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  • 耳が痛いです。ちょうど感想・レビューエッセイ(エッセイです)を始めちゃったところです。
    募集した作品を読んで感想(批評は書けません)を書くのは荷が重いので、自分が今まで読んでレビューした作品の感想を紹介することにしています。

    こういう活動が自分の創作活動に役立つとは私も思えません。レビューやエッセイを書く練習にはなるかもしれないとは思っていますが、そんなに期待していません。しいて言えば、交流が楽しいのと、自分も作品が応援されると嬉しいからです。

    > 普通の表現で
    『ここが改善できる点だと思うから、こうしたほうが良いと思いますよ』
    と言えないのだろうか?

    これは正にいつも思っていたことでした! ただ悪いところだけいきなりきつい口調で指摘されて気分がいい人は正直言っていないと思います。やっぱり言い方ですよね。

    作者からの返信

    こんちは、マルベリーの木の下でレビュー読みました! ああ、まさにそうであり、こういった風に紹介すればいいのか! と思っておりました。

    この投稿は『偉そうに批評をしている人に向けての文章』ですので、あまり気にしないでくださいまし。

    感想といいますのは、作品・物語についてどう思うのか? なので作者さんに対するリスペクトがあれば、どういったものを書いても伝わるものがあると思います。

    創作活動の向上については……私はあまり役に立たないと思いますが、ここは人による部分もあるかもしれませんね。



    >ただ悪いところだけいきなりきつい口調で指摘されて気分がいい人は正直言っていないと思います。やっぱり言い方ですよね。

    そうですよ、なんで辛口批評とかいう謎の言葉があるのか?気になります。
    で、それを求めている人が多いのかも(ただ、こういった人たちこそ真面目な批評が欲しいんだと思うのですけど)

    「細かいとこまで厳しく指摘」
    「本当にそうか?根拠はないが偉そうに上から指摘」
    「機嫌わるそうに指摘」
    「商業作家を目指していると勝手に断定して指摘」
    「Web小説を書いていると断定して指摘」

    辛口批評という意味不明な言葉を使わず、上記の言葉にしたらどうですか?と言いたくなります。

    このような指摘を会社の管理職や学校の先生がやったらそれこそ指導者として失格でしょうね。

  • う~む。
    批評についてはいろいろ意見が分かれますよね。

    ただ疑問なのは批評家って文章ならびに作品の向上を建前とするんですよね。
    そこに矛盾が生じてしまう。
    特に文章なんですけど、一番上達するのは書くこと。
    一番上達しないのが書かないことなんですから。

    酷評で「よし、頑張ろう!」って思う人はそうは多くない。
    とくに評価を欲する人は書き始めて間もない人が多いですからね。
    そりゃあ心折れますよ。

    けっきょく真逆のことをしているんですよね。
    文章の向上どころか低下をまねいている。
    それに批評家本人が気づけない。気づいていても無視している。
    使い方しだいではあるんですけどね。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます。

    突き詰めると、小説に関わるものを愛せるか?ではないでしょうか。
    愛ではなく、鬱屈の表現や怨嗟の発露でこの世界にいる人はかなり多いと思います。
    勿論、悪いことではないと思います、それで救われる人もいるのですから。


    一応その点について、追記をしておきました。貼ります。
     (追記)
     そもそも批評してる人って何が目的なのだろう。私は自分の創作活動の役に立てようと思ったのですが、あまり役に立たないと判断しています。
     そのため感想企画は終了させました。
     本気で作家さんを応援したいなら付きっ切りで文章をみるなどして、面倒見たほうが良いと思います。
     仕事として責任もって料金もらって批評やるならわかるけど、無料で行うのは気力・体力の消耗が激しすぎるので行う意味はないと思います。
     気力体力が消耗しない批評なら、それは遊びでしょう。


    私みたいに大して実力がないものが批評の真似事をすると、「何がわるいのか?何が良いのか?」は分かるが、自分で手本を見せられない、または、それを自身の実力に還元できないんです。
    ですので、おっしゃるように(考えながら)書くのが上達と思いさだめております。

    編集済