彷徨う
夢実千夜@Senya_Yumemi
プロローグ
プロローグ
――僕はまだ殺してない。
それなのに、十分過ぎるほどの感触はまだ残ってる。切断された割れ目から脈打つ鼓動と、ゆっくりと生温かくなっては氷のように冷気を纏った物質の感触は僕を殺した。
今、僕は生きてますか?
きっと死んでますよね?
どこに居るのでしょうか?
なにかに触れることが出来たらなら僕は何をしますか?
僕はまだ殺してません。
*
「僕の顔をしっかりと見て下さい」
「私の妄想なのか真実なのか分からないんです。私の記憶に自信が持てないんです」
「良く思い出してみて下さい。ゆっくりで良いので……あなたが最初に見たのは僕の顔ですか?」
*
闇は悪魔だ。
嘲笑するように背後を追う月。
恐怖で覆われて、悪魔たちの歌声が轟く。
それを振り切りろうと、ただ彷徨い続ける。
闇が深くなると月が顔を出す。次第に悪魔たちが囁く。
テールランプはまるで刃の如く、鋭く胸を刺す。
どこからともなく、多くの視線を感じずにはいられない。そんな幻覚の中を彷徨って、気付けば悪魔たちが踊り狂う闇の中にいる。
闇は悪魔だ。
すべての感覚を支配して、俺の身体を恐怖で埋め尽くす。
なにかに追われている。
そんな恐怖から逃れようと、積まれた木の葉が押し潰されて擦れる音がどこか奇妙で堪らないのだ。そしてそれが、次第に悪魔たちの笑い声に変わるのだ。
もはや、出口はない。途方もなく逃げ迷った挙句、身体は悪魔に支配されて、闇の中に引き摺り込まれる。
一瞬、小さな光が見えた時。やっと届いたかと思ったその光もやがて
嘲笑の声は止まない。
闇は悪魔だ――。
◇◆◇◆ ◇◆◇◆ ◇◆◇◆ ◇◆◇◆ ◇◆◇◆
――被告人は捜査段階、供述調書では自白していたものの、公判では一転して無罪を主張して被害者を殺害した事実を否認し、客観的事実に反する不合理な弁解をしており、また、凶器による物的証拠、目撃証人による証言に対して著しく不合理な弁解をしてる事を否定出来ないとして、尚、未だ自身の罪に向き合う姿勢は見られず反省の念は見られない。被告人に前科は無いが、更生可能は
……被告人、証言台の前に。
主文、被告人を死刑に処す――。
◆◆◆
「はあ、もうこんな時間。朝ごはん食べて出勤の準備しないと――」
と、スマホのアラームを止めて
冷凍された白米を取り出して電子レンジに放り込んでから、タッパーや野菜で陳列された冷蔵庫から納豆を取り出し小鉢に開ける。それから、毎朝の習慣になっている味噌汁を作る。
解凍された白米を茶碗に移し替えて、納豆の入った小鉢に味噌汁をテーブルに並べて、テレビのリモコンを手に取りニュース番組に目を向けた。
webライターを勤める上で、日々のニュースは欠かさない。これも習慣のひとつである。
<続いて、今日の天気予報です。佐々木さんお願いします>
<はい。天気予報士の佐々木です。今日は全国的に肌寒い日になりそうです。それでは関東から見ていきましょう――>
時事問題から天気予報に移った時だ。スマホの通知音がなる。
「編集長からかな?」
通知の正体は加奈子の上司である編集長だ。
<遠藤さん 明後日投稿予定の記事ですが、添削するので今日中に記事の方を私宛にメールで送付願います。>
「今日中って言っても、やんなきゃいけない事たっぷりあんのに。うーん、やるしかないかあ」
ここでテレビからキャスターの<速報です>との声が聞こえ、朝食を食べながら目をやった。
<昨日未明、東京都葛飾区にある東京拘置所に収監されていた死刑囚が脱走したことが判明しました。死刑囚は今から八ヶ月前に、都内新宿区に住む一家三人を殺害したとして死刑判決を受けてました。尚、脱走した死刑囚は現在も捕まっておらず逃走中とのこと。警察関係者は体制を強化して死刑囚の行方を追っているとの事です>
