして?」
「だって人間って一度の出産で一人しか生まないんでしょ?」
「ほとんどね。たまに二人とか三人生まれることもあるみたいだけど」
「でも他の動物は二三匹はざらで、六匹うむじゃん。僕も七柱きょうだいだし」
「人間はね、一度に少量しか生めない代わりに知能の高さで生き抜いてきたの。だからライオンとかゾウみたいにフィジカルでは圧倒的に劣るけど、武器とかを使って生態系のトップを維持してきたの」
「ふうん」
フィジカルだけの勝負だと生態系の低い位置に相当する生き物が、トップにいられるということは、よほど知能の高さが図抜けているに違いない。キュピラは檻の中にいる雄と雌に視線を戻した。ベッドの上で腰をヘコヘコ動かしている雄。だらしなく後ろ脚を開いて、目を瞑り表情を歪ませている雌。彼らは本当に知能が高いのだろうか。
雄の腰の動きが止まり、疲れたのか雌に倒れ込んでいた。雄と雌はなにか言葉を交わしながら唇を合わせていた。
「あれはお互いの愛情を確認するためのキスという仕草らしいよ」
「ふうん。僕たちでいうイワギャロと同じかな」
「そうなるね」
母はそう言いながらイワギャロをしてきた。
「この白人館には白人の骨とか飾ってあるらしいけど、いく?」
「いく!」
今まで母に手を引かれていたのがすっかり逆転して、キュピラが母の手を引いて白人館のドアに向かっていった。
白人館に入ると冷気が立ち込めており、開ききった青い肌の穴がすぐに収縮した。壁には細身や大柄、さまざまな体躯の白人が飾られており、キュピラが何度も読んでいた図鑑と同じような人間もいた。
最初は地球の動物たちいろんな種類を見るのが楽しかったが、そのうちの一種である人間に興味を持ち始めた。人間は他の動物と異なり、学習能力が高く、裸を恥ずかしがり、一部の優秀な個体が利器を作り上げ、文明を築き上げた。
人間図鑑というものがあり、キュピラは母にねだって手に入れた。人間の体の組織の造りから原人と呼ばれる人類の祖先から歴史的に発展を紐解いて膨大な知識が載っており、ページが千切れるほど読みつくした。そんな折にこの星で初めてできた人間園の存在を知った。「一度行ったことあるんだよ」とそのときに母に言われた。
一体一体、ゆっくり時間をかけて頭頂部から足の指先まで視線を移していく。頭部にしか毛が生えていないものもいれば、脚や胸部、一部の個体は肩にまで毛が生えている。一方で頭部にすら生えていない個体もあった。白人館だけで日が暮れそうだった。
「キュピラ!」
母の制止を振りほどき、館の順路にあるすべての見本を見て触れていく。
「さわっちゃだめよ! ふれあいゾーンで触れるから!」
母はそういうものの、すでにキュピラは白人の剥がされた爪を触っていた。爪は固いが肌が進化したものと図鑑に載ってあり興味があった。
「全然触り心地が違うのに、これも肌なんだ」
「こら、キュピラ」
母はぬめぬめしたキュピラの肌をつまみ上げ、壁に投げつけた。痛みは感じないが久しぶりに母の怒りに触れた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。気を付けるから」
「絶対だよ」
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