「ふーん。死刑囚の脱走ねえ?やっぱ、これも記事にして投稿しないとかな?誰やるんだろ」
加奈子は納豆をもぐもぐと咀嚼しながら、スマホの時計画面に目を走らせると、味噌汁を口に含ませて無理矢理と言わんばかりに喉に通した。
テーブルに並べられた空いた食器の脇に置かれたノートパソコンを鞄に仕舞い込んで、洗面台に向かって軽く化粧して寝癖を直して、オフィスカジュアル風な服を選び着替えを終えると颯爽に玄関を飛び出した。
いつも通りの道を歩いて立川駅に向かう。
少し肌寒くもう少しで冬の到来を知らせるような澄んだ風の中、なんとなく見慣れたサラリーマン姿の男性や学生、OLの姿が目に入る。
自宅から立川駅まで徒歩十五分ほどである。
加奈子は最寄りのコンビニに寄って昼食を買う事にした。
ランチは普段、外に出て食事するのが習慣となっているが、上司である編集長からのメッセージからそんな暇は無いなと察して、カップ麺とおにぎりで凌ぐ事にした。
ワンコインでお釣りが来るから節約になると、憂鬱な気分を一変させたかったが、ここ最近の多忙な日々を振り返ってはまた憂鬱に戻るのであった。
足早にして改札に向かい定期券をタッチするなり、ホームに待つ電車に駆け込んだ。職場がある秋葉原まで揺られる事四十五分ほど。途中、御茶ノ水駅で乗り換えがあるのがなんとも不便である。
四十五分掛かるとは言え、これもまた習慣となっているヤフーニュースやツイッターのトレンドを漁ってる間に秋葉原に到着してしまうのだ。
ツイッターのトレンドに上がっている<死刑囚脱走>のキーワードに目を走らせた。
吊り革に掴まりながら、やはりなと頷く加奈子である。ヤフーニュースにはこの死刑囚が犯した事件概要などが掲載されている。
ツイッターでは<高校卒アル>や<死刑囚の住所特定>など、死刑囚脱走に関連するハッシュタグが溢れていた。
事件発生当時、新聞やネットニュースにも載って世間を騒がせていた事件だけあって、加奈子自身もこの事件は知っているし、もっともwebライターという職業柄、事件概要くらいは知り得ていた。
こういう顔写真を投稿してるのって、事件当時に出回った写真を使用してるのは分かるが、高校の時の卒業アルバムの投稿って事は少なからず、犯人と関連があった人が投稿してるのかと思える。
加奈子はいくつか投稿されている中で<死刑囚脱走 一家三人殺害 犯人 梶原 謙一>という顔写真を添付してあるツイッターの投稿に目をやって、顔写真をタップしてみた。
この写真はきっと事件当時だろう。
髪は首に掛かる手前ほどの長さで、鼻筋は通りくっきりとした二重の瞳に、整った輪郭だ。世間一般にいうイケメンであった。
イケメンなのに勿体ないなあ。なんで犯罪なんて犯しちゃうかな。加奈子の感想はそんなだった。
薄くなっていた事件の記憶が鮮明になりつつあり、今度はヤフーニュースに目をやった。
凶器は包丁、一家三人殺害。うち、子供は当時四歳、三人は即死に近いかあ。救急車で運ばれるも搬送時に亡くなったと。ほんと、人は見かけによらぬものね。
こうしてあっという間に秋葉原駅に到着して、加奈子は早歩きで職場に向かう。
彷徨う 夢実千夜@Senya_Yumemi @Senya_Yumemi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。彷徨うの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